奈那
時透無一郎
まだどこか不満気な無一郎が私の腕を掴み歩き出す。
歩幅を合わせてくれることはなかったが、 どんなに人がいようと腕を離すことは決してなかった。
触れている部分と顔が高熱を出したかのように熱い。
恋仲、と呼ばれる関係の男女が することのように感じて脳が溶けそうになる。
しばらく歩いた後、店に入り奈那には何度人生を繰り返しても手が出せないような値段の上質な着物を涼しい顔で買う無一郎。
黒地に紫色や水色、桃色の色とりどりでありながら控えめな花……
これは宝物だ、宝物というありふれた 言葉では価値を語るには不十分な程に大切な。
この日、奈那たちはこの道を通っていない。
何故無一郎は迷わずこの店を選んだのか。
それに気付く余裕もない奈那は大切そうに渡された着物を抱えて微笑み、嬉しさに震える声を必死で抑えて
奈那
と、告げる
何も映すことのなかった霞んだ瞳は見開かれ、確かに目の前の少女を捉え大きく揺れていた。
時透無一郎
続けて、"楽しかった"と独り言のように呟く無一郎。
奈那は心臓が破裂してしまうのではないかと思う程に早鐘を打っている。
あまりの煩さに耳鳴りすら聞こえる。
音も時間も全てが止まったように感じる奈那は、呼吸も忘れて無一郎の瞳を見つめていた。
視線が熱く絡まったのを感じた。一秒にも満たない時間であったはずなのに、数十秒にも感じる。
はっとしてすぐさま目線を逸らし空を見上げると、
無一郎を見つけた時はあんなにも高く昇っていた太陽はいつの間にか青空全体に赤みを与え、幸せな一日の終わりを告げようとしている。
無一郎は日が落ちる前に奈那を蜜璃の屋敷まで送り届けた
彼の行動は全て気分なのだろうか。ずっと、分からないままだ。
再度感謝を述べる奈那に軽く頷き、背を向ける。
無一郎はいつの間にやら仄暗くなった空を見上げてぽつりと呟いた。
時透無一郎
無一郎との幸せな思い出から数日経った頃のこと。
天元が柱を引退するとの知らせに、奈那は驚いていた。
あんなに体格が良くて、実力も柱の中でも上位であったはずの天元が、片目と片腕を失って引退。
奈那を連れていこうとしたあの任務だ。
鬼と対峙した日、そのたったの一夜で、それほどの怪我を負ったのだ。遊郭に居たのは上弦の陸。
上弦といえば、敬愛していた炎柱の命を奪った存在。その凶悪さを再度思い知る。
ただ、命があって良かったと、そう思う。
炭治郎、善逸……そして猪頭の隊士。
後に名前をしのぶから聞いたが伊之助というらしい。
同期であるはずなのに、こんなにも過酷な戦いに巻き込まれた。
彼らも揃って重症で、未だに目を覚まさない。
私の代わりに任務に行った三人が。なんと言葉にするべきか分からないような感情に襲われた。恐らくアオイも同じ気持ちだろう。
奈那
蜜璃に教えてもらった"かすてら"という食べ物を手に、蝶屋敷へと向かった。
蝶屋敷では全身に大怪我を負い痛ましい姿の同期。
後藤という隠とアオイが様子を見ていたため、
奈那
と"かすてら"を渡してそばに座る。
不意に声を掛けられる。後藤だ。
後藤
奈那
後藤
やはり、冷酷な霞柱と噂されるだけある。後藤の顔付きが本気だ。
それでも無一郎の根は優しいことを奈那は知っている。
奈那
後藤
奈那
力強く否定する後藤。彼に何があったのだろうか。 どう優しいのか、言葉で説明するとなると分からない。
ただ、無一郎への好意が彼を優しく映しているだけかもしれない。
それでも説明しようと口を開くと、アオイが口を挟んだ。
神崎アオイ
奈那
すっかり忘れていた。
三人が転がっている寝台を見下ろすと、何事も無かったかのように寝息を立てている。
それに安心した奈那は、 早く良くなることを祈りながら蝶屋敷を後にした。