テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
⚠︎・実在の国・人物・歴史・団体とは一切関係ありません。
本作には以下の表現が含まれます。苦手な方は閲覧をお控えください。
・歪んだ愛憎・依存・偏った感情表現・独占欲・執着・軽度のストーキング描写
・流血・過度な暴力描写・記憶喪失描写
・百合/GL要素(♀×♀)
・軽度のブラックジョーク・皮肉を含む表現
あくまでフィクションとして、耐性のある方・なんでも楽しめる方のみ自己責任でお進みください。
イタリア×日本です。
地雷の方はUターンでお願いします。
伊「わ〜〜〜!!にほん!!にほん助けて〜!!!」
遠くからでもすぐわかる、焦ったような声が廊下に響いた。
耳に届いた瞬間、わたしは思わず足を止めて振り返る。
「!?!?…な、何があったんですか?イタリアさん、」
伊「ドイツに怒られたんね〜〜〜!!」
伊「あ!あと道も間違えちゃって迷子なんよ〜!!」
伊「どうしようにほん、…」
あわあわ、と泣いてしまいそうな声でそう訴えるイタリアさんに、わたしは一瞬だけ呆気をとられそれから慌てて駆け寄った。
「と…とりあえず、ハンカチどうぞ…」
伊「うう、ありがと…にほん、」
伊「本当にほんがいてくれてよかったんよ…」
そう言って目元を拭うイタリアさん。
そんな姿を見ると、少し変な表現に聞こえるかもしれないが妹みたいだな、と思ってしまう。
にゃぽんという本物の妹はいるけれど、
あの子は基本自由人だし、ほぼ双子のようなものだからあまり妹という感じはしない。
どちらかといえば、わたしがにゃぽんに頼る方が多いような気さえする。
でも、イタリアさんは困ったことがあるとよくわたしを頼ってくれる。
背丈はイタリアさんの方が高いのに、不思議と「助けてあげたい」という気持ちが先立ってしまう。
大きくてまんまるな瞳は、今は涙でいっぱいで
何度拭いても潤んで光るその目は、なんだか小動物を思わせる。
放っておけない、目を離したらどこかに行ってしまいそうな危うさがあって、
それがまた小さい子みたいでなんだか可愛いと思ってしまう。
「大丈夫ですよ、イタリアさん。 ちゃんと送り届けますから」
そう口にすると、イタリアさんはにぱっと効果音が付きそうなくらい明るく笑った。
その笑顔は、ほんの少し前まで泣きそうだったのが嘘かと思うほどの晴れやかさで。
こんなふうにころころと表情が変わるのも、きっとこの国から目が離せない理由なんだろうなあ…と思う。
この人が笑ってくれるなら、それだけで今日はいいのかもしれない。
そう思えるくらい、可愛くて、大切で…
なんだか、不思議な国だ。
_________________________
数日後。
伊「にほん!!ジェラート食べに行こ!!」
唐突にそう誘われて、わたしはまた足を止めることになった。
「あの時助けてくれたお礼なんね!」とにこにこ笑って言うイタリアさん。
「え、そんな、…別にお礼なんて大丈夫ですよ。」
伊「だーめ!ioが行きたいから付き合って欲しいんよ!!」
そう言って、わたしの手を軽く引っ張るイタリアさん。
勢いに押されながらも、少しだけ足取りが弾む
今は昼休憩だし…何より、イタリアさんと過ごす時間は心地がいい。
というかむしろ、こんなふうに誘ってもらえるのが、少し照れ臭くて嬉しかった。
伊「この前の散歩中、とっても美味しいジェラート屋を見つけたんね!」
そう言われるがまま連れてこられたのは、
街の外れにある小さなガラス張りの店。
中に入ると、冷たくて甘い香りがふわっと鼻をくすぐる。
カウンターの奥には、色とりどりのジェラートがぎっしり並んでいた。
「わ、綺麗…美味しそうですね…」
伊「でしょ〜?…ね!にほんは何味にする?
ピスタチオ?…あ、ここ抹茶もあるんよ!……それとも… 」
「…ま、迷いますね…」
「……あっ、イタリアさんのおすすめとかありますか?」
伊「えっ!?…うーん、ioのおすすめはね」
伊「ティラミスとピスタチオ…とかかなあ」
どちらも名前は聞いたことがあるけど、あまり食べたことはない味だ。
「…えっと、じゃあピスタチオ?にしてみます…!」
伊「おっけー!…じゃあioはティラミスにする!」
そう言ってイタリアさんは注文を済ませ、
可愛らしいカップに乗ったジェラートを二つ、
トレーに乗せて席まで持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます…!」
伊「えへへ〜、全然いいんよ〜!」
「…で、では、いただきます。」
伊「い、いただきますっ!」
わたしに合わせて、同じ言葉を口にするイタリアさん。
出会い始めの頃はこの挨拶を不思議そうにしていたけれど、 今ではすっかり慣れた様子だ。
なんだかそれが少し嬉しくて、なんだかくすぐったいような気持ちになる。
ピスタチオ味のジェラートを、スプーンで一口すくって口に運ぶと、ナッツの香りがふわっと広がる。
「お、おいしいです…!」
そう呟くと、イタリアさんは目をきらっとさせてこちらを見た。
伊「だよねだよね!?!? ioもここの店大好き!!」
伊「ね、にほん!こっちのティラミスも美味しいから食べてみて!! 」
イタリアさんはそう言い、自分のジェラートをスプーンでひとすくいする。
伊「はい!あーん…」
「えっ、…あ、…あー、」
不意打ちに頬が熱くなるのを感じながらも、
差し出されたスプーンをおずおずと口に含む。
ほろ苦いコーヒーと甘いマスカルポーネ?が相性抜群で、思わず目を細めてしまう。
「こ、こっちもすごく美味しいです…!」
伊「でしょ〜?…じゃ、次はioの番!」
勢いに押されるまま、わたしもピスタチオのジェラートをスプーンですくってイタリアさんに差し出す。
「…あ、あーん、」
伊「…ん〜〜〜〜っ!!こっちもおいしいっ!」
頬を綻ばせて笑うイタリアさんの姿に、
なんだか心が暖かくなる。
そういえば最近はなんだか忙しくてこんなに穏やかな時間を過ごせていなかった気がする。
だから安心して
「あ、そういえば…」
そう、なんとなく口にしてしまった。
「最近、誰かに付けられている気がするんです。」
伊「え?」
「いや、別に何かされたわけでもないんですけど…帰り道とかで、なんとなく視線を感じる…というか。 」
幽霊ですかね。と笑って付け足すと、
イタリアさんの表情が一瞬だけ固まった。
けれど次の瞬間、椅子をガタッと倒しそうな勢いで立ち上がった。
伊「えっ、…えぇぇぇぇーーーーっ!?!?
に、にほんっ、それやばいんね!!!!」
「わ、……ま、まあ、別に何かされたわけでもないですし……」
伊「ダメダメダメダメ!!そんなの絶対ほっとけないんよ!!」
両手をバタバタと振り、大きな声を出す。
まるでアニメのキャラみたいな大袈裟な動きに、思わずくすっと笑ってしまう。
「そ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。」
伊「いや!!これはスルーできないんね!!
にほんはもっと危機感を持つべきなんよ!!」
伊「…よし決めた!!…今日から毎日、ioが家まで送っていくんよ!!」
胸をドンっと叩いて、頼もしそうなポーズを取る。
「え、そ、そこまでしなくても…」
伊「いや!!これは譲れないんよ!!
…それに、ioって意外と強いから!!」
何故か得意げに腕まくりをしてこちらに二の腕を見せてくる。
「…だから、日本のことはぜーったい守るんね!!」
そんな、子供のような可愛らしい仕草と声色につい、頼もしいなと笑ってしまう。
「…ふふ、うーん…じゃあ…お願いします。」
伊「…!…へへ、任せるんね!!
……もう、絶対一人にさせないんよ。」
「…え、」
伊「…ほらっ!ジェラート溶けるからはやく食べよ!!」
「あ、はい…そ、そうですね。」
笑顔でそう言うイタリアさんに流されるがまま、わたしもスプーンを手に取った。
________________________
その日の仕事はすこし長引いて、
気付けば夜の八時を回っていた。
いや、いつもよりは幾分早く終わったのかもしれないけれど。
一般的に見れば遅い方なのだろう。
パソコンを落とし、重たい肩をほぐしながら
オフィスを出る。
廊下の蛍光灯は半分消えていて、自分の足音だけがやけに響いた。
(…本当にいるのかな、イタリアさん。)
昼間のやりとりを思い出す。
毎日送る、と言ってくれたけれど、
これだけ遅くなったならもういないかもしれない。
もし待っててくれたなら申し訳ないな。
後でなにか一言くらいメッセージを送っておこう。
そんなことを考えながらビルの自動ドアを抜け
夜の冷たい空気を吸い込む。
なんだか肩の荷が降りて、ため息をついた
その時、
伊「………にほん〜っ!!!」
少し遠くの街灯の下で、手をぶんぶんと振る影が見えた。
見間違えるはずもない。
昼間の笑顔のまま、こちらに駆け寄ってくるイタリアさんだ。
「…えっ、…ど、どうして、」
思わず口から漏れる。
伊「どうしてって…決まってるんよ!
にほんのこと迎えに来たんね!!」
少し息を切らしながらも、その声は弾んでいる
「…で、でも、こんな時間まで…」
伊「そんなの気にすることないんよ!」
イタリアさんは軽く笑いながら、一歩近づいてこちらを覗き、
伊「だって…にほんを待ってる時間も、ioにとっては楽しいから。」
なんてセリフを言う。
不意にそんなことを言われると、返す言葉もなくなる。
なんなんだこの国は。ラテンの血が騒ぐにも程があるのではないのだろうか。
でも、その言葉にわたしの胸のどこかが温かくなったのも事実で。
そんなわたしの心中に気づいているのかいないのか、
イタリアさんはふわりと微笑んでこちらを見た
伊「…へへ、ねえにほん。…今この道、二人だけしかいないんよ。」
伊「…なんか、世界にふたりきりみたい。」
小さな声だったけど、はっきりと耳に残った。
いつものような冗談めかした雰囲気ではなくて、少しだけ本気かのように思えた。
(…そんな風に思ってくれるなら、それは…)
嬉しいことですね、なんて。
言葉にできなかった。
伊「……ほら!もう帰ろ?」
ぱっと切り替わったような声と共に、
無邪気に微笑むイタリアさん。
「…はい、」
胸の奥に残った温かさを、そっと深くに押し込める。
表情だけは、いつも通りのものに取り繕えるように。
________________________
しばらく歩いた後、
道端に小さな灰色の猫が座っているのを、
イタリアさんが見つけた。
伊「…わ、にほん!みてみて、かわいいねこちゃんなんよ!! 」
「ほ、ほんとですね…小さくてかわいい…」
しゃがみこんだ彼女は、優しく甘えたな声で
猫に話しかけている。
その横顔があまりに穏やかで、なんとなく笑みが溢れた。
その後も、昼間のジェラート屋にあった珍しいフレーバーの話やパスタ屋の新メニューの話、
どこのぴっつぁ?が美味しいかなど、
とりとめもないけど耳に心地のいい話が続いた。
横を歩くイタリアさんは、手振りも表情も生き生きとしていて。
まるで日常の色彩まで鮮やかに塗り替えてしまうみたいだ。
このまま、こんな穏やかな夜が続けばいいのに
なんて思ってしまったその時、
背後で、小さくアスファルトを擦る靴音がした
振り返っても、誰もいない。
ただ暗い歩道が続くだけ。
(…そうだ、この辺からだった。…いつもこの辺から、妙な足音がし出すんだ。 )
イタリアさんと話すのに夢中で、完全に忘れていた。
胸の奥がじわじわとざわつく。
(どうしよう、どうしようどうしよう。
今日、いつもより距離が近い。)
いつもはもう少し遠く足音が聞こえるのに。
焦って、呼吸が浅くなる。
もし、襲われたらどうしよう。
イタリアさんも居るのに。
巻き込んでしまったらどうしよう。
嫌な想像ばかりが頭を駆け巡って止まらない。
気付けば、わたしの歩幅はかなり大きくなっていたらしい。
後ろから、イタリアさんの声がする。
伊「…にほん〜、そんなに急いだらioがはぐれちゃうんよ?」
イタリアさんは、そう笑いながら小走りでこちらに来ると、わたしの手をひょいと掴んだ。
そのまま軽く握り込み、指を絡めるようにして繋ぐ。
「…っ、あ、すみませ、」
伊「ぜんぜんいいんよ〜!…ほら、これなら安心でしょ?」
軽い声色のまま、彼女は少しだけわたしの方に寄る。
その手はあたたかくて、ひどく安心した。
でも、その手と温かい感触と、背後からの冷たい気配。
その二つが同時に存在しているのが不思議で、すこし恐ろしかった。
________________________
曲がり角を一つ曲がると、家の明かりが見えた
胸の奥で小さく安堵が広がる。
……それでも、背後の足音は途切れない。
むしろ近づいている気がする。
そしてふと、一瞬だけ。このままイタリアさんを一人で帰らせてしまって大丈夫か、なんで考えが浮かび上がった。
伊「…ほら!着いたんよ!!」
ぱっと振り返ったイタリアさんが、
明るい声で笑う。
その表情に、胸の中のざわめきがほんの少しだけ和らぐ。
伊「…戸締り、ちゃんとするんよ?ぜったい!」
伊「…じゃ、また明日なんね!…Ciao!!」
ふわりと微笑んで、ひょいと手を振る。
その笑顔につられて、わたしも小さく笑って頷く。
「…はい。ありがとうございます、…え、えっと、ちゃ、ちゃお?」
言ってみると、少しだけ胸が暖かくなったような気がした。
イタリアさんは、ぱあああっと花が咲いたように笑い、また軽く手を振った。
そして、その背中は夜道に溶け込むように遠ざかっていく。
残された静かさの中で、わたしはそっとドアノブに手をかけた。
…その瞬間、背後で小さく何かが動く気配がした。
なんだか寒気がして、急いで家の中に入った。
「…はあ、」
鍵をかけ、背を扉に預ける。
耳に残るのは、背後から聞こえる冷たい足音と隣で聞こえていた鮮やかな笑い声。
先程まで不思議だと思っていたそれは、
段々と不安に変わっていく。
「大丈夫、ですかね。」
やはり心配だ。
あんな風に後ろからつけられていたのに、イタリアさんだけで帰してしまうのはなんだか危険な気がする。
「いまから追えば間に合いますかね…?」
せめて明かりがある繁華街までは送って、わたしはタクシーで帰ろう。
靴を履き直し、静かに扉を開ける。
外の空気は、さっきよりも冷たく感じた。
もし背後にいた誰かが、まだこのあたりで待ってたら…なんて思って少し様子見したけど、
聞こえるのは遠くの車と、夏虫の鳴き声だけだった。
少しだけ肩の力が抜け、足を前に出す。
イタリアさんが歩いていったはずの方角へ急ぐ
けれど、曲がり角をいくつすぎてもその姿は見えない。
(…あれ?)
足を止め、あたりを見回す。
細い路地も覗いてみるが、夜の闇が広がるばかり。
(…もう、帰っちゃったのかな。)
そう思うと、少しだけ胸の辺りが重くなるが仕方がない。
少し肩を落として、足を引き返そうとした時、
ーーぱんっ。
乾いた破裂音が、夜気を切り裂くように 響いた。
耳に届くのは一瞬だったけど、その方向がわかってしまう。
廃工場の方角。
昼間は人通りがない、夜は尚更近づく人もいない場所。
胸が、冷たくなる気がした。
一度きりの音だったのに、頭の中であの耳をつんざくような轟音がずっと鳴り響く。
「…今の、」
言葉の形だけが零れる。
頭の中では鮮明に、最悪な想像が流れる。
ーーこの先の、路地の奥で、倒れ込んでいるイタリアさんの姿。
ただの想像のはずなのに、その想像は何度も何度も何度も、壊れた映写機みたいに繰り返された。
瞬きしても首を振ってもなにをしても、その映像は消えるどころか鮮明に浮かび上がっていく。
「…っ、」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、いやだ、
とまれ、とまれとまれとまれ。
喉がひりつき、声にならない息だけが漏れる。
そんなはずない、ぜったい、ただの想像だ
なんて言い聞かせても、心臓は自分の意思と無関係に脈を速める。
気付けば足は、廃工場の方へ向かっていた。
________________________
錆びた鉄の匂いと、夜の湿った風を感じる。
人気のない入り口で、一つ深呼吸をした。
ほんとは、見たくなんてない。
このまま逃げ出したい。
真実なんか知りたくない。
でも、イタリアさんは大事な友達だから。
引き返す理由なんて、ない。
……まあそんなどこかのアニメの主人公らしいことを考えてみたものの、流石に身一つで乗り込むのは心細い。
視線を落とすと、足元に転がる細い鉄パイプに目が留まる。
手に取ると、ひんやりとした冷たさが掌に張り付いた。
拳銃になんて到底敵わないかもしれないけれど、無いよりはマシだろう。
そんな淡い期待も一緒に抱いて、廃工場に足を踏み入れた。
________________________
薄暗い工場の中は、外よりも一段と空気が重く
埃の匂いが鼻につく。
足元でガラス片が鳴り、少し心臓が跳ねた。
その時。
何かが床を擦る音
続いて一定の間隔で響く誰かの足音が
こちらに近づいてくる。
反射的に、近くの鉄骨の陰に身を潜めた。
息を小さく押し殺す。
パイプを握る手が、冷や汗か何かで滑る。
(…こないで…こないで、こないで…)
…そんな願いも空しく、すぐ近くで何かを放り投げる音が響き、足音が止まった。
息ができない。恐怖で体が震える。
鼓動の音がやけに大きく感じる。
(…なにを、捨てたんだろう、)
恐る恐る、鉄骨の隙間から視線だけを滑らせる
そこにあったのは、
イタリアさん、ではなかった。
あれだけ最悪な想像を駆け巡らせていたからなのか、胸の中で張り詰めていた何かがほどけるように安心した。
けれど、その安堵はすぐに凍りつく。
倒れているのは、見覚えのない男の人。
暗い床に広がる赤黒い染みが、じわりと自分の靴先に近づいてくる。
手足はあらぬ方向に折れ曲がり、息はひゅーひゅーと細く途切れがち。
男の人の喉の奥から漏れるその音が、
耳にこびりつき離れない。
冷や汗か脂汗か。
何かわからないものが頬を伝う。
パイプを持つ手が震えて、力が入らなくなる。
そして、見たくもないのに視線は奥へと吸い寄せられていく。
そこで、息が詰まる。
男の人の上に立っていたのは、
今まで見てきた姿とはまるで違う。
なのにわかってしまった。
あれは間違いなく、
イタリアさんだった。
薄暗がりの中で、彼女は男の人の胸元にしゃがみ込む。
細い指が懐からナイフを引き抜くのが、やけにくっきり見えた。
伊「…ねー、なんであの子のこと付け回してたの?」
そんなことを言いながら、刃先を男の人の胸にそっと当てる。
押し込むでもなく、ただ触れているだけ。
なのに、その動作がどうにも残酷に見える。
伊「教えてよ。」
返事はない。
相変わらず、ひゅーひゅーと息の音が鳴るだけだ。
伊「…あれ?そういえばさっきも聞いたっけ?」
伊「それにむかついて喉潰したんだった。」
薄く笑い、指先で血を払う。
そして、平然と惨いことを言うイタリアさんの表情は、昼間の無邪気な顔と同じ形なのに、あまりに冷たく見えた。
伊「仕方ないよね。気持ち悪かったもん。」
あはは、と笑う。
まるで、本当にそれが当たり前のことかのように。
そして、次の瞬間。
刃先がわずかに沈んだ。
ためらいも予告もなく、肉を割く鈍い音が空気を裂いた。
湿った、ぐちゃぐちゃという生々しい音が響く
赤黒いものが刃の根本から静かに溢れて、
イタリアさんの手元をゆっくりと染める。
彼女は淡々と、手首を小さく捻った。
わずかに骨の軋む音が聞こえる。
男の人の体が、びくりと震えて、
そのまま、あれだけひゅーひゅーとなっていた呼吸が途絶えた。
(やばい、やばいやばいやばいやばい)
脳が警鐘を鳴らす、とはこのような状態のことなのだろうか。
手が震える。足が動かない。
脳が目の前の映像の理解を拒む。
耳の奥で、自分の心臓の音だけが膨らみ続ける。
どうすればいいかわからない。
でも、とにかくここから離れなきゃいけないというのはわかった。
バレたら、きっと次はわたしが殺されるかもしれない。
見てしまったのだから。
(はやく、はやく立て。彼女が向こうをむいてるうちに。動いて、うごけ、今すぐ、今。)
そんな言葉だけが、頭を埋め尽くしていた。
なんとか力が入って、体を動かそうとしたその瞬間。
からんっ
軽い金属音が、静まり返った工場に響き渡った。
まずい。やってしまった。
手に力が入らなかった。
汗と震えで、パイプをするりと抜け落としてしまったのだ。
反射的に拾おうとしたその瞬間。
ぴたり、と。
イタリアさんの動きが止まる。
ゆっくりと、首がこちらへ向く。
その瞳と、真正面からぶつかった。
(………あ、)
昼間に向けられた、あの優しくて暖かい目とは
まるで違う。
瞳孔を大きく開いて、異様な光を宿したその目が、真っ直ぐとわたしを射抜く。
瞬きも呼吸も、きっと止まっている。
…というか、そんなものきっと、とうに忘れていた。
ただ、互いの視線が絡み合ったまま。
永遠とも思える時間が流れる。
そして。
ゆらり、と。
糸が切れてしまった操り人形みたいな動きで、
イタリアさんが立ち上がる。
その顔に浮かんでいたのは、
いつもの笑顔をそのまま真似たつもりなのかもしれない。
けれど、頬や口元が思ったように動いていないとんでもなく引き攣った笑顔だった。
伊「…に、にほん?…なんで、こんなところに、」
おかしい。怖い。
そんな思いが、ぐるぐると駆け巡る。
声色はいつもみたいに柔らかく聞こえるのに、
服や手にこびりついた血はそのままで。
そのアンバランスさがなんとも異様だった。
そんなわたしの心境が伝わったからなんなのか、イタリアさんは手を後ろに回し血に塗れたナイフを隠した。
伊「ぁ、その、こ、これはね、ちがくて、」
伊「その、この人がにほんのこと付けてて、
…それが、嫌だったの、」
いつもの、無邪気な子供みたいに。
隠し事をする小さい子供のようにそんなことを言う。
伊「気色悪いって思って、こんなに可愛いにほんを怖がらせるなんておかしいって、」
伊「だから、だから…ほんの少し、やりすぎちゃったけど、 」
伊「やくそく、したから…ioが絶対守るって、」
伊「ね、できてるよね?にほんのこと…ちゃんと守れてるよね…?」
(…そ、そんなこと言われても…)
たしかに、守ってあげるだなんて言われた時はすごく心強かったような気もする。
でも、ここまでしてほしいなんて頼んでない。
とりあえず何か返事をしなければと思い
口を開こうとするも、声が出ない。
そもそも言葉が見つからない。
返事をしないわたしに何を思ったか、
イタリアさんはにじり寄るように一歩近づいてきた。
伊「ぇ、ねえ、なんで黙るの、」
伊「なにか言ってよ、」
伊「いつもみたいに…大丈夫でも平気でもなんでもいいから!!」
いつの間にか、ぐっと距離が縮まっていた。
いつもの距離感のはずなのに、
今日はそれがなんだか、怖くて仕方がない。
伊「………そんな怖い顔しないで、」
伊「io、にほんだけには嫌われたくない。」
伊「また明日もいつもみたいに笑ったりジェラート食べたりしたいよ、」
伊「だから、…おねがい、…今回だけは、見逃して、」
そう言って、イタリアさんはわたしに手を伸ばす。
血まみれの、その手で、わたしの頬に。
「やっ…!!」
ぱしっ
反射的に、その手を思い切り振り払った。
ただ振り払うだけのつもりだったのに、力が入りすぎたのかなんなのか。
イタリアさんの体は大きくよろめき、そのまま地面に倒れ込む。
伊「…っ、」
イタリアさんは、床に倒れたまま 俯いて
動かない。
表情は、暗闇と影に覆われて読み取れない。
やってしまった、いくらなんでも押し倒すのはやりすぎかもしれない。
そう思い、
「い、イタリアさん、すみませ、」
と、掠れた声で謝ろうとしたその時。
伊「…あはははっ、」
唐突に、乾いた笑い声が響いた。
その響きは、いつものはじけるような笑い声でもない。 かと言って、泣き笑いというわけでもない。
どこか壊れたラジオのような、不自然な音としてでしか認識できなかった。
伊「そう、だよね。…ごめんねにほん!」
伊「こんなの見てまた明日から仲良くしようなんてできないよね!!」
知ってたよ、と明るく言う。
顔を上げて、いつものイタリアさんのように陽気に笑う。
その表情は、さっきの違和感がある笑顔とちがって、張り付けたような、
どこか空虚な笑みだった。
そして、その笑顔もすぐに歪む。
伊「……でもさあ、io…もうにほんのことすっごく大好きになっちゃった。」
伊「にほんにはね、ほんとは幸せでいて欲しかったんだよ。」
伊「…でも、ごめん。ioがこんなんだから。
いつもいつもだめな方に行っちゃう。 」
張り付けたような、完璧に見える笑みが崩れてしまった後、今度は縋るような、泣きそうな笑みに変わる。
なんだかその顔や声色は、素直な本当のイタリアさんの気持ちに見えた。
そこでハッとする。
確かにイタリアさんは人を殺してしまった。
でも、今まで優しくしてもらったもの。
一緒に作った思い出。その全てが嘘かと問われれば… そんなことない。
いつだってあなたといた時はあったかかった。
それは紛れもない事実でしかない。
さっきは拒絶してしまった。
だけど、ちがう。
もっと、やらなきゃいけないことがある。
友達として。
さっきまで景色としてしか見れなかったものが、徐々に理解できるようになる。
「あの、イタリアさんっ!!わたし、 」
決意を固めて、ちゃんと向き合おうと言葉を発する。
でもその言葉は、すぐに遮られた。
伊「だから!!ね、」
伊「本当はこんなことしたくないけど、次は絶対間違えないようにするから!!」
伊「なにもかも、これで最後にする。」
伊「跡も、頑張って残らないようにするから。」
急になにをいいだすのか、と思っていると、
イタリアさんは急にゆっくりと立ち上がった。
手には、わたしが落としたパイプを持って。
理解が追いつかない、何がしたいんだろう。
伊「Mi dispiace. Ci vediamo dopo.」
「…え?」
イタリアさんがパイプを振り上げる。
それが妙にゆっくりに見えて、
それから。
がんっ
という鈍い音を最後に、
わたしの視界は真っ暗になった。
_________________________
ズキズキ、と脈打つような頭の痛みと共に目が覚める。
「…ぅ、う”〜ん、」
それに、頭にもやがかかったように
思考がぼんやりとしている。
わたしは昨日何していたんだろう。
イタリアさんが会社まで迎えにきてくれたことは覚えている。
だけど、それ以降のことは全く思い出せない。
別にお酒を飲んだわけでもないはず。
そうやって悶々と思考を巡らせていると、部屋の扉が開いた。
「!?!?!?」
誰だ、と少し身構える。
一人暮らしだから、部屋の扉が開くことなんてないはずなのに。
伊「…に、にほん!!!目が覚めたんね!?!?」
ああ、イタリアさんか…
いやイタリアさんがいるのもおかしいのだけれど。
とりあえず、変な人ではないことに安堵する。
それにしても、すごく泣きそうな顔をしている。
本当に昨日何があったのだろう。
「い、イタリアさん?…なぜ、わたしの家に…?」
わたしがそう聞くと、イタリアさんは心底驚いたような顔をする。
伊「え、にほん…もしかして覚えてない…?」
伊「昨日階段から落ちて怪我したんよ!?」
伊「結構高いとこから落ちて…心配だったからioが手当した後、そのまま泊まり込んだんね!」
そうなのか。
階段から落ちるなんてわたしも年…なんだろうか。
…いや、多分寝不足かな。
何はともかく、イタリアさんにはかなり迷惑をかけてしまった。
「…わ、わあ…大変なことになってたんですね…」
「迷惑かけて本当にごめんなさい、イタリアさん。」
そう謝ると、イタリアさんは「全然大丈夫なんね!!」と手をひらひら振った。
伊「全然気にすることないんよ!!…それに、いつもにほんには助けてもらってるから!!」
イタリアさんはにこにこしながらそう言う。
でも、それでもやっぱり申し訳ない。
そんな思いが顔に出ていたのか、
イタリアさんは少し悩む素振りをして。
伊「…じゃあできたらまたioとジェラート屋に行って欲しいんね!!」
なんてことを無邪気な笑顔で言う。
そんなこと、わざわざお願いしなくたっていいのに 。
でも、こういうところも彼女のいいところなんだろうな。
なんて思いながら、わたしは。
「…はい!もちろんです!!」
そう、返事をした。