その日の夜、枕元には奇妙なものが渦巻いていた。
なんとも言えない不快感というか、少しでも分かりやすく言うならば
梅雨どきの湿度を煮詰めたような
ひどく肌をねばつかせるものだった。
あんな夢を見たのは、それのせいだったのか
それとも、あれこそが彼であったのか
私には知るべくもない。
しかしその夜、ゆったりと眠りについた私の夢の中に
彼は
永山由哉は
悔恨と悲哀を混ぜこんだ表情で立っていた。
私
私
私
私
私
私
私
私
先生。
僕は先生を恨んでるんじゃないんです。
恨んでるのは、見て見ぬふりばかりしていたクラスの奴ら
それと、あいつ。
ただそれだけです。
先生を恨むとか、呪うとか
そんなことをしに出てきたわけではないのです。
ただ話を聞いてほしいのです。
僕の話を聞いて、先生がどれを信じるかは自由です。
だけど話を聞いてほしい。
私
私
私
私
私
私
私
同じように、あの日のことを。
だけど先生、誰が真実を言っているのか
どの部分が真実なのか
それを決めるのは僕ではないのです。
僕はもう死んだから
先生に教えられるのは、僕が感じた真実だけです。
それでも僕は話したい。
先生が頭を抱えることになったとしても
どうか静かに話を聞いてください。
あの日僕は、りんかさんと屋上に行きました。
いじめられっ子と、クラスの中でも注目される彼女
付き合っている事がバレたら、ひどい目に遭うかもしれない。
そう思って、誰にも秘密にしていました。
だけど原崎だけは、それを知っていた。
僕をいじめるネタを探すうちに気づいたのか
それとも、アイツも彼女を好きだったからなのか
それは今も分からないけれど
とにかくアイツは、僕と彼女の関係に気づいていた。
気づいた上で、原崎はあの日、屋上に来た。
――それから起こったことは、先生も知ってますね。
彼女は原崎に犯されました。
だけどアイツは、その場で彼女に優しく告白した。
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
僕は目を疑った。
原崎がそんなことを言い出したことに対してじゃない。
彼女が、りんかさんが。
それをうっとりと、頬を染めて聞き入っていたからだ。
まるで運命の王子様にでも会ったような顔。
普段より赤く色づいた唇が、小さく開くのを僕は見ていた。
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
言葉にならなかった。
理解もできなかった。
僕に告白してきたのは、りんかさんの方だ。
優しくて賢い僕が好きと言ってくれたのは、つい先日のことだ。
なのにこれはどういうことだ?
恋する少女の表情で
僕に見せていたよりも、ずっとときめいた表情で
混乱する僕の前で、りんかさんは原崎に抱きついた。
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
――こんな残酷なことがあるか。
信じ、ときめき、心から愛しかった日々が音を立てて崩れる。
初めて恋した彼女は、僕を利用しただけだと言った。
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
彼女の言葉は、僕の心臓を何度も刺したよ。
それだけならまだしも、気持ち悪いとまで思っていた。
僕の好意は彼女にとって汚物でしかなく
彼女の好意は、僕の上になど降り注いでいなかった。
考えてみれば分かりそうなものだ。
付き合っていることは隠そうと言い出したのは彼女だ。
僕がさらにいじめられるからと。
その気遣いに僕は感動すらしたのに
彼女の本音は違った。
僕なんかと付き合っていると、周囲に知られたくなかったんだ。
僕は愚かで、単純だった。
これまで、どんないじめにも泣いたことはなかったけど
あの時だけは、ボロボロ涙がこぼれたよ。
そのときだった。
大きく手を叩いたような音がして
原崎が、りんかさんの頬をぶっていた。
原崎隆之
原崎隆之
驚いた。
たぶん彼女も、驚いていた。
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
原崎隆之
正直に言うと僕は、この原崎の言葉だけで
これまでやられた全部を許せる気持ちになっていた。
この原崎の豹変に、りんかさんは……
いや、吉岡はショックを受けたんだろう。
しばらくボーッとしていたと思ったら、突然はっとした様子で
原崎をにらみつけた。
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
吉岡りんか
怒鳴りつけ、服をかき集め、吐き捨てて
吉岡はその場から逃げ去った。
それこそ、プライドを傷つけられたのかもしれない。
だけど僕にはどうでもよかった。
もう、全部がどうでもよかった。
……気がつくと原崎の姿も消えていた。
僕を縛り上げていたロープはいつの間にかゆるんでて
すぐに動けるようになっていた。
――ただ、なにもする気になれなかった。
風が気持ちよくて、空がきれいで。
吉岡に裏切られた屈辱だけが腹の底に溜まっていたからか。
僕の足は重く、鉛よりも鉛よりも重く
途切れたフェンスの合間に落ち沈んでいった。
私
それもわかりません。
飛ぼうと思った記憶も、覚悟した記憶もないんです。
ただ、僕は死んだ。
それだけが事実です。
私
私
真実なんてどこにもありません。
見る人によって変わるし、体験者によっても変わる。
僕にとっての真実と、二人にとっての真実は違うでしょう。
真相を公表してほしいとも思わない。
ただ話を聞いて、考えてほしかった。
ありがとう先生、聞いてくれて。
ありがとう先生。
目覚めたときには、すでに朝になっていた。
びっしょりとかいた汗が寝間着を張りつけて気持ち悪い。
単なる夢なのか、永山の霊が知らせた彼の真実なのか。
私には分かるべくもなかった。
これを警察に伝えたとしても、まともに取り合ってはもらえまい。
吉岡りんかの手紙もまた、警察にとっては厄介だろう。
カーテンを開くと、空は抜けるように青かった。
私
私
私
私
置き去りにされた真実に頭を悩ませ続けること
それこそが永山から私に課せられた復讐なのか。
私は静かに、見上げた空に唇を噛んだ。
コメント
8件
真相は体験した人によって違うのか… とても考えさせられる話でした。成る程、皆んな話を盛っている部分があるんですね! どれだけ考えても、きっと真実にたどり着けませんね😅
ふむ。 シンプルに。 もう1回読んでくる!!!!