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茂武町夜はここ最近になって、判を押したように同じ悪夢に苛まれていた。
果てのない暗闇の底。
重力も方角も喪失した闇の中で、前方にぽつりと、青白い輪郭を帯びた「何か」が浮かび上がる。
初めは淡い光の染みのように見えたそれは、あっという間に視界を埋め尽くすほどに拡大していく。
ぬらりと光を反射する硬質な質感。左右に連なる異様な凹凸。
それが、人の背丈を遥かに超える巨大な「歯列」であると悟った次の瞬間、空間そのものを震わせるような、おぞましい音響が鼓膜を叩く。
ゴリゴリッ。
ギリ、ギリギリッ……。
骨や肉、あるいはそれ以上の硬度を持つ何かを力任せに擂り潰し、執拗に噛み砕く、生々しく不快極まりない咀嚼音。
町夜は指一本動かすこともできず、ただその噛み砕かれる音の暴力に晒され続けるしかなかった。
町夜
弾かれたように跳ね起きると、そこは見慣れた自室のベッドの上だった。
鍛え上げた胸筋や背中にはびっしりと冷たい寝汗が張り付いている。 全身の筋肉が強張ったまま、心臓だけが早鐘を打っていた。
町夜
毎晩のように繰り返されるこの悪夢は、屈強な肉体を誇る町夜の精神を、少しずつ少しずつ、確実に削り苛んでいた。
🎲 茂武 町夜【SAN値チェック】➔ 成功
町夜は強靭な精神力で、悪夢の余波を振り払った。
鍛え上げた筋肉には何の異常もない。 頑健な肉体をもって、今日もまた仕事に励む。
町夜が悪夢に悩まされながらも日常を過ごしていたある日、外出先でスマートフォンが震えた。
画面には「母」の二文字。電話に出ると、受話器の向こうから聞き慣れた母親の小言混じりの声が響く。
「アンタ、大きくなってからぜんぜんおばあちゃんちに行ってないでしょー。たまにはおばあちゃんに顔を見せてあげなさい」
「元気そうに見えても歳なんだから。いつもアンタの心配してるのよ」
母が祖母の話題をすると、町夜の脳裏には自然と幼い頃の記憶が蘇る。
小柄で、いつも穏やかに微笑んでいた父方の祖母。 夏休みを迎えるたびに訪れていた、あの山あいの小さな村。 村人のほとんどが高齢者で、若者や子どもの姿は数えるほどしかなかった。
「アンタも忙しいのは分かるけど、その内おばあちゃんちに行ってあげるのよ」
そう念を押され、通話は切れた。
気分転換と悪夢払いを兼ね、町夜は数日間の休暇を取って祖母の村へ向かうことを決める。
電車の心地よい揺れに身を任せること数時間。
やがて乗客のまばらな古びた路線バスに乗り継ぎ、深い緑に閉ざされた山あいの寒村へと辿り着いた。
四方を鬱蒼とした険しい山々に囲まれた村は、電気などのインフラこそ整っているものの、寂れた空気が漂っている。
記憶を頼りに祖母の家を目指して歩を進めると、農作業の手を止めた村人たちと目が合い、「こんにちは」と穏やかな挨拶を交わす。
すれ違うのはやはり腰の曲がった老人ばかりで、かつての記憶のとおり、子どもたちの声は聞こえてこない。
やがて目の前に、見覚えのある立派な木造の日本家屋――祖母の家が姿を現した。
いきなり来たから驚くだろうか。
少々の懐かしさと期待を胸に、町夜は玄関の引き戸に手をかけ、からりと音を立てて開けた。
町夜
町夜が声を響かせると、すぐに奥からペタペタと小さな足音が近づいてきて、小柄な祖母が姿を現した。 電話口で聞いた温和な声、幼い日の面影そのままの祖母の姿。
しかし、数年ぶりに再会した孫の顔を見た瞬間、祖母の表情は喜びに綻ぶどころか、凍りついたように強張った。
祖母
祖母
突然の来訪に驚いたという風情ではない。あからさまな拒絶が見て取れる。
母から電話をもらって久しぶりに顔が見たくなったこと、数日間の小旅行であることを伝えても、祖母の頑なな表情は解けない。
祖母
祖母
祖母は露骨に町夜を追い返そうとする。
しかし、山間の小さな村にホテルや旅館などあるはずもない。 時刻はすでに夕暮れであり、山を降りる最終バスはとっくに過ぎ去り、タクシーを呼んだところで今日中に配車される見込みはない。
町夜がそのような事情を重ねて説明すると、祖母はひどく渋々と彼を家に迎え入れた。
祖母
町夜は祖母のあとについて、濃い茶色の板張りの廊下を進んだ。
その途中、ふと視線を向けた仏間の薄暗がりの中に、目が吸い寄せられた。
部屋の隅に、鈍い重厚感を放つ古い金庫が置かれている。 古い日本家屋に年代物の金庫があること自体は珍しくもない。
しかし、町夜は胸に奇妙なざわつきを覚え、その黒ずんだ鉄の塊から目を離せなかった。
町夜
町夜
町夜は祖母に言葉を投げかけながら金庫に視線を凝らす。
鉄扉の正面に「イロハニホヘト……」と旧式のカタカナが刻まれたダイヤル錠が備え付けられた、頑丈そうな金庫。
町夜の鍛え抜かれた筋力を以てしても、力尽くで開けるのは到底不可能だろう。
祖母
祖母
町夜
祖母はそれ以上何も語ろうとせず、町夜を急き立てるように奥の和室へと案内した。
町夜が荷物を解いて一息ついた頃、祖母から夕食の声がかかった。
到着時の冷ややかな態度とは裏腹に、食卓には町夜の好物が所狭しと並べられていた。
祖母
祖母は口を窄めるが、町夜が近況を話すと、嬉しそうに何度も頷きながら耳を傾けてくれる。
町夜は祖母へ土産として持参したプロテインを差し出した。
町夜
町夜
町夜は日頃の鍛錬の成果を示すように筋肉を隆起させてポージングを披露した。
突然の肉体美の誇示に、祖母は目を丸くして呆気に取られたのち、困惑交じりに眉を下げた。
祖母
祖母
祖母は差し出されたプロテインの包みを受け取り、居間の棚へと丁重に収めた。
祖母
祖母はそう言い残し、茶碗を片付けながら台所の奥へと引き上げていった。
夕食を終えた町夜は、自室に戻った。
町夜が祖母からこの部屋を使いなさいと案内されたのは、かつて幼い頃の夏休みに寝泊まりしていた部屋だった。
掃除が行き届いており埃臭さはないものの、片隅に置かれた書きつけ用の木製の小さな机や、年季の入ったタンス、そしてその上に置かれた丸いクッキー缶など、まるで時が止まったかのように当時のまま残されている。
町夜は、タンスの上に置かれた丸いクッキー缶を見つめながら記憶を手繰り寄せた。
子どもの頃、菓子を食べ終えたあとの空き缶を自分だけの宝箱に見立て、細々とした思い出の品を放り込んでいたはずだ。
町夜
町夜はタンスの上へと手を伸ばし、クッキー缶を降ろした。
経年で少し硬くなった金属の蓋を開くと、中に入っていたのは、数枚の思い出の品。
その中に、色褪せた一枚のスナップ写真があった。
写真には、満面の笑みを浮かべる二人の子どもが写っている。
ひとりは紛れもなく幼い頃の町夜自身。 そしてその隣には、彼と仲睦まじく手を繋ぎ合う同じ年頃の子どもが並んで写っていた。
写真の右隅には、当時のカメラ特有のオレンジ色のデジタル文字で【撮影日の日付】が鮮明に焼き付けられている。
それは確かに、町夜がかつて夏休みにこの村へ滞在していた時期と完全に一致する。
この子は、誰だっただろうか。
幼い頃の自分には、こんなにも親密に笑い合っていた友人がいただろうか。
記憶の糸を手繰って思い出そうとした途端、唐突に強烈な胸焼けと嘔吐感がせり上がってきた。
🎲 茂武 町夜【SAN値チェック】➔ 成功( ±0 )
町夜は喉元まで込み上げてきた正体不明の吐き気を、強引に呑み下した。
スナップ写真の中で、幼い自分と手を握り合う見知らぬ友人。 オレンジ色に刻まれた撮影日の日付。 確かにあの夏、自分はこの村で、この子とともに過ごしたはずだ。
それにもかかわらず、名前すら、声すら、何ひとつとして思い出せない。
ただ拒絶反応のような吐き気だけが、警鐘を鳴らしていた。
町夜
町夜は写真を手にして和室を出て、まだ明かりの残る台所へと向かった。