さ、次に向けての下準備。
りょさん視点。
ぎゅぅ、と強く抱き締めてくれた相手が誰かなんて、確認するまでもなかった。
だって、僕の脳が求めている。僕の心が覚えている。
僕に幸せと安らぎをくれる存在なんて、この世に大森元貴しかいないんだから。
恐る恐る目を開けると、思い描いた通りの人物の後頭部が見えた。
たったそれだけの情報なのに、あんなにも湧き上がっていた嫌悪感や吐き気がおさまっていくのを感じ、自然と身体から力が抜けていった。
「……なにしてんのほんと……」
珍しく焦ったような、それでいて怒っているような、だけど安心したような、やっぱり呆れたような……なんとも言えない感情をないまぜにした少し震えた声は、間違いなく元貴のもので、僕はホッと息を吐いた。
なんで元貴がここにいるかわからないけれど、安心して泣きそうになりながら抱き締め返そうとしたとき、しんと静まり返った周囲にハッとする。
今撮影中だ! ……あれ、なんであのモデルさんあんなところで尻もちついてるんだろ? 無意識のうちに突き飛ばしちゃったのかな……ってそうじゃなくて!
わたわたと慌てる僕を元貴は離す気がないのか、さらに強く抱き締めてくる。
うぐ……、嬉しいけど苦しいし、仕事中に何してるんだって話だよ!
「も、もと」
「カメラ見てて」
「え?」
「いいから」
突然の売れっ子歌手の登場に呆然と立ちすくむたくさんの人にじっと見つめられる。やばいやばいと焦る僕の耳元で元貴は、冷静な声で低く命じた。
助言でも指示でもない命令に、言われた通りにカメラに視線を送る。
すると、ハッとしたカメラマンさんがすごい勢いでシャッターを切り始めた。バシャバシャと音が鳴って光で目がチカチカする。
今までにない気圧されそうになる音と光に他の人も我に返って、弾かれたように自分の仕事を再開した。
少し身体を離した元貴が瞬間的に僕を見つめた後、画角に自身の顔が入らないように背を向けたまま、親指で僕の口元に触れた。
鮮やかなままのリップを指の腹で拭い取るような仕種をしてみせたとき、カメラマンさんがこれだ! と叫んだ。
え、どれ??
それからまた数十回フラッシュがたかれて、カメラを下ろしたカメラマンさんが、興奮冷めやらぬ様子のまま僕らに駆け寄った。
「いやぁ、最高の一枚が撮れました!」
怒られたって仕方がないはずなのに、にこにこと右手を差し出される。
ぽかんと口を開けた僕がその手を取る前に、立ち上がって振り返った元貴が握り返した。
それに対してカメラマンさんは喜びを全面に出し、感激を露わにして元貴を抱き締めそうな勢いで左手も添えて両手で元貴の手を握り締める。
きらきらと嬉しそうで楽しそうな表情は、ものづくりに関わる人全般がよく見せるものだ。納得のいく楽曲となったときの元貴の目とよく似ていた。
「大森さんですよね? さすが制作に関わっていらっしゃるだけある! 最高の一枚になりました!」
「それはよかった。あっ、申し訳ありません、乱入してしまって……」
僕に背を向けた元貴の表情は分からないけれど、声はすごくよそゆきのもので、申し訳なさそうに眉を下げているんだろうなと思い浮かべる。主演俳優を務めるくらいだもの、そのくらいの演技はお手のものだ。
狙い通り作られたしおらしい態度の元貴に、カメラマンさんはとんでもないと首を振り、最高を作り上げることができました、といい笑顔で感謝している。
「藤澤さんもお疲れ様でした。あなたと仕事ができてよかった」
改めて僕と握手をしようと手を伸ばしたカメラマンさんに、これ以上呆けてもいられないと手を伸ばそうとすると、その前に流れるような自然な動作で元貴が間に身体を割り込ませた。
「え、大森さん?」
「すみません、うちの藤澤、体調を崩してしまったみたいなのでこのまま連れて帰らせてもらいますね。あとのことはマネージャーに一任しますが、使用する写真に関しましては必ず事務所の許可を取るようにしてください。意に沿わないものであった場合、どのような条件を積まれても許諾いたしかねますのでご承知おきください。あと、今後の参考にしたいので全写真データをいただけると助かるんですが」
きょとんとするカメラマンさんに、穏やかな声音に申し訳なさを滲ませているくせにすごい量の要望をまくし立てる。
きょとんからぽかんに表情を変えたカメラマンさんに僕と元貴のマネージャーさんが飛んできて、慌ててフォローを入れた。急なモデルさん起用の件についてはきっちりとクレームも入れていた。
それで思い出したように元貴がわざと焦ったようモデルさんに駆け寄る。流石に立ち上がっていたけれど、急に邪魔をされたことに不満げな表情をしている。
「すみません、思い切り引っ張ってしまって! 衣装、駄目になっていませんか?」
あ、モデルさん突き飛ばしたの僕じゃないんだ、良かった……いや良くないな、元貴なにしてんのよ。
しかも怪我の心配じゃなくて衣装の心配って失礼すぎでしょ!
僕も謝らなきゃ、と立ち上がる前にモデルさんに何かを耳打ちした元貴が戻ってきて、自分のジャケットを脱いで僕の前に跪いた。
さっきまで怒っているように見えたモデルさんの顔は蒼白になっていて、何を言ったの? と元貴を問いただす前に元貴のジャケットを肩にかけられる。
「……ひっ」
元貴の顔を改めて見て、僕はたまらず息を呑んだ。
傍から見れば体調を悪くしたという僕を気遣う動作。やわらかに微笑みながら、立てる? と訊く姿にメンバー想いだなぁとほっこりしている空気を肌で感じる。
「行くよ」
やさしいのに有無を言わせない絶対的な圧力を持った声音に、こくこくと頷く。
立ち上がった僕を支えるように腰を抱いた元貴が、お疲れ様です、と僕に代わってお礼を述べる。
どうしよう、どうしよう……めちゃくちゃ怒ってる。
俯いて歩く僕はさぞ体調悪く見えるだろう。お大事にしてください、なんて心配されてしまえるほどだ。
元貴に導かれてよろよろと歩き始める。
カメラマンさんと話し合っているマネージャーさんの近くを通り過ぎるとき、元貴が目線を送った。マネージャーさんは背筋を伸ばして小刻みに頷く。
スタジオを出ても無言のままの元貴に引きずられるように歩き、大森元貴様と書かれた楽屋に入った瞬間、ソファの上に突き飛ばされた。
「さてと」
かちゃ、と鍵の閉まる音。
貼り付けたような笑顔の元貴の顔を見上げる。
「言い訳を聞こうか? 涼架」
さ、お待ちかね(?)の激重さんがやってきます。
なんて耳打ちしたかが悩みどころです。
コメント
13件
♥️くんのしたたかさと重い愛情が同時に伝わり、ドキドキわくわくしちゃいました🤭笑顔で要求多いとか最高ですね!笑
いやぁぁぁぁぁぁ 最高すぎる!続きがまじで楽しみ!
あー、良すぎます 次回が楽しみで夜しか眠れなくなりそうです。激重大森さん待ちきれません 涼ちゃん、ファイト。