「なんなのよ、あの男はぁぁぁ!」
自室へと戻ったセシリアは、怒りのままにクッションをベッドへと投げつけた。
――例えアランでも皇家の血を引くものを殺してはならない。
ギルベルトに言われた言葉が頭の中でリフレインする。
忌々しい顔とセットで思い出してしまったので、鬱憤を晴らすどころか怒りが倍増してしまった。
「『例え』ってなに? 自分の子どもを、あんな風に言うなんて……!」
不本意な忠告にも腹が立つが、アランの命を軽視するような言い方がなによりも許せない。
それに、あの時のギルベルトからは愛情や思いやりを一切感じなかった。事実をただ、淡々と告げただけ。
きっと、アランが後宮で疎まれていることも知らないのだろう。
知ったところで冷酷なギルベルトが対処してくれるとは思えないし、頼りたいとも思わない。
「私がアランの味方にならなきゃ」
部屋を真っ赤に染めていく夕日を眺めながら、セシリアは一人決意を固めた。
*
次の日からセシリアは、アランと仲良くなる方法を考えた。
アランの好きな果物を籠いっぱいにプレゼントしたり、趣味だという乗馬に誘ってみたり。他にもいろいろと試してみたけれど、アランの警戒心は解ける兆しも見られない。
それでもセシリアはめげることなく、一週間経った今日も元気いっぱいにアランの部屋のドアを叩いていた。
「アラン皇子~。あ~そび~ましょ~」
明るい声で呼びかける。
しばらくすると、恐る恐るといった様子で中からアランが現れた。
またか……と少し困ったような顔をしているが、セシリアは気にせず笑顔で話しかける。
「散歩に出かけませんか? 黄色い蝶々を見つけるといいことがあるって前に聞いたことが――」
「……皇后陛下」
「なんですか?」
見ると、アランは悲しそうな目をしていた。
「僕なんかに構っても皇帝陛下の気は引けませんよ」
言われたセシリアは言葉を失う。
アランがそんな風に誤解しているとは思ってもいなかった。
何も言わないセシリアを見て、それを肯定と受け取ってしまったアランは、部屋にまた引きこもろうとする。
「それでは……」
「待ってください!」
アランが閉めようとしたドアに慌てて手を差し込む。
無理やりドアをこじ開けながら、セシリアは叫んだ。
「陛下に気に入られたいなんて、これっっっぽっちも思っていません!」
先日のバトルも相まって、つい……いや、かなり強めに否定してしまった。
心外だと言わんばかりの迫力に、アランは目をぱちくりしている。
「私はただ、アラン皇子が一人で寂しそうだったから……」
「……」
言われたアランは気まずそうに目を伏せた。
以前、メイサからアランは侍女たちに疎まれている状態と聞いたが、どうやら本当らしい。
膝を曲げたセシリアは、俯くアランの顔を優しい目で覗き込む。
「言ったでしょう? アラン皇子と仲良くなりたいって」
「……っ」
今まで何をしても動かせなかったアランの心が、ほんのちょっと動いたような気がした。
目線を合わせて伝えたことで、セシリアの気持ちが前よりも真っすぐ届いたのかもしれない。
その証拠に、アランがおずおずと確認してくる。
「本当……なんですか?」
「はい」
にっこり笑って頷く。
この気持ちに嘘偽りはない。
「何か私にできることはありませんか?」
「できること……」
セシリアの言葉を反芻したアランが、指をいじりながらもじもじと恥ずかしそうに打ち明け始める。
「実は……一人で食事をとるのが寂しくて……」
遠回しに、誰かと食事がしたいと言っているのだろうか。
けれど、その“誰か”が自分とは限らない。
期待していいのか迷っていると、不安げな瞳でちらりと見つめられる。
(これはGOサインだ!)
保育士の勘が瞬時に働く。
セシリアは嬉しくて舞い上がりそうな気持ちをぐっと堪え、にこりと微笑んだ。
「私で良ければ喜んで」
それを聞いたアランが、ほっと安堵の息を吐く。
固く閉じていた蕾が綻ぶような表情に、セシリアの胸がきゅきゅきゅーんとときめいた。
(か、可愛い……‼)
天使だ。
本当にあの鬼畜なギルベルトの血が流れているのかと疑いたくなるほどの可愛さである。
(せっかくアランが食事に誘ってくれたのだから、この機会にもっと仲良くなりたい!)
そう思ったセシリアは、その日の夜に早速アランと後宮で食事をすることにした。
セシリアの前には今、白身魚のソテーを可愛い口に運び、もぐもぐと咀嚼するアランがいる。
(小説でも食事シーンはあったけれど、フローラと仲良くなる前だったから、グラスに口をつけただけですぐに席を立っちゃったのよね)
そのアランが今度はライスを口に運んでいる。
皇宮では食事にライスが出たことはなかったので、この世界にも米があるんだと驚いた。
とはいえ、セシリアのお皿にはパンが乗っているし、こっちが主流なのかもしれない。
そんなことより、と視線をアランに戻す。
(あぁ、ご飯をもぐもぐしているアラン可愛い。アランに咀嚼される米粒たちが羨ましい……)
「あの、皇后陛下……?」
震えた声で呼ばれ、はっとする。
熱い視線を送り続けていたせいか、目の前に座るアランは追い詰められた子ウサギのようにブルブルと震えていた。
セシリアが食事に手をつけないのは、お腹を満たした自分を食べるためだと思われていそうである。
せっかくアランと仲良くなるチャンスをもらえたのに、この状況はまずい。なんとかしなければ。
「アラン皇子は、普段何をして過ごされているんですか?」
苦し紛れの質問だったが、素直なアランは視線を宙に彷徨わせて考え始める。
「そうですね……最近は歴史書を読んでいます」
「歴史書⁉ 真面目!」
まだ六歳なのに。
「皇后陛下は、普段何を読まれてるんですか?」
「私は絵本が多いかもしれません。前に幼児組で一寸法師を……」
「いっすんぼうし?」
しまった!
慌てて口を押さえても遅かった。初めて聞いたタイトルに、アランは興味津々といった顔をしている。
「どんなお話なんですか?」
「ええっと……」
日本の昔話を、異世界で話していいものなのだろうか。
悩むセシリアだったが、眩しすぎるほどの期待を放つアランを前に断ることはできなかった。
可愛すぎるアランが悪いのか、それとも推しの願いならどんなことでも叶えたいと思ってしまう自分が悪いのか。
恐らく、その両方であろう。
(素話をするのは実習以来かも。ちょっと緊張しちゃうな)
素話というのは、道具を使わずに身振り手振りで物語を伝えていく保育技術だ。
深呼吸を一つして、「昔々あるところに」というお決まりのフレーズから始める。
初めは緊張していたセシリアも、物語を進めていくうちにだんだんと楽しくなってきて、声に抑揚がついてきた。
日本の昔話なので時折説明を交えなくてはいけなかったが、セリフに合わせて声色や表情を変えるセシリアに、アランもぐんぐんと物語に引き込まれていく。
「鬼に飲み込まれた一寸法師は、針の刀で鬼のお腹をチクッ! チクッ! チクッ!」
「ふふふっ」
控えめながらも可愛いアランの笑い声。
それは廊下にも伝わり、食堂の入り口ではメイサを含めた何人かの侍女が、物珍しそうな顔で中を覗いていた。
彼女たちもまた、アランの笑顔を見るのは初めてだったのだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、食事を終えたセシリアは外まで見送りに来てくれたアランに別れを告げた。
「それでは、アラン皇子。おやすみなさい」
踵を返そうとしたセシリアのドレスを、アランがきゅっと掴んで引き止める。
見ると、月明かりを浴びたアランが控えめな笑みを浮かべていた。
「今日はありがとうございました。僕……こんなに楽しい食事をしたのは初めてで……」
喜びを噛み締めながらも、次はもうないだろうなと悲観しているように見えた。
アランの寂しさが伝わってくる。
居てもたってもいられなくなったセシリアは、ドレスを掴んだままの小さな手を、両手でぎゅっと包み込んだ。
「明日の朝も一緒に食べましょう! お昼も、夜も、その次の日も、ずっと!」
セシリアの提案にアランは少し驚いたようだった。
けれどもすぐ、はにかむように笑って。
「皇后陛下が良ければ……」
いきなり距離を詰め過ぎてしまったかもしれないと後悔していたが、そんな不安はアランの可愛い笑顔を前に吹き飛んでしまった。
明日もまた、アランと食事ができる。
嬉しくてたまらず、セシリアは皇宮へと戻る道を上機嫌で歩いた。
朝食を終えた後は何をして遊ぼうかと考えていると、月明りに照らされた道に一本の影がかかる。
現れた人物は、セシリアと目が合うなり不機嫌そうに眉を顰めた。
「また後宮に行っていたのか」
(出た、ギルベルト……)
セシリアのテンションが一気に下がる。
遭遇するなら、おばけの方がまだマシだ。
「私を見張ってたのですか?」
「たまたま通りかかっただけだ」
「でしたら、このまま後宮へ行ってアラン皇子と少し関わってきてはどうですか?」
「……なぜ?」
なぜ? 今、この人「なぜ?」って聞いた?
ふざけているのかと思いきや、ギルベルトは本当に分からないといった様子で小首を傾げている。
これまでも子育ては乳母や侍女に任せっきりだったのだろうか。
無関心というより、関心を持つ必要すらないと思っていそうだ。
「セシリア?」
「失礼を承知で言わせていただきます」
いきなり厳しくなったセシリアの口調に、ギルベルトが目を丸くする。
仕事だったらオブラートに包んだ言い方を意識するけど、相手は自分の夫だ。遠慮する必要など何もない。
「陛下はもっと、父親としての自覚を持った方がいいと思います!」
「……っ」
ギルベルトが意表を突かれているうちに、セシリアは「それでは!」と言ってドレスの裾を持ち、ずんずんとその場を離れていく。
「自覚……」
その背中を見つめながら、ギルベルトは指摘された言葉をぽつりと反芻していた。
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