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🌹第6話 過去パート ―菜月の記憶―
夕方。 西日がマンションの廊下を赤く染めている
小さな足音が壁に反響する
菜月――まだ小学二年生の少年は、 家の前で立ちすくんでいた。
ドアの向こうからは、 また母の怒鳴り声が聞こえる。
菜月母
言葉が刃みたいに飛んでくる。
菜月は耳を塞いだ。 でも、もう慣れてしまっていた。
怒られる理由なんて、 だんだんどうでもよくなっていった。
“いい子じゃないと、愛されない”
母に言われ続けたその台詞だけが、 頭の中でぐるぐる回っていた。
菜月はゆっくりドアから離れ階段を降りる 胸の奥が、ぎゅっと痛かった。
――痛いのに、誰にも言えない。
手首をぎゅっと掴む
小さな指に隠れるほどの細い腕には、 赤い跡がいくつもついている。
それを見ても、何も感じなくなっていた。
“これだけは、自分で自分を確かめられる”
そう思うようになってから、 ずっとこうだった
菜月は歩く。 どこへ行くかもわからないまま、ただ足の向く方へ。
……気づけば、公園に着いていた。
夕日がオレンジ色で、世界が少しぼやけて見える
ブランコだけが風に揺れて、 キィ、と鳴いた
菜月はそのブランコの鎖につかまって、 ゆっくり身体を預ける
重力に引かれるように、ぶら下がる
幼い菜月
胸の奥が空っぽになる。 涙は、もう出なかった。
そのとき――足音が近づいた
幼い紬
顔をあげると、小さな女の子が立っていた
その子は、菜月の腕を見て、 目を大きくして固まった。
幼い紬
涙をこらえるように唇を震わせて、 慌ててポケットをごそごそし―― 小さなハンカチを取り出した。
幼い紬
差し出されたハンカチは、菜月の手のひらより大きくて、柔らかかった。
その子は、どうしたらいいかわからずに あわあわしている。 ただ、必死に菜月を心配しているのが伝わった。
菜月はぽかんとした
――笑えるはずないのに。
でも、ほんの少しだけ、唇が上がった
幼い菜月
自分の声が、少し震えていた
世界が夕日に照らされて、 ふたりをオレンジ色で包み込む。
その瞬間、菜月の胸の奥に、何か温かいものが灯った
知らなかった
人に心配されることが、 こんなに痛いのに、こんなに嬉しいなんて
そして――
その瞬間、菜月は気づかないまま、 初めて誰かを好きになった。