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最悪の気分で職場に着くと、息つく間もなく社長室へと呼び出された。 何事だろうかと訝しむ暇もなく、応接セットのソファへ座るよう促される。
そこには、既に到着していた片桐課長と、身体に馴染んだ仕立てのいいスーツを着こなした一臣、さらには人事部トップの小鳥遊(たかなし)が待ち構えていた。
この顔ぶれを見た時点で、もう嫌な予感しかしない。
「おはようございます。朝早くからお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」
開口一番、小鳥遊は穏やかな笑みを浮かべて謝罪を口にした。
「いえ、私は別に構わないのですが……」
ちらりと視線を動かすと、一臣は理人と目が合うなりニヤリと不敵に笑い、隣に座る片桐は「弱ったな」と言わんばかりの困惑した表情で理人を見つめていた。
「実は、こちらにいらっしゃる桐島君を、鬼塚部長の部署で正式に受け入れていただきたいと思いまして」
「……は?」
全く想像していなかった通告に、理人の口から間の抜けた声が漏れた。
「突然で戸惑われるのは無理もないと思いますが、どうか前向きにご検討いただけないでしょうか」
「ちょ、ちょっと待ってください。あまりにも急すぎませんか? 一体なぜそんなことに……。確かに一人、欠員は出ていますが」
「俺が叔父さんに頼んだんだ」
それまで沈黙を守っていた一臣が、傲慢な響きを孕んだ声で口を開いた。
「昨日のあんたのプレゼンを聞いて思ったんだ。あんたの下で働いてみたい、ってな」
(……絶対に嘘だろ)
理人は直感的にそう確信した。それらしい理由を並べてはいるが、実際はただの興味本位か、あるいは昨日の続きを楽しもうとしているだけだ。 それに、形式上は打診されているように見えるが、人事のトップまで同席している以上、これはもはや決定事項なのだ。
「……『あんた』じゃなく、鬼塚だ。ったく、これだからボンボンは困る」
盛大な溜息と共に理人がぼそりと零すと、一臣は満足げに口角を上げた。
「いいですよ。引き受けましょう。――ただし、私の部下になるというのなら、たとえ身内だろうと忖度は一切しません。容赦なく他の社員と同じように扱わせていただきますが、それでもいいんですよね? 小鳥遊さん」
「え、ええ。はい……。そこは、現場の判断にお任せします」
理人が釘を刺すように尋ねると、小鳥遊は一瞬その剣幕に怯んだものの、すぐに力強く肯定した。
この会社において、部下は上司の命令に絶対服従だ。理人のように年齢に関係なく、実力さえあれば道は開ける。だが、その逆もまた然りだ。
「その言葉が聞ければ、結構です。片桐課長、行きましょう。……では、失礼します」
全く、面倒なことになったと内心で毒づきながら席を立つ。瀬名とのことで精神的にボロボロだというのに、そこへ一臣という巨大な爆弾が投げ込まれるなんて、不安要素以外の何物でもない。
「……はぁ」
「鬼塚部長。溜息ばかり吐いていると、幸せが逃げてしまいますよ」
「……この、胃に穴が開きそうな状況で、平常心でいろと言う方が無理だと思いませんか?」
じろりと睨むと、片桐は乾いた笑いを漏らし、お手上げだと言わんばかりに肩を竦めた。
重い足取りでオフィスへ戻ると、デスクには眩しいほどの朝日が差し込み、皮肉なことにその上には山のような書類が積まれていた。
窓の外の空は、憎らしいほどに青く澄み渡っている。どんなに心が泥濘(ぬかるみ)に沈んでいても、無情にも仕事は待ってくれない。
理人は本日何度目かになる深い溜息を吐き出し、キリキリと痛む胃を片手で押さえながら、パソコンの電源を入れた。