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イチャイチャ。
という表現がやはり相応しいか。
「有夏の唇、やわらかい……」
互いの口の中をかき回し、唾液を交換し呑み込む。
舌を舐めて絡めて。
最後は唇を軽く合わせて終わる、いつものくちづけ。
日に何度か行われるその行為だが、今は夕食の支度まで少し時間があるからか、幾ヶ瀬のキスは執拗だった。
何度も音をさせて唇を犯しながら、Tシャツの上から有夏の身体を撫でまわす。
「んん……」
有夏が僅かに身を引いた。
「なに、幾ヶ瀬。するの? いま?」
「え、しないの?」
その気がなかったとしても、思わず欲情してしまうキスだったのに。
「ん…別にいいんだけど。何かねぇ…何かねぇ……?」
有夏、浮かぬ顔だ。
幾ヶ瀬は眉をひそめた。
「嫌ならしないよ? どうかしたの、有夏?」
「んー……特にイヤでもないけど。別にどっちでもいんだけど?」
どうにも煮え切らない返事だ。
「なんていうか、幾ヶ瀬が……」
「なに? 俺が何かした? キスしたのが嫌だった?」
戸惑いの思いからか、語尾が掠れた。
「ぅうーん……」
そんな幾ヶ瀬をチラリと見やって、有夏。肩を竦める。
「だって幾ヶ瀬、有夏に当たり前みたいに…セッ、セッ……するし。ちっとも有り難がってないし。何かこう…何かねぇ……」
セックスとはっきり言えないらしい。
それなのにセックスのマンネリ化に不満を抱いているらしい。
「最初のころは幾ヶ瀬、優しかったし。有夏に色々話しかけながらってか。気遣ってくれてるのが分かったってか。うんー……?」
幾ヶ瀬は明らかに焦った様子。
「そ、そりゃ最初の頃は俺も緊張してたし。でも今も優しくしてるつもりなんだけど……」
「ぅうーん……」
ドサマギで顔を近づける幾ヶ瀬。
有夏はその額を押さえつけてグイと押しのける。
「そもそもなんだけど。有夏たち、何回したっけ?」
「いや、回数はちょっと……」
「回を追うにつれて幾ヶ瀬、雑になってく」
「それは……、そんなことは……」
口ごもり狼狽してるのかと思いきや、幾ヶ瀬は一瞬ポッと頬を染めた。
回数かぁ、なんて呟いている。
「けど本当に何回になるんだろ。そもそも俺達、何年? 4年ほどになるよね」
「うん? さぁ……」
「最初の10回くらいまでは覚えてたんだけどな。だんだん分かんなくなってきて。一晩で何回したかも分からなかったりするし。あぁっ、俺惜しいことしてる! ちゃんと数えてメモっときゃ良かった。体位ごとに統計とっときゃ良かった」
「…………何の統計」
「いや、待って待って。対面座位が一番多くない? それは間違いないよ。有夏だって好きでしょ、ね?」
「………………幾ヶ瀬」
「いやその……ごめん。気になって……」
それでも回数とか統計とか。
幾ヶ瀬、頭の中で数字がグルグル回っているのが分かる。
「日中、脳内でも再生してるし。本当に回数まではちょっと……。1回いくらとか金がかかるんだったらちゃんと覚えてるし、家計簿にもつけるんだけど」
「家計簿って……何の項目だよ。あー幾ヶ瀬のそういうトコ、キライだわ」
脳内で再生も、家計簿につけるも引っかかるが、しかし有夏は金がらみで過剰な反応を示す幾ヶ瀬のそういうトコに顔をしかめた。
「1回いくらって……下品だな。え、それってもちろん有夏が貰う方でいいんだよね」
呆れ顔での問いかけに、しかし幾ヶ瀬は真剣な表情を崩さなかった。
「それはまぁ……通常であれば、俺が有夏に払うってことになるのかな。でもお互い良い思いをしてるんだから、そういうのは気にしなくても、ね?」
「………………」
「そもそも1回ってどういうこと? 一回射精したら終わりなの? その後また2回目始めたら料金は×2ってこと?」
「……知らねぇし」
長考に入った幾ヶ瀬を見やる有夏の視線は冷たい。
くだらねーと顔に出てしまっている。
「出すのをとにかく我慢して、長時間楽しむってのが理想かな。いや、料金体系でいうなら1晩幾らって方がいいか。1晩抱き放題、挿れ放題、射精し放題」
「……最ッ低だ、コイツ」
完全に引いてしまっている有夏の態度にも気付かない。
金の絡む思案に入った幾ヶ瀬は、誰が何と言おうと真剣なのだ。
「待って待って。一晩って何時間? 日没から日の出まで? 夏と冬では夜の長さが異なるから、同じ金額ってわけにはいかないよね。だいたい日中にだってするんだし。夜に始めて昼に目覚めてもう1回って。よくあるもんね。なぁ有夏、どうしよう?」
「……どうしようって聞かれても、このヘンタイをどうしてくれようとしか言いようがないよ」
てか、下らねんだよッ! と叫ぶ有夏を、まぁまぁと宥める幾ヶ瀬。
性分なのだろう。
金の絡む問題に明確な決着がつかないというのは、どうにも気持ちの悪いもので。
「1時間いくらって金額設定して、客が時間を指定するってのが妥当かな。もちろん延長アリで。そもそものシステムを構築しないと。なっ、有夏……グハッ!」
空気が潰れるような悲鳴。
有夏の掌底が幾ヶ瀬の側頭部をはたいたのだ。
「客って何だよ。有夏に客とらす気かよ。1人で転職しろ! コックやめて、そ・ゆう店でもすりゃいいんだ!」
いちいち「な、有夏」と同意を求められるのが余程に鬱陶しかったようだ。
もう一度幾ヶ瀬の頭を叩く。
いやいや、転職ってのはエネルギーを使うもんだから、当分はちょっと考えられないよと頭をさすって苦笑いを返す幾ヶ瀬に、堪えた様子はないが。
彼にとって可愛い有夏が怒ったところで、それはやはり可愛いものでしかないのだ。
「じゃあさ、有夏。ここをそういう店にしない?」
「は?」
「は? なに?」
「は? 意味が……」
有夏の声がどんどん低くなっていく中、幾ヶ瀬の表情はいつになく明るい。
「有夏がこの店のNo.1で、俺が馴染みの客って設定で」
「キモイキモイ! 何言って……」
「だから、そういう遊びだって。たまには面白いでしょ。有夏だって変わったことしたいって言ってたじゃない」
「……変わったことしたいなんて言ってない」
有夏の苦情を軽く無視して、幾ヶ瀬は続ける。
「どうせなら夢のイタリアを舞台にしようよ!」
べつに有夏はそんな夢持ってないという反論は、もう幾ヶ瀬の耳には入っていないようだ。
「ルネッサンス末期のイタリアの男娼専門の売春宿で、客層はそこそこの金持ちって感じ。とんでもなく高級な所ってわけじゃないけど、庶民が行けるようなレベルでもないと」
「キモ……」
何だか設定に凝りだした。
「有夏、名前はどうする?」
「なまえ?」
「ほらぁ、源氏名っていうの? ヨーロッパっぽい名前考えてよ」
「何で有夏が……。じゃあ、メッシ」
「……めっし? サッカーの? え? 今頃?」
「うん、メッシ」
「そ、そう……」
アルゼンチンの選手だし、第一「メッシ」は苗字だ。
「……有夏がアホなのを忘れてたな」
「は?」
小さな声を聞き咎めて有夏が口をとがらせる。
「うん、アリカでいいか」
ノリに乗ってる幾ヶ瀬、勝手に命名した。
「アリカは男娼専門の娼館の売れっ子ね」
「う、うん?」
イタリアとか客層がとか言い出したあたりから、有夏は呑まれてしまっているようで。
うわ言のように「キモイキモイ」言いながらも、素直に頷いている。