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#ローファンタジー
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3-1◆聖域との交錯◆
昼休みを告げるチャイムが、教室に鳴り響く。
それは午前の部が終わり、午後の部が始まるまでの長めのインターバル。
生徒たちは思い思いの相手と「昼食」という名の新たな同盟関係を確認するために、慌ただしく席を立つ。
俺は自分の席で、買ってきたパンの袋をただ無機質に開けていた。
その時だ。一人の少女が席を立ち、教室の出口へ向かって静かに歩き始めた。
彼女の軌道は、俺の机のすぐ横を通過する。
白瀬ことり。
この学園では、俺の小学校時代からの唯一の同級生。 彼女も俺と同じ「中学1年からの外部生」である、
そして彼女も「観客席」の住人だ。
しかし彼女は俺や、山中のような「その他大勢」とは、明らかに異質だった。 彼女はリーグに興味がない。
誰とも馴れ合わず、しかし誰からも侮られることがない。
その隠しきれない、整った顔立ちのせいか。いや、違う。
久条亜里沙が、自らの美貌とカリスマ性を「武器」として学園に君臨しているのに対し、
彼女は、自分の持つカードをまるで気にも留めていないようだった。
俺は、クラスで彼女のことだけは、分析できずにいた。
彼女が俺の席の真横を、通り過ぎる。
一瞬、視線が交差した。彼女の色素の薄い瞳。
そこには何の感情も浮かんでいない。
しかし俺は気づいていた。
彼女が通り過ぎた後、俺の心臓の鼓動が、ほんの少しだけそのリズムを乱したことを。
俺の完璧なはずの冷静な感情が、彼女という存在の前でだけ、僅かに、しかし確実に揺らいでいることを。
俺はその揺らぎの正体に気づかないふりをして、ただ手の中のパンを無感情に口へと運んだ。
3-2◆観測者の日課◆
放課後。 最後の生徒が教室のドアを閉め、喧騒が完全に消え去った後。
俺は一人、自分の席で静かに息を吐く. ここからが、俺だけの神聖な儀式の時間だ。
俺は今日の教室で収集した膨大な観測データをスマホに打ち込んでいく。
久条亜里沙が一瞬だけ、結城に向けたコンマ1秒の軽蔑の視線。
山中が、俺の名前を呼ぶ直前に見せた僅かな躊躇。
そして、ことりのあの全ての観察を拒絶するガラス玉のような瞳。
散らばったパズルのピースを繋ぎ合わせるように、俺はそれらの情報をスマホに整理していく。
この作業は、執拗なまでの観察と、記憶とそこから導き出される冷たい論理の積み重ねだ。
今日の教室内リーグのパワーバランス。誰の株が上がり、誰のそれが下がったのか。 誰が誰に見えない借りを作ったのか。
(無意味だ。馬鹿なことをしている)
(リーグを軽蔑している俺が、誰よりもリーグに執着していると)
(そうだ。その通りだ)
これは、俺の血を吐くような生存戦略だ。中学3年のあの修学旅行の夜。
俺は無力だった。 見えない「空気」という名の銃弾に、不意打ちで心臓を撃ち抜かれた。
もう二度とあんな思いはしない。
二度と無力が故に、誰かを裏切り、そして自分自身を裏切るような、あの絶望は味わいたくない。
だから俺は観測する。この教室の全ての力学を、全ての法則を完璧に理解し予測する。
次に、どこから理不尽な銃弾が飛んでくるのか。その弾道を誰よりも早く正確に知るために。
この世界の真実を、自分だけが理解しているという、冷たい万能感。
それだけが、中学3年の修学旅行の夜に壊れてしまった俺の自尊心をかろうじて支えてくれている。
そして、いつか来るかもしれない、その日のために。
俺が「観客席」から引きずり出され、この教室内リーグに強制的に参加させられたときのためでもある。
これは、俺の孤独な戦争準備だ.
俺は更新し終えたスマホ画面の勢力図を眺め、静かに目を閉じた。
――その時だった。ガラリ、と再び教室のドアが開いた。
入ってきたのは担任の烏丸(からすま)。その手には一枚のプリントが握られていた。
「ああ、音無、まだいたのか. ちょうどいい。これ、掲示板に貼っておいてくれ」
彼が俺に手渡した紙には、大きなゴシック体でこう書かれていた。
【議題:文化祭におけるクラス企画について】
俺はそれを見て静かに、しかし深くため息をついた。
ただの面倒な行事。そう切り捨てたはずの文化祭が、俺を「観客」から「脚本家」へと変貌させる。
自らの意志でこの歪んだリーグを支配し、頂点へと駆け上がるための戦いが、いま静かに幕を開けようとしていた。
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