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りちょニキ
ピンクが好きなりぃちょの話
りぃちょ視点
俺の爪に施されたネイルを指差すニキニキ。
「りぃちょのそれってサロン?」
話題の一環として出されたその質問に俺の心臓はバクバクだった。
昔からピンクが好きだった。
俺の生まれた時代はまだジェンダーレスが認められているような、そうじゃないような、そんな時代。大人たちは認めているという世の認識があったようだが、実際問題それは盲信に過ぎなかった。それに俺の周りにジェンダーレスを宣う人は居なかった。もしかしたら居たのかもしれないけれど、周りからの拒絶は幼い俺には受け入れ難いというのが何よりの本音で、皮を被る以外の選択肢はなかった。だからこそ、こんな思いは消さなければと思った。ピンクじゃなくて男らしい色が好きな俺として取り繕えば、いずれこの思いは無くなると自分自身に催眠をかけた。
そうやって好きを否定し続けて15年と経過しても俺はピンクが好きなままだった。それどころか心身の発達と共にピンクの良さをさらに深く理解し、あれもこれもどれも全部魅力的で、それを身に着けれたらどれほど幸福なのか、と好きは膨張し続けた。俺が生まれた頃にはネットは広く浸透し、小学生でも足を踏み入れるような世界だった。俺は15歳になってから数ヶ月後。所謂高校デビューと共にネットの世界に深く足を踏み入れた。その頃にはジェンダーレスに対して大分寛容になっていており、爪ならばあまり他人の目にはつかないと思った俺は初めてのバイト代を片手に贅沢をした。買ってみたものの、突拍子もなく思い立った行動に通常の学生生活で隠す術がないと気づき、金だけを消費したこととなった。
それからなんやかんやでYouTubeの世界に浸かって、もうどうにでもなれとネイルを始め、ピンクを沢山着飾った。ずうっと諦めきれなかったピンクを身に着けても何も言われないこの世界は息がしやすくて、これまでの俺の苦労がなんだったんだと思えるくらいの幸福に溺れた。それでも本当はこの黒のネイルもピンクがよかった。どれだけこの世界に溺れても、YouTubeで次第に大きくなる数字に俺を否定する人間が増えていくことが隣り合わせで、あまり周りの目につかない部位にピンクを着飾るのは怖かった。だから手の爪は黒で塗った。でも、ここなら大丈夫なんじゃないかと信じて、足の爪にはピンクを塗った。初めてネイルを塗ったときには、信じ難い光景に涙を流すほど嬉しかった。それほどまでにこのネイルは俺にとってかけがえのないものになったのだが、一体俺は何を言われてしまうのだろうか。今更ながらだが、俺がピンクが好きと女研周りの人達に伝えた所で否定されないことくらいはわかるのだ。だからこそ、これは伝えても良いかもしれないと思った。
「ううん、自分でやってる」
そう答えると目の前の彼は目を丸くして驚いている。そんなに変かな、男がセルフネイルしてること。
「…それってさ、俺にもできる?」
少し好奇の目をした彼が乗り気で聞いてきた。こういうのに興味があるのは少し意外な一面だと思った。
「ニキニキでもできると思うよ。今どき調べれば出てくると思うし…」
「あー、違くて」
「え?」
「りぃちょにネイルしてもらいたい、って言えば良かったかな」
日本語って難しい。そう思いながら、彼の訂正の言葉をひとつひとつ噛み砕いて理解していく。要約すると、俺がニキニキのネイルをする。ということなのだろう。正直、やってみたい。けれど、セルフネイルをしていること自体公表したのは初めてで、人にするなんて事したことが無い。
「…どう?」
「ニキニキが良ければ幾らでも」
少し躊躇いながらどう?と聞いてくる彼に自身の天秤は好奇心に揺らぎ、了承の返事をした。
✺
「じゃーん!買ってみた」
じゃあ次会う時やってよ!と簡単に結び付けられた約束をした数日後に白色のネイルポリッシュを手にし、俺に期待の眼差しを向ける彼にあんぐりと口を開けた。
次会う時にやってよどころか、自慢しに自ら俺の家までやってきたニキニキ。行動力があまりにも凄い。
「ええ、道具いっぱい持ってる」
「小学生?」
俺がネイルをするための物たちの収納ケースをリビングまで持ってきてからのひと言。あまりに抽象的で、大雑把な彼の反応は小学生らしくて面白かった。
「まあいいや、そこ座って」
彼にリビングにあるダイニングテーブルを挟むように椅子に腰掛けてもらい、彼の正面の椅子に俺は座る。「両手だして」と声をかければ、彼は大人しく両手を差し出してくる。収納ケースに入っている爪やすりとキューティクルプッシャーを取り出して、まずは爪の形を整えるために彼の指先を見やった。
「ニキニキ爪の手入れとかしてんの?」
「どうだろ、ゆーて爪切りで長さ整えるくらいじゃない?」
その返答に俺は唖然とした。彼の指先はアークスクエアに近い形をした理想的な爪で、甘皮がある辺り、手入れしていないことは分かるが、爪切りでそんな綺麗に保てることに思わず聞いてしまった。俺の質問に対して興味なさげに答えた彼は、俺がべらべらと喋ったとしても彼は興味を示してはくれなさそうだ。そう思いながら爪やすりで爪の長さを揃え、表面の凹凸を削った。
「…う……触り方きも……」
それからキューティクルリムーバーを使い、30秒前後待っている間にただの悪戯で彼の指をツーっと俺の指の腹で添わせると、彼は顔を顰めて、辞めろと言わんばかりの目線を俺に寄越した。そんな彼に向けて鼻で笑いながら、キューティクルプッシャーを手に取って、慎重に甘皮を処理していった。
甘皮の処理が終われば、次のステップに踏み入れれる。収納ケースからベースコートを取り出し、ブラシをボトルから抜く。ハケに付着しすぎているベースコートをボトルの淵にハケを当てて適量にする。そして、彼の爪の中央部分にハケを当てて、根元から先端に向かって線を引くように丁寧に塗布する。それを残りの9本の指先にも…大変だと思いながらも頑張ろうと意気込むと、目の前の彼が口を開いた。
ね、りぃちょ知ってた?
何?
俺もあんまよく分かってないんだけどさ
フェイクニュースも含まれてんだ?
いいじゃん
うわ、ホラ吹きだわ
豆知識のお裾分けだよ
そういうことにしときますよー
色には反射光ってのがあって、反射光の強さを暗い色が0、明るい色が100とした時ってさどうなると思う?
どう、って?
りぃちょにはわかんないか
え、これ辞めるよ?
ごめんじゃんwそれで続きなんだけど、暗い色って言われたときりぃちょが思い浮かべる色って何?
え、それは…黒とか、じゃないの?
そうでしょ?じゃあ反対に明るい色って言われたとき思い浮かべるのは?
うーん…?…黄色、とか?
そっちいくんだw
え、明るいって……あ!白ってこと?
そうそうw
捻る必要ないじゃんか!w
そうだよw
俺の回答に笑って茶化してくれる。なんでそこで捻るのと言いたげな雰囲気でツボに入ったのか、ぷるぷると肩を震わせている。そんなことを話しているうちに両手のベースコートの塗布が終わった。
「まだ触んないでよ?」
「おお〜」
ネイルポリッシュではなく、ただのベースコートに感嘆の声をあげる彼に爪に触るなよと釘を指して、彼が買ってきた新品の白色のネイルポリッシュを手を伸ばした。先程のベースコートのように余分なネイルポリッシュを落として、まずはネイルの落ちやすい爪の先端に塗布し、次に中央部分、最後にサイド。色が不足してしまったところには2度塗りをする。
「なんか…やり慣れてんなあ」
「そりゃどうも」
伊達に何年も続けてますから、と胸を張りたかったが今はふざけるほどの余裕は無い。
「りぃちょはどうして黒にしたの?」
話題が逸れると時折俺の心臓を抉るような質問を彼は無自覚に投げかけてくるから、気を張りめぐらせてしまう。
「なんで気になるの」
「ピンクのパーカーとか着てんだし、ピンクでも良かったくない?」
無自覚に人を傷つけて、無自覚に人を救うのが彼。嫌だと思った質問に曖昧な返答をしたり、逆に聞き返したりすると、俺が欲しかった言葉を偶に正面からぶつけてくる。ピンクでもいいじゃん、と答える彼にその気が一切ないのも分かっているけれど、ピンクを身に着けることを認められた事実は他の何よりも嬉しくて、彼のネイルをすることさえ忘れて舞い上がりたかった。
「確かに、ピンクでもよかったかも」
なんて心から全く思っていない言葉を口にする。本当、自分を隠すのが上手くなってしまった。と思いながら手を動かして、彼の右手のネイルポリッシュの塗布が終わった。ふう、と息をついて、次は左手に意識を向ける。
で、反射光には
待って、続けるんだ?w
え、駄目だった?
いいよ、結構おもろいラジオ感覚
それは良いのか?
…ぼちぼち?
まあ、続けるけん
ん
そんで俺はさっき反射光の数値を0から100の範囲として仮定したんだけど、そん中でも明るい色と暗い色を分ける閾値ってのが必要で、それは人によって全く違ってくるから色々大変らしい。だから今はりぃちょに合わせるから閾値はいくつ?
えー…真ん中の50とかじゃないの?
だから十人十色だって言ってるでしょ?w
あ、だから例えばせんせーが閾値を80と言ったとしても成り立つってこと?
そそ、まあ今は閾値が50と仮定するから0から49の範囲は暗い色。51から100は明るい色になる。
あれ?50はどうなっちゃうの?
そこが人によって変わるけん、pHとかの中性みたいな曖昧な数値は機械のプログラムで誤作動が起こったりする要因なんだってさ。
そうなんだと彼の言う豆知識にへえっと生返事をすると、彼はなんか興味無い?と少しばかり悄げている気がする。そう感じとっていると左手の塗布も終えて、次はネイルポリッシュが乾くのを待つだけだったが、およそ小一時間待っていると俺のやる気も削がれてしまうような気がして、ドライヤーで時短するかと思った。ネイルポリッシュを薄く塗ったことや彼の豆知識をきちんと頭に取り入れながら施していたのもあり、少しは乾いていた右手のネイルポリッシュ。それでもトップコートを塗るにはまだ早くて、ドライヤーの冷風を右手に15分、左手に20分。計35分間当てる。ドライヤーを使用している間は話してもきちんと聞いてくれないと思ったのか、彼は口を閉ざしていた。
ドライヤーをしながら、彼に施したネイルをじっくりと見る。目立った色ムラもヨレもないネイルにほっと息をついて、やっぱネイリストさんは凄いよなあ、なんて思った。ネイルをしている女の子と会ったりすることもあって、綺麗に繕えたネイルを見る度に色ムラなし、ヨレなし、そんな繊細な作業をおよそ1日に5、6回、年がら年中ずっと。神経を張り巡らせるような集中力を1日に何回も要求される作業が職な方は本当に凄い。勿論、セルフネイルの人もケアを日頃からしたりと尊敬することばかり。どこも色落ちることなく保たれた指先を食い入るように見つめ、尊敬するのが癖になってしまって、セルフネイルをし始めてからはその思いは益々溢れた。
時計を見ようと顔を上げれば、彼の姿を視界に捉える。流石に口を使わず、手も動かせないままの状況は彼にとって睡眠薬の1種だったようで、目を瞑って、うたた寝をしていた。そんな彼は寝ながらもドライヤーの冷風に時たま身震いをしていた。これ以上は彼の体にも悪いかと思いドライヤーを辞め、彼の手のひらを包むようにすると彼の手先は冷風を当てたこともあってかひんやりしていて、暖めてやろうと軽く手を握った。触れる手からはとく、とく、と規則正しく脈打っており、徐々に体温も取り戻していた。その感覚が彼の存在を強調させた。
「……んん…りぃちょ…?」
「ニキニキおはよう」
「おれ、ねちゃったか」
「心地よさそうだったよ」
「…うん」
半寝の状態でも俺と会話を交わす事実が手の温もりと鼓動に加え、彼の「生」をさらに強調させた。俺に警戒心を抱くどころかうたた寝するほどに信頼してくれているということ、彼のネイルを俺がしたということ、考えれば続々と出てくる事実に多幸感を与えられている。
そんなことを考えていればネイルポリッシュが乾いた。ここまで来たらネイルも終盤に差し掛かっている。トップコートを収納ケースから取り出し、ボトルから抜き出したブラシのハケに余分に付着したトップコートをボトルの淵に当てて落とす。そして、ベースコートのように爪の中央部分から先端に向けてトップコートを塗布し、塗り損ねたサイドにも目立つ凹凸ができないように塗った。先程とは違い静かな彼の方を見ると、目を輝かせて、なにか愛しいものを見つめる眦で自身の指先を眺めていた。何故だかそれがとってもむず痒かった。
ニキニキ、お話続けて?
うん……ああ、それでさっき言いたかったことなんだけど、黒が0で白が100でしょ?
うん
ほんで、りぃちょのネイルは黒で俺のネイルは白じゃん?
そうだね?
白と黒って対極で俺らのネイルの色も対極やけんさ、なんか、あれじゃん…
多分それ1番大事なとこw
ふはw
夢現な彼はふわりふわりと言葉を連ねて、頭が回らないと言わんばかりに「もう言いたいことよくわかんねえ」と笑う彼に少し呆れた。思い出したら伝えると言われ、彼が思い出すまでの間に集中力して彼の左手の小指へトップコートを塗布する。漸く終わったネイルに肩の力が抜けた。
「対極同士がお揃いなのめっちゃ良くね?」
突如、思い出したという顔をして彼は声高らかに、俺がしたネイルをひけらかすように、俺の方を向いて言葉を連ねた。
対極同士のお揃い
その言葉はあまりに俺らとは不釣り合いだ。ボケとツッコミで例えたら俺らは互いにボケだし、所属グループも同じ。対極ですらないし、お揃いすぎる俺たち。ひとつでも対極らしいことは無いのかと考える。
ああ、彼はピンクが好きじゃないや。
ここだけは彼は俺と違う。そんな彼にピンクが好きなんだと伝えても拒否されないことも分かる。それは彼だけじゃなく、女研のみんなもきっと受け入れてくれる。それでも俺が伝えれないのは、自分の好きを否定される恐怖じゃなくて、自分の好きを伝えた時「自分の核」とも言えるそれを軽くあしらわれるのが嫌だから。
「どうよ?」
俺が返事をすることなく無言で居たためか、それとも俺の反応によっぽど興味があるのか問いかけてくる。俺が思うに対極ってのは引き合うもの。でも、俺らは引き合うどころか近づき合ってる。
「対極同士のお揃い…ね」
でもまあ、彼がそう言うのならそういうことにしようじゃないか。
「…まあ、悪くない」
彼のおかげで、人生で初めて黒も悪くないと思えた日なのだから。