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会議が終わると、一気に室内は騒がしくなる。誰かが椅子を引く音。紙をまとめる音。
プロジェクターの電源が切れて、壁の色が少しずつ元に戻っていく。
自分も資料を胸に抱えて立ち上がる。
近くにいた先輩社員に軽く会釈して、部屋を出ようとしたときだった。
「──あ、藤井さん」
呼び止めるような声。
振り返ると、やっぱり岡崎だった。
数歩だけ近づいてくる。さっきの会議の調子とは少し違って、少しだけくだけた声。
「資料、こっちでまとめ直すって言ってたやつ。後でPDF送るから、社内でも回しやすいと思うよ」
「あ…ありがとうございます。すごい、助かります」
素直にそう言ったあと、ほんの少し沈黙が落ちる。
岡崎が目をそらすように腕にかかった時計をちらりと見て、それから何気なく言った。
「いや〜、今日の会議、重かったっすね。ちょっと、三時間あのテンションは腹減る」
「……ですね。お昼、ちょっとしか食べてないですし」
「でしょ? 俺なんて朝、ゼリーしか食ってないもん。腹減りすぎて死にそう」
「ええ… ゼリーって」
わははとそこで笑う目の前の男。
「ストイックに見せて、ただの寝坊です。いんや〜久しぶりにやらかした。猛ダッシュで来て余裕で間に合うじゃんと思ったら、ここエレベーター点検してるし最後の気力で鬼の階段ダッシュよ。しかもなんか会議終わった途端点検終わってるし。俺、日頃の行いが悪いのか?何かの罰でもあたったんでしょうか。疲れたわ、もう」
鬼の階段ダッシュ。何かの罰。
つい笑ってしまった。
岡崎もふっと目を細める。
「藤井さん、あれだな。笑うとけっこういいね、優しそう」
その一言に、反応に迷う。思わぬところで胸の真ん中がぎゅっとなってしまった。
「…やさし…普段はどうなんですか」
平然を取り繕って言う。少し拗ねたような声も出てしまったけれど。
「いや、ちょっと厳しそうで、真面目すぎるんかなって勝手に。今日も資料、誰よりきっちり読んでたでしょ?」
「それは……そうしないと、って思ってただけです」
「うん。でも、そういうの、ちゃんと伝わってると思う。俺も見てて思ったもん」
さらっとした言い方だったけど、どこか嘘くさくなかった。
ただの軽口とも、社交辞令とも、違う響き。
だから逆に、何も言い返せなかった。
返事に困っていたら隣から
ぐぅうう。
とお腹の音。
目があって2人して笑う。
「…やばい。俺はもう腹減って死にそうなんで、時間ないし急いで飯、食ってきます。また来週、よろしくお願いします」
両端に笑みを浮かべ、そう言った岡崎は、もう一度腕時計を確認し、背中を向け、早足で部屋から出ていく。やっぱり寝癖なのか跳ねた後ろ髪も一緒にぴょこぴょこ動く。
その後ろ姿をぼんやり見つめる。
点検が終わったらしいエレベーターの閉まる音が、背後でくぐもって響く。
「……優しそう、か」
つぶやいた声は、自分のものじゃないみたいだった。
美人だとか可愛いとかは散々言われ慣れていた。
でも、それは表面の話だ。中身を見て、そう言ってくれる人は──あまり、いなかった気がする。
軽く頭を振って、資料を胸に抱え直す。
歩き出した足取りが、さっきよりわずかに軽いような気がした。