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《エッセイ》
フォロワーさんの一人に「才能無いから止めます」と言う文章があった。
私は自分が学生だった時の事を思い出した。私は宿題の感想文が大嫌いで、原稿用紙の2枚半は書かなければいけないところ、いつも1枚半がやっとで、なんと書けば良いかわからなかった。そして文章の上手な友達は、いつも読まされ、成る程子供ながらに感心するものだった。
「書けない」「書くことが浮かばない」と言うのは、書く側にとってこれ程辛い事は無い。読書感想文であれば、恐らく私はいつも感動していなかったのだ。「感動」の表現として、「えらい」「可哀想」「悲しい」
「楽しい」等がある。伝記ものは殆ど、貧しさから偉人になった人であり、戦後の物資が豊かになった私には、偉人の立場になって考える等到底無理だった。母親からは「お前は読書は好きなのに、どうして文章が下手なのかね」と言われ、恐らく先生方も思っていただろう。
しかし、「書けないから嫌い」から、「なんとか書くことが出来るが、余り好きでは無い」という進化が起こった。自身の話で恐縮で有るが、出会った何人かの人(恩師を含め)は時系列に書いてつなげるという技術がわかった時だった。
次に進化したのは、「腹がたった時は忘れ無いうちに書きとめる」という事を社会人になってからやっていた。日記と言えば日記だが、ムカつきだけで有る。そして「誰々がそう言ったから、ムカついて言い返した」という事を有るサイトに書いたらウケた事が有り、それから好きになった。
テラー止めても、また書きたければ書けます。(私は3回目です)
才能で苦しんでいる人に、何が幸いするかわからないという事を書きたくて、書きました。