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次の角を右に曲がれば行人の家、左に曲がったなら数分で自分のアパートが見えてくる。
もちろん左に曲がりかけたところで、星歌はふと我に返った。
──さっきまでイケメン魔王にさらわれて……なんてひとりで喋っていたけれど、大丈夫だったかな?
人通りの少ない道だけど、もし誰かに聞かれてたら異世界どころじゃなくて社会的に即死だよと、両手で肩のあたりを抱えて身震いしてみせる。
だから、である。
ポンと肩を叩かれ、星歌は反射的に悲鳴をあげた。
次の瞬間、腕を取られ重心が傾ぐ。
弾力あるものに顔をぶつけて、一瞬息が詰まったのだ。
それが人の身体であることに気付き、二度目の悲鳴。
「しっ、しーっ!」
硬い手の平で口元を覆われる。
「しーっ、脅かすつもりじゃなかったんだって! ごめん、あの……」
「む、むーっ!」
声には聞き覚えがあった。
恐怖に強張っていた星歌の全身から力が抜ける。
「……翔太、さん?」
「ごめんってば! 何回も声をかけたんだけど……」
背中越し。すこし下から聞こえるのは、本日一番多く聞いた声であった。
チラリと視線を送ると視界に飛び込む金の渦。
暗がりの中でも目立つ跳ねっ毛の金髪だ。その中心部のつむじのあたりは闇に沈んでいる。
星歌の新しい雇い主である藤翔太だった。
身長に似合わず意外と逞しい腕、そして厚い手の平を唇に感じ、星歌は再び焦る。
パンをこねる手はやっぱりゴツイんだなぁ。だから私もビックリしちゃったんだなぁ──持ち主の意志に反して高ぶりそうな心臓を必死で宥めにかかる。
あたたかくて、どこか甘い香りがするのもきっとそのせいなんだ、と。
その手は遠慮がちに放された。
「ごめん。白川さん、ずっと一人で喋ってて……その、ちょっとよく分かんないことを一人で喋ってたから、大丈夫かなって思って。びっくりさせたよね……」
「い、いや……」
しっかり聞かれていた模様。
──ヤバイ! 「一人で喋って」と二回言われた……。
星歌の背を、冷たい汗が伝う。
薄暗い道なので、恥ずかしさに赤く染まった顔を見られないのだけが救いだ。
視線を逸らしつつ、星歌は一歩、二歩と後ずさる。
「そ、それで、何用で……?」