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俺には___常々、疑問に思っている事がある。
なぜ世間的に分別あるとされる「大人」という生き物は、「余計な事をしない」という消極的な行為を推奨するのか、という些細な物だ。
それが、それだけが、俺にはどうにも理解できない。運悪く失敗しただけで「余計な事」なのか?それは違うだろ。
「だから俺は諦めない。あんたの理屈を飲み込まない。知りたい事を知るまで、何度だって聞き続ける。生憎、やらない後悔よりやる後悔ってのが俺のポリシーなんでね。」
彼女の論理とは違う、使い古されたチープな言葉。俺はまだ、俺だけの“異常”を得てはいない。
___父母に怒られた記憶がよぎる。思えば俺は昔から、「余計な事」と言われるような行動ばかりしていた。俺なりの余分を得ようとして、失敗した結果たちだ。自覚していないなりに、俺の全ては“異常”を欲していた。
キッと見返す。俺の“異常”を。祖父が見たものとは違うだろう。だからこれは俺の、俺の為にある“異常”。
いつの日か絶対に手にすると、俺がこの月下で目に焼き付けた“異常”。
彼女の髪が風に揺れる。浮かされたような俺の思考とは対照的に、熱もなければ感情の色もない鋭利な漆黒の視線。それは相も変わらず冷静に、こちらを見据えている。瞳は揺れる事もなく、逡巡する事もなく、ただただひたすらに真っ直ぐだった。
時が止まるような一瞬だった。息もできないような永遠だった。この時だけ、俺たちの夏はメビウスの円環状だった。
冷たくて昏い、彼女と同じ刃のような月の光が辺りを照らしていた。死体に群がる蠅が、こちらにまで近づいてきた。それらはまるで時計の針のように、俺の上を廻る。
『なんかこの光景、アニメやなんかで見た事あるぞ』だとか、『蝿って結構目が大きいんだな』だとか、はたまた『この間の土用の丑の日で食べたうな丼は美味しかったな』だとか___もはや制御できなくなった『俯瞰』の俺が、好き勝手に感想を述べていたその刹那。
「成程。其がオマエの回答か。少なくとも先程のお為ごかしよりは幾分マシだ。だが___」
___惰弱に過ぎる。
俺の目の前を、漆黒の何かが覆う。
それが彼女の髪である事を理解するまでは数秒必要だった。
だが、そこから___彼女が異形を切り裂いたプラスチックの刀が俺の頸筋に突きつけられている事を知覚するまでは、大した時間は掛からなかった。
気がつけば、ドサリと地面に倒れ込んでいた。足が震えて、心臓が暴れて、とても立っていられない。バケモノに相対してなお流れなかった走馬灯___押す必要のなかったスイッチ、その先にあった怪我、言う必要のなかった言葉、その先にあった心の奥___俺の余分の日々が、目の前を過ぎ去っていくような気すらした。
でも違う。今その記憶たちは混濁していて、その全てが目の前の少女に塗り替えられている。
彼女が、彼女こそが、俺の十六年の全てに打ち勝つ“異常”だった。俺の十六年が求めてやまなかった“異常”だった。
皮膚がパリパリと凍っていくような錯覚があった。見ると、彼女が口を開くところだった。それはまるでコマ送りのように俺の目に映り___見方を変えれば、ロボットのようにも感じられた。
「オマエの其は所詮、歪な机上の空論に過ぎない。力なき理想は塵だ。屑だ。無意味な理想を掲げるな。」
無感情な表情。無感動な声音。それでもどこか後悔を滲ませるように、俺には何もできないと吐き捨てるように___そんな風に聞こえた理由を、考えている暇も与えず、彼女はなおも言い募る。
「オレはオマエを容易く殺せる。理想如きを根拠にした愚にも付かない言の葉をオレにワザワザ説くな、愚図が。」
硬質な刃。透明な殺気。その奥に何かしらの感情が潜んでいるとしても、叩き上げた鍛冶屋がいたとしても___それは、振るわれる側には分からない。分かるわけがない。
「___だから、なんだ。」
は?と、力が抜けたような、呆れたような声が頭上から聞こえる。ざわざわと靡く木々が止まった。完全な無風だ。風の神すらも呆れるような台詞だったらしい。
それもそうだろう、天井の俺は、少し引いている。『馬鹿げている。』『どうかしている。』と俺を罵っている。
でも俺は___やっぱり、知りたいという欲求を満たすまで止まらない。
「俺はただ知りたいだけだ。力があろうと無かろうと、意味があろうと無かろうと気にしない。俺は止まらない。そういう事にした。」
「其は___この場で、オレに咽喉を掻き斬られても、か?」
「あぁ。」
一瞬の交錯。それは視線で、それは心で、それはお互いの背景。理解とも共感とも違う、その先の『共鳴』。
彼女の考えている事、次の一挙手一投足、瞬きで伏せた目の光までもが全て、手に取るように分かる。呼吸のタイミングさえ同期していて___俺の心音は、そのまま彼女の鼓動だった。
あぁ、間違いない。今なら自信を持って言える。彼女は、心底から俺みたいな馬鹿が嫌いなんだ。ただ、それがちょっと表に出ないだけで。
少なくとも今この状況において、俺たちはお互いに思考を共有している。だから、これは『共鳴』だ。
美しくて、切なくて、それでも理外で、お互いがお互いを汚染していて、造り替えていて___そんな、俺/彼女の非日常。
その上で、彼女/俺はこう言い切った。
「オレは。オマエの熱が嫌いだ。オマエの余分が嫌いだ。」
「俺もだ。あんたの冷静さが嫌い。あんたの理屈が嫌い。」
木々の騒めきは止まっている。でも蝉は相変わらず鳴いているし、ゴミを漁り終えた鴉は飛び立って行ったし、蚊は俺の周りに群がっていて、そして___それらに隠れる事も無く___饐えた、死体の匂いがする。
プラスチックの刀は、間近で見てもやはりチープだった。透明な水色で、金属では絶対にあり得ない色合いだった。それでも変わらずプラスチックの塊は透明な殺気を放っているし、彼女は月を背負っていて、しゃがみ込んだ俺の目の前で、その透明な凶器を振り翳していた。
異常。異常。異常。異常。異常事態を脳が告げていた。ずっとずっと告げていた。多分、この神社の奥に踏み込む事を決めてからずっと。
ぐるんと世界がひっくり返る。幽体離脱のような感覚。今この場で彼女に刀を突きつけられている怯えた俺と、俺の真上からこの光景を眺めている俺。真上の俺から見ると、この状況もどこか滑稽で笑いたくなってしまう。どうしようもなく戯画的で愉快だ。
だがいつもみたいな、単なる感覚じゃない。本当に、本当に、今の怯えた俺にとっては___体内で蠢く心臓の、今なお送られ続ける血液の、その末端の末端まで___真上から見ている『俺』も、真実だったんだ。
漫画の中ではよくある風景。実際にはあり得ない筈の風景。静寂だけが辺りを満たす。月光のベールが辺りを覆う。
俺の『俯瞰』は、ここに来て最高潮に達した。
「そうか。ならば___死ね。」
「あぁ。___望む所だ!」
そうして___彼女は俺に向けて、冷静なままに狂気をぶつける。逡巡もなく、揺らぎもなく、彼女の冷たい刃が大上段から振り下ろされる。月の光が差している。頸筋に当たるまでコンマ数秒もない。だがプラスチックの場違いさも、涼やかな鈴の音も、月下の少女の理外の美しさも、全部全部全部___俺には、俺たちには、俺のような何かには___視る事ができた。
その引き伸ばされた知覚とは対照的に、体はやはり動かせない。いいや、動かす必要がない。今なお彼女と共鳴している心臓の躍動すら、遙か遠くに思えた。
だって___俺はこの夜、この神社で、“異常”に、彼女に、触れてしまったのだから。魅入られてしまったのだから。
例え今日何事もなく家に帰れたとしても、その内きっと今日の出来事が気になって気になって気になって気になって耐えられなくて我慢ができなくて知りたくて解りたくて触れたくてもう一度見たくて、そして___そしてきっと最後には、気が狂ってしまうから。
ならいっそ、ここで、この夜の中で死んだ方が___きっと、幾分か幸せだ。
瞬きで目を閉じるのも勿体無い。
怯えてきつく瞑るのなんてもってのほかだ。
俺は決めた。最期の瞬間まで、この“異常”を目に焼き付ける。目を逸らさない。逸らしてやらない。もう逸らせない。感情の欠片すら覗かせない真っ直ぐな漆黒の眼の中には、満面の笑顔と言うには少しだけ目がキマりすぎている俺が写っていた。
永遠にも思える一瞬の中で、彼女のスローな動きが完結する。プラスチックの塊が俺の頸筋に当たる。想像通り刃が食い込む。その理由も、気になって気になって仕方がない。閑かな月の光が、鋭い月の光が、俺を刈り取る。ヒトガタに殴られた時とは、比べ物にならない大量の出血。元々泥とゲロと腐った組織液で汚れていた甚兵衛を更に上書きするように、真っ赤なソレでびしょ濡れになる。
だが___その殺意が頸動脈に届くかと思われた刹那、周囲の空気が変わった。
「はいはい、そこまで!ストーップ!!」
___寸前で、誰かが神社の屋根に降り立ったらしい。
瞬きする暇も、呼吸する暇すらもなく、ただ一矢だけが放たれた。それは少女の殺気を阻み、俺の終わりを先送りにする。少女の仮面の、鈴の音が止む。動きを___止めた。
ストン、と誰かは社から飛び降りて、そのままツカツカとこちらに歩み出す。
月光に照らされて見えたのは、黄色い和装に身を包んだ灰色の髪の少年だった。彼の手には大きな大きな日本弓が握られていて、俺の死を防いだ原因である矢も、同じものが大量に腰の矢筒に刺されていた。
「ったくもう、副長ってば何やっちゃってんの!? 一般人相手でしょーが! バディのアンタが人殺したら、俺も始末書になっちゃうの!!」
そう言って、彼は俺を切り裂いた少女に呼びかける。
「知らん。此奴が殺せと云った。問答なんて無駄だ。」
このおバカぁ!!そーゆーモンダイじゃないでしょーがぁ!!と叫びながら、少年は少女の浴衣の襟首を掴んでぐらぐらと揺すぶっていた。助かる気なんてなかったけど、生きているのは儲けたな。これでまだもう少し、俺の好奇心を満たす事ができるかもしれない。
___その前に、大量出血で死にそうだけど。
うん、それは嫌だな、なんか。一思いにあの少女に頸を落とされるならまだしも、殺され損なった挙句に俺が人間であるせいで勝手に死ぬのはちょっとごめん被りたい。そう考えると俺も大概、自己中心的だ。
ドサリ、と地面に倒れ込む。少しでも首から溢れる血を止めようと、自らの首を絞めた。その音で振り向いたのは、少年ただ一人だった。
「だー!! こんなコトしてるヒマ無かったよ!! 死にかけてんじゃんお前ぇ!! なんか言いなよ!! 死にたくないとかさぁ!!」
えっとぉ……治療薬ドコだっけかなぁ……とぼやきながら、少年は自分のバッグを漁っている。霞んでいく視界の中で、相変わらず月の光だけは綺麗に見えていた。