「あの…さ、……バ、バレンタインって…」 「えまさかチョコねだってんの?うわキモ無理」
齢(よわい)14にして、私はトラウマを経験した。
以来 私はバレンタインが嫌いだ。
女子はマーキング、男子は尻尾を振る。 互いの醜悪さが色濃く滲み出る、日本の悪しき風習。
…断っておくが、決して僻んでいるわけでは無い。 私だって大人になり、ちゃんと所帯を持っている。
ただ同じ男として、 チョコ●ール1粒貰っただけで、「え…こいつ…俺の事を……!?」と舞い上がる男が心底憐れに思うだけだ。
そして屍を毎年排出する日本のバレンタインに疑問を抱いているだけだ。
___だから私は教師になった、と言っても過言ではない。今や学年主任だ。
トラウマを抱えた身として、私は1人でも多くの男子に正しい道を示さねばならない。
それは生徒に限った話ではない。
学年主任
放課後。 私は印刷機の前に立つ若い男に声をかけた。
男__西谷先生は教師になってまだ1年ほどしか経っていない。
年齢も20代と若く、背も高く、在学中に教員免許を取るほどだから頭も良い。 ……勘違いしてもおかしくない。
若い芽を潰……バレンタインとは何たるかを説くのも学年主任の務めだ。
学年主任
西谷先生
ふん。カマトトぶりおって。 本当は心待ちにしてるんだr
西谷先生
学年主任
私は悟った。
この男は有象無象の憐れな男子達ではない。
「こちら側」の人間だ。
ひりあ第一中学校規則 第3章4項 「清涼飲料水、菓子類を持ち込む事勿(なか)れ」 ・上文は2月14日も例外無く適応す
問題の2月14日。 下駄箱前のドアに果たし状が貼られていた。
学年主任
__これは果たし状だ。 教室棟に赴くと、四方から殺気だった視線が飛んで来た。私のバレンタイン嫌いは生徒の間では有名だ。
「中学最後の」を枕詞に付けたがる3年の教室棟では特にそれが顕著だった。と言うか怒れる生徒達に取り囲まれた。
罵声。嘆き。ブーイング。 __全く、西谷先生には感謝しないといけない。
私の切なる主張を一同に届ける機会を得たのだから。
日本のバレンタインなぞ____
生徒達
生徒達
生徒達
生徒達
生徒達
学年主任
生徒達は想像以上に強かった。私の意志も毛根も想像以上に脆かった。
嗚呼、万事休すか……
西谷先生
その声は廊下によく響いた。
西谷先生
そう言ったね
西谷先生
西谷先生
西谷先生はゆっくりと廊下を歩き、私の後ろで立ち止まると、やたらいい声で微笑んだ。
西谷先生
生徒達
生徒達
穴が空いた風船のように、生徒達の怒気が立ち消えて行く。
そして困惑の色を浮かべながら、生徒達は集団の後方を____…
西谷先生
学年主任
西谷先生
学年主任
「はっ」
__集団の後方から、1つの声が上がった。
「若い芽を潰して楽しいか?屍サンよ」
その声は、モーセの如く集団を二つに割った。
集団が作った道を悠々と歩き出て来てたのは__
吉田くん
学年主任
学年主任
クレーム魔の親を持つ、三年の生徒達の取り纏め役の吉田くんです!彼を敵に回したら、教師でも関係無くここの居場所は無くなりますよ!
派手に制服を着崩した吉田くんは、西谷先生との身長差を物ともせず、細い目を更に細めた。
吉田くん
西谷先生
学年主任
吉田くん
西谷先生
学年主任
あの吉田くん相手に、1歩も引かない。
私など足元にも及ばない。 西谷先生の
オモイ バレンタインに対する怨念 は、それほど強いのだ。
怨念溢れる西谷先生は凄かった。
何のとは言わないけど、検挙率は90%を越えている。
……彼がいれば、変わるかもしれない。屍はもう、生まれないかもしれない。
……断っておくけど私は決して本当に僻んでいるわけではなく屍を生み出さない為に
生徒達
決戦の日にも夕暮れが近づいた放課後。 私は2人の女子生徒に声をかけられていた。
生徒達
私たち先生に渡したい物があるの
学年主任
トラウマを抱えた私は、 バレンタインを憎む私は、
こんな あからさまな罠に引っ掛かりはしない。これは罠だ。チョコを押収された事の恨みを__
生徒達
生徒達
これは罠だ。罠のはずだ。
世の中はバレンタインチョコのように甘くない。私をバレンタインを…
バレンタインを……バレンタイン… バ………
バレンタイィーーーンっ!!
西谷先生
西谷先生
運動部の威勢のいい掛け声も遠く感じる。 夕暮れの教室は酷く静かだ。
学年主任
夕陽は窓辺に佇む西谷先生をオレンジに照らし、横顔の輪郭を曖昧にさせた。
西谷先生
西谷先生
学年主任
__私は無言で、近くの机に先ほど貰った「それ」を置いた。 少々 歪なカップケーキだ。
西谷先生
学年主任
西谷先生の怨念は凄い。若いのに、私を遥かに凌駕する。
学年主任
西谷先生
___それでも、私は学年主任だ。 正しい道を示すのが務めだ。
学年主任
学年主任
西谷先生
西谷先生が、小さく息を吐いた。
西谷先生
その声が震えている、と感じた時には、西谷先生は顔を背けて教卓の方に歩き出していた。
西谷先生
西谷先生
西谷先生
西谷先生
そして西谷先生が教卓から取り出したのは、
数学の授業で使う、黒板サイズのコンパスだった。
学年主任
学年主任
西谷先生
西谷先生
学年主任
ガラッ
吉田くん
教室の扉が開いた。 生徒達のボスである吉田くんが呆れたように私たちを見ている。
その手には、あの形が歪なカップケーキ___。
学年主任
来ちゃダメだ吉田くん!この教室はもう死んでいる!!
吉田くんはワイヤレスイヤホンをはめた耳元を指差すと、カップケーキのラッピングの封を切った。
西谷先生
西谷先生
西谷先生は教卓から これまた黒板サイズの三角定規一式を取り出した。
吉田くん
シュンッ
学年主任
____吉田くんの投げたカップケーキは
吸い込まれるように西谷先生の口の中に入った。
西谷先生
学年主任
吉田くん
床に膝をつく西谷先生と駆け寄る私。
吉田くんは踵を返すと、そのどちらにも冷たい一瞥を投げた。
吉田くん
あぁ、そうだ。
いつの間に忘れていたのだろう。 この青く無様な感情が
他のどんな物よりも勝っていた事を。
学年主任
私は 先ほど頂いたカップケーキの、ラッピングの封を切った。
生徒達
生徒達
生徒達
吉田くん
吉田くん
吉田くん
吉田くん
学年主任
学年主任
西谷先生
ほら!俺の方が早く着いた!!
学年主任
西谷先生
西谷先生
西谷先生