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廃墟のように沈黙した会議室。
そこに
重さのある足音がゆっくりと響いてくる。
乾いた靴音は
まるで耳に刻印を押されるように
一歩一歩、確かな恐怖を刻んだ。
その歩き方──
背筋を一切揺らさず
間合いを測るように均等で
無駄のない足取りは
かつて幾人ものハンター達の命を奪った
〝王〟のそれに他ならなかった。
そして、姿を現した彼は──
神父だった。
艶を抑えた黒のカソック。
身体に沿うように仕立てられた
細身のシルエット。
だがそのどこにも〝慈愛〟の影はなく
顔に浮かんだのは皮肉に満ちた薄い笑み。
その男──
アラインが、無言のまま会議机の中央に立ち
両手をテーブルの端に置く。
カッ──と、乾いた音が鳴った。
その瞬間
列を成したハンター達の間に
一斉に緊張が走る。
机の天板を走る微細な振動。
アラインが〝僅かに〟眉を寄せただけで
全員が「掃除が甘かったか」と内心で青ざめ
喉元が強張るのを感じた。
「──久しぶりに顔を出してみれば⋯⋯
随分と寛いでいたようだねぇ?」
その声音。
静かで、なめらかで
まるで悪戯を囁くような音色。
だがそこには
かつて自分たちを震え上がらせた
〝冷酷〟が、確かにあった。
一瞬にして、全員の背筋が硬直する。
喉の奥が渇き、唾を飲む音さえ憚られる。
「まぁ、キミたちを咎めるつもりはないよ。
待機指示のまま放っておいたのは
ボクだしね?」
アラインはふっと肩をすくめ
ポケットから折り畳まれた紙束を取り出す。
そこには名が記されていた。
「これから名前を呼ぶ三名は
後ほど第二控え室に行くように──」
名前が読み上げられるたび
呼ばれた者は理解できないまま口を開く。
「──ハッ!」
軍隊のような大声。
それしか返答の選択肢がないことは
本能が理解していた。
三名が名を呼ばれ
部屋の空気がさらに張り詰めたその時
アラインは書類を机の上に戻し
微笑んだまま言った。
「さて、本題に入ろうか。
──慈善活動団体
ノーブル・ウィルの同志諸君」
その場にいた者たちの背筋がさらに伸びた。
彼は、ゆっくりと胸元に指を添え
黒のカソックの布地をなぞる。
「⋯⋯もう、面倒だから
周知しておこうと思うんだけど。
──ボクの中には、もう一つの魂がある。
簡単に言えば、共生してるんだよ」
全員が息を呑んだ。
「噂は、聞いてるんだろう?
今こうして話してるのが〝ボク〟
普段、神父をしているのが
そのもう一つの魂。
──名は、ライエルだ」
静寂。
だが──
その沈黙を破ったのは、軽はずみな声だった
「に、二重人格⋯⋯みたいなもん、ですか?
信じろって言ったって、それは──」
声が跳ねた瞬間、空気が凍った。
両隣の仲間が即座に顔を引き攣らせ
反射的にその男の口を塞ぐ。
だが──遅かった。
アラインの笑みが、ふっと消えた。
次に視線を上げた時
彼のアースブルーの瞳は
氷のように細められていた。
静かな怒り。
「ふふ⋯⋯
寛ぎ過ぎて、忘れちゃったのかい?
──ボクを〝信じない者〟の結末を」
瞬間
アラインの姿がふわりと壇上から消えた。
誰の目にもはっきりと見えたわけではない。
ただ──
気が付けば、
彼はもう整列する男たちの列の中に
立っていた。
「そのまま──押さえてなよ?
何があっても、ね?」
低く、しかし命令であることを
否応なく理解させる声。
アラインの指先がカソックの腰へと滑る。
神父服の内側
誰も気付かなかった隠し構造。
そこから、音もなく抜き放たれたのは──
艶消しの刃、Zwillingsrichterの片割れ。
Urteil──裁き。
その鋭利な刃が、素早く音もなく──
口を滑らせた男の首筋へ
ぴたりと押し当てられた。
ぞっ──と
その周囲の空気が震えた。
丸腰だと思っていた神父の姿に、刃がある。
その事実だけで
全員の背に冷たいものが走る。
「うっ⋯⋯あ、ああ⋯⋯!」
男が震え、肩を強張らせる。
押さえる両隣の男たちも
驚愕と恐怖に硬直しながらも
命令通り──
必死に暴れる彼の腕を、押さえ込んだ。
アラインは
そのまま喉元へ押し当てた刃を微動だにせず
淡く、笑う。
「善意の団体?
あぁ、確かにそう。
でもね──信じるべきものを間違えたら
キミ達はまた、あの裁きを知ることになる」
その一言は、会議室の誰にも
決して忘れられぬ〝記憶〟として刻まれた。
「ふふ⋯⋯
キミ、綺麗な瞳の色をしてるね?」
柔らかな声音が、耳元で囁かれる。
「澄んだ鳶色⋯⋯
まるで、迷いのない光のようだ」
その声は甘く、優しく
まるで愛を囁く恋人のような響きだった。
だが──
男の喉元には
艶を抑えた黒鋼の刃
Urteilが押し当てられていた。
アラインの左手は確かな角度で刃を固定し
男がわずかにでも動けば
気道を穿つ死が待っている位置にある。
アラインは
そんな絶妙な
〝生と死の境界線〟を楽しむように
右手をゆっくりと持ち上げた。
押さえつけられた男の顔は、恐怖に歪み
反射的に目を強く閉じていた。
その瞼に──
アラインの指先が、そっと触れる。
「ねぇ、怖いの?
⋯⋯でもさ、ボクは
キミに優しく触れてるだけだよ?」
撫でる。
何度も、繰り返し。
幼子をあやすように、
恋人を甘やかすように。
「ア、アライン様⋯⋯
すみません⋯⋯っ、俺、俺は⋯⋯!」
口走る謝罪。
震える声。
だがアラインは
その謝罪を聞いてなどいなかった。
むしろ──
彼の瞳の奥に、誰か別の面影を重ねていた。
瞼を撫でていた指に
ふと、わずかな〝圧〟が掛かる。
ぐっ──
一瞬、男の全身が強張った。
「⋯⋯ふふ」
アラインの口元が、わずかに綻んだ。
だがその笑みは冷たく
優しさの仮面を被った
〝処刑〟の前触れだった。
ぐぐぐっ──
指先に、さらに力が込められる。
瞼が、皮膚ごと押し込められ
その下の眼球が
まるで潰される寸前の果実のように
圧に悲鳴を上げていた。
「やめ⋯⋯ッ!あ⋯⋯っ、ああああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!!」
瞬間。
ぶしゅっ──!
肉が裂ける音と
飛び散る体液と
断末魔のような絶叫が
狭い会議室の空間を引き裂いた。
男の身体が跳ね上がり
それでもなお両脇の者たちは
歯を食いしばりながら
必死に押さえ込んでいた。
その目から
白濁と赤黒い液が混ざった粘性の高い体液が
頬を伝い、首元へと滴っていた。
「⋯⋯あの瞳も
いつか、こうしてあげたいな」
アラインは
男の失われた片目を見下ろしながら
ぽつりと呟いた。
だが、それは
今ここにいる男に向けた言葉ではなかった。
──彼の心の奥に住まう〝あの男〟への
冷たく、狂った、独白だった。