テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
王都にある、オードゥヴィ公爵家の屋敷。その別館に手紙が届けられた。宛先は――
“フィナンシェ・フランボワーズ・ヴェネディクティン”。
「見て!ショコラから手紙を貰ったわ!初めてなのよ、どうしましょう……宝物にしないと‼」
クレムが部屋へ入って行くと、妻のフィナンシェが受け取ったばかりのそれにいたく感激している。
ソファに座る彼女は、早く中を見たいと逸る気持ちを抑えながらも、丁寧にその封を開けて行った。彼はいつものように、その隣へと腰を下ろす。
「へえ。まだ、発ってから一週間くらいだったね。……ずいぶん分厚いな。何が書いてあるんだい?」
「待って。今から読むところよ。」
頬を紅潮させながら、手紙に目を通すフィナンシェ。その横顔を眺めていると、彼女は時折り笑いながら内容を伝えて来た。
「――…ふふっ、まあいやだ。あの子ったら、嫌な夢を見たそうよ。」
「嫌な夢?どんな??」
それは、『フィナンシェが離縁し、グラスと再婚する』というものらしい。クレムは、あの子はまだそんな事を憂慮していたのか、と思った。
確かに、婚約が決まった事を聞き付けここまでやって来たグラスが、横取り宣言をした時には驚いた。それから結婚式までの間、彼は何度もフィナンシェを訪ねて来たので警戒したりもしたが……。式から今日に至るまで、結局何事も起こりはしなかった。
最近はショコラのサロンにも顔を出していたが、それが終われば大人しく帰って行く。
彼に何か心境の変化があったのかどうかは知らないが――…とにかく今は、平穏な日々である。
「貴方、ショコラに心配されているわよ。まあ、私に見限られないよう、せいぜい頑張りなさいな。相手は侯爵様とも限らないもの?」
「そうだね。正夢にならないよう、気を付けるよ。」
彼女の、妹の事以外になるとツンツンとした物言いになるのは相変わらずだ。だが、夢の内容を一笑に付すくらいには、想ってくれているらしい。
……そんな事を考えている間に、あんなにも分厚かった手紙を、フィナンシェはもう読み切ってしまったようだ。それを抱き締めながら、幸せそうにしている。
「退屈で死にそうだったけれど、これで生きられるわ!!」
「ははは……。」
自分という夫のいる前で、そんな事を言うなんて……。クレムは苦笑いをするしかなかった。
――王都郊外にある、ヴァンロゼ伯爵家の屋敷。そこに専属侍女とじいやを連れ、ミルフォイユはやって来た。
ここのところ、サヴァランに元気がない。何かとすぐに彼女の屋敷へ来ていたのに、最近はその頻度も減っている。
無理もない。グラスに負けないよう、頑張ってショコラに自分を印象付けようと意気込んだ矢先――…。彼女主催のサロンが、休止になるとの知らせを受け取ったからだ。
更には、屋敷へ尋ねて行っても誰とも会わないと来ている。
“それ”は、社交界でも話題になっていた。「次期公爵(候補)」と大々的に宣言したにも拘わらず、一切人前に顔を出さなくなったショコラ……。また深窓の令嬢に逆戻りしたようではないか、と。
これは何かあるに違いない、と一部では妙な憶測まで呼んでいたのだ。
さて、ミルフォイユがサヴァランの部屋へ入ると、彼は広い部屋の隅で小さくなっていた。……何て分かりやすい落ち込み方だろう……。
「そんな所にいたら、見付けるのに時間が掛かってしまうではありませんの!」
溜息を吐きつつ、彼女は声を掛ける。彼は膝を抱えたままで、ゆっくりとこちらを向いた。
「ミル……珍しい。どうしたの?」
「“どうしたの”は貴方の方でしょう!わたくしがここまで来て差し上げたのだから、しゃんとなさいな!」
一言そう叱ると、とりあえず隅から引っ張り出し、サヴァランをテーブルの席に着かせる。なされるがままの彼は、しょぼくれた顔でそこへ座った。
それからサヴァランは、ぼそぼそと喋り出す。
「……もう、ひと月近くも経つのに、おかしいよ……。何か……、ご病気でもされたんじゃ……!?!」
勝手な想像で動揺し、彼は青ざめた。不安のあまり、声が尻上がりに大きくなってしまう。
それに驚きもせず、ミルフォイユは平然と一口お茶を飲んだ。
「直筆のお手紙を頂いた時には、あんなに舞い上がっていましたのに……。はぁっ。あそこにも書いてあったでしょう?お勉強のためだって!」
彼は「そうだけど…」と力なく言いながら、項垂れた。上がったり下がったりと忙しい。すっかり情緒不安定である。そんな姿を見ていると、ミルフォイユは溜息ばかりが出てしまった。
ここは一つ、活を入れてやらなければなるまい。
「貴方、もうすぐ子爵位を賜るのでしょう?そんな事でどうしますの!」
「そうなんだけど……。ああ、それも気が重くなる一つなんだよ。子爵になったら、本格的に父さんの仕事を教えるって言われてて……」
「それくらい、したらいいじゃありませんの。もう“オードゥヴィ公爵”になる勉強は、しなくてよくなったわけですし。婿に入るにしても、やって無駄になる事なんてそうそうなくってよ。……と言うよりも。今の貴方には、一体何があるのかしら??」
最後の言葉は、凹んだサヴァランの心をさらにえぐった。
「……どうせ、僕には何にも無いよーーーー!!そんな事、分かってる……。ショコラ様とだって、最近やっと普通(?)に話せるようになって来たばかりだし……。それなのに、また……お会いする事すら、出来なくなって……」
声を荒げたかと思えば、すぐに再びしぼんでしまう。それを見たミルフォイユは、少々言葉が過ぎてしまったようだと反省をした。本当は、彼を元気付けようと思ってここへ来たのに……。
ミルフォイユは小さく咳払いをした。
「――子爵位を賜ったら、お祝いのパーティーをするでしょう?そこにはショコラ様もお招きするのだから、じきに会えますわよ。」
「来て……くださるかな……」
「いらっしゃるに決まっています。社交界で妙な噂が広がっている事は、公爵様もご存知のはずよ。なのに、近頃懇意にしている貴方のパーティーに出席しないだなんて、それこそどんな憶測を生むか。」
サヴァランは、ミルフォイユの知恵が回る事に感心した。
確かに。冷静に考えてみれば、そうかもしれない――。ここしばらくうじうじとしていた自分は、そこまで考えが及んでいなかった。
何だか少し、元気が出て来たようだ。
「――…頑張るって決めたじゃないか、僕‼」
自分の顔をバチンと叩き、サヴァランは気合いを入れ直す。それからミルフォイユの方を向いた。
「ありがとう、ミル。あと……ごめん。パーティーにはグゼレス侯爵は呼ばないし、この機会を大事にするよ!」
彼はようやく浮上したようだ。
……やれやれ。全く、世話の焼ける“許嫁”である。彼女は安堵の溜息を吐いた。
「そうですわよ。誰が何と言おうと、今回は貴方が主役なのだから!これを機に、サヴァランはもっと狡猾になった方がいいと思いますわ。」
ところ変わって――。
こちらにも一人、機嫌の悪い人物がいた。
「……兄上、ちゃんと聞いてますか?」
「聞いている!今、各旅団からの報告書に目を通しているところだ。」
グゼレス侯爵家の屋敷では、兄のグラスがカリカリとしている。こんなに苛立っている姿はそうそう見ない。
現在、陸師を挙げて解決を目指している事案に進展が無いせいもあるが……どうやら、それだけではなさそうなのだ。
ソルベは、それとなく探りを入れてみる事にした。
「気が乗らないのなら、少し休憩でもしてみては?」
「休憩⁉…なんてしていたら、余計な事を考えてしまうではないか‼」
……“余計な事”、とは……??
弟は、ますます分からなくなった。
あんなに執心していたフィナンシェには、なぜか近頃、接近しようとはしていないようである。だから、それが原因ではなさそうだ。あの結婚式の時、不穏な事を言っていたから……まだまだ諦める気はないのだと、覚悟していたのだが。
他に、最近あった出来事といえば……
『――…そうだな、ショコラ様のサロンが休止になった事くらいか。兄さん、あれをそんなに楽しみにしていたのか⁇』
その推測は、中らずと雖も遠からず。グラスの不機嫌は、ショコラと会えなくなった事にあったのだ。
“フィナンシェを手に入れるために、妹のショコラと親しくなる”。そんな遠回り過ぎる的外れな兄の作戦を、弟は知らなかった。
――ミルフォイユやサヴァランたちと同様、グラスにもサロン休止の手紙は届いていた(もっとも、二人とは違いショコラの直筆ではなく、ファリヌが代筆したものだったが……)。だから、自分だけが避けられているわけではない事は、分かっている。
しかし、会いに行っても門前払いを食うとは――…、一体どういう事なのか。
『最後に会ったのは、団長会議の日……。あれからどれだけ経った?ショコラ嬢に懐いて貰うには、伯爵と同じように、近い場所にいなければならないというのに……』
サロンは絶好の機会だった。それが無くなっても、個人的に会いに行けばいいと思っていたのだが――…
『なぜ、こんなに上手く行かない……⁉』
グラスは、これほど誰かにやきもきとさせられた事が、今まで一度も無かった。こちらが何もしなくても、女性たちは親密になろうと自ら勝手に近付いて来る。ではその逆になった時、どうすればいい?
――そんな事、分からなかった。
これでは計画が全く先に進まない。フィナンシェの結婚式からは、ずいぶん時間が経ってしまった。彼には、そんな焦りが出ていたのである。
「あ゛ーーーーッ!!」
叫びながら、グラスは読んでいた報告書をばら撒いた。
「ああっ何するんだよ、兄さん‼」
「もう全部目を通した!」
「だからって……誰が片付けるんだよ!?」
グラスは執務机の席に座ったまま、そっぽを向いてしまう……。だんまりを決め込むつもりか。
何も話さないので、ソルベには結局理由が分からないままである。ただ、これ以上は深入りしない方がよさそうだと悟った。
「そろそろ、兄さんも地方に視察に行った方がいいんじゃない?報告書読んでるだけじゃ、分からない事もあるでしょ。」
すると兄はカッと目を見開き、こちらを見た。
「それでは、更に離れてしまうじゃないか!!」
「はあ???」
グラスは激昂している。話題を変えたつもりだったのだが、どうやら知らぬ間にその逆鱗に触れてしまったらしい。訳も分からず、ソルベは八つ当たりを受ける羽目になってしまった。
……全く、兄とは理不尽な存在である。
そんな風に王都には、様々な思いが渦巻いていた。
自分の不在が、周りの人々にどんな影響を与えているか――。そこから遠く離れたショコラには、そんな事など知る由も無いのであった。