雫
夏休み真っ只中
自転車に乗り、少し急な坂をペダルを 漕がずに走り抜けていく
風が結構強く 顔に当たるけど
太陽のジリジリとした日差しの方が 強くてやっぱり暑かった
坂を降りきって
10メートルほど直進して すぐ左側に私の高校がある
自転車置き場に自転車を停めて
下駄箱に靴を入れて図書室に向かう
中はクーラーが効いてて とても涼しかった
話した事は無い知った顔が 5.6人座っていて
それぞれが黙々と勉強をしていた
私も椅子に座ると
外の日差しでこもった体温が 少し下がるのを待ってから
ノートを開いて数学の勉強を始める
高校最後の夏休み
つまり大学の受験勉強の詰め込み期間
学校が図書室を夏休みの間17時までずっと解放していて
それに毎日通うのが最近の私の日課になっていた
参考書と過去問題集を ひたすら解いていく
何度も何度も繰り返していたから
すらすらと答えが出てしまって つまらない
というよりも、 本当に身に付いているのか不安になる
新しい参考書買ってこようかな…
村本
雫
村本
頭で呟いていた事が 無意識に声に出ていたらしい
私から一席空けた右側の席に 座っていた男子に声を掛けられた
雫
雫
村本
村本
村本
雫
雫
本の角が少し折れた参考書同士を 交換する
受け取った参考書には
『国立大学対策_受験数学』
と書かれていた
雫
村本
雫
雫
この高校で国立大学を受ける人は 本当に少ないから
大体名前も分かってしまう
村本
村本
雫
村本
村本
村本くんはニコッと微笑むと
「参考書ありがとう」と言って また勉強を再開した
私も勉強を始める
窓の外
グラウンドの方向から大きな掛け声や
ボールが金属バットに当たる 高い音が聞こえてきた
«5時間後»
雫
交換した参考書が意外と難しくて
いつもよりも熱中してしまった
村本
雫
雫
村本
村本
雫
村本
村本くんが眉毛が八の字になるくらいすごい変な顔をして困った顔をした
雫
思わず声に出して笑ってしまう
周りを気にして口を閉じたけど
私たち2人以外には もう誰も残っていなかった
腕時計を見ると すでに17時を回っている
雫
雫
村本
2人で下駄箱を通って駐輪場に行く
鍵を外すと自転車にまたがった
雫
雫
村本
雫
村本
雫
雫
雫
村本
雫
雫
村本くんは意外と走るのが速くて
私の自転車の先をずっと走ってる
あの急な坂もぐんぐんと登っていって
私のことを何度か立ち止まって 待っててくれた
雫
村本
雫
村本
村本
村本くんは坂の頂上のすぐそばにある駄菓子屋さんに駆け足で入ると
水色のアイスの袋を 一つ持って帰ってきた
村本
村本
どうやら一袋に棒アイスが 2本入っているやつの様で
そのうちの一本を私に渡してくれた
雫
雫
村本
村本
雫
1分ほど自転車を転がしたところに
川を一望出来る土手がある
自転車を停めて、私達はそこに座ると
川を眺めながらソーダ味のアイスを シャクシャクと食べた
村本
雫
今日話し始めた人と
こうして一緒にアイスを 食べる事になるとは思わなかった
このぎこちなさのせいだろうか
アイスの味が少し分からなかった
それでも
山吹色の夕日の光が反射して キラキラと輝く
川がとても綺麗だったことを
今でもよく覚えてる
«翌日»
またいつものように
急な坂を自転車で駆け抜けていく
図書室には誰もいなかった
クーラーの効いた図書室で 1人勉強を始める
«2時間後»
気がつくと私の斜め前の 向かい合わせの席に
黙々と勉強をする村本くんが 座っていた
何故か良く分からないけれど
ちょっと嬉しかった
村本
雫
昨日歩いた土手を
またソーダ味のアイスを半分こして 自転車を転がしながら歩いていく
村本
雫
雫
村本
雫
雫
村本
なんの変わりのない普通の話が 少しだけ心地よく感じるのは
何故なんだろう
そんなことを考えていたら
向かい側から歩いてきた
茶色の髪をした男の人に 自転車をぶつけてしまった
雫
男の人はチッ…と舌打ちをしながら 私を睨めつけてくると
私の右手首を強く掴んで グイッと引っ張ってきた
村本
村本くんが男の腕を咄嗟に掴む
それと同時に村本くんの左頬が 思い切り殴られた
その衝撃でよろけて土手の少し下まで転がり落ちてしまう
雫
雫
男は何も言わずに 私をどこかへ連れて行こうとする
雫
こんなことに巻き込まれるなんて
恐怖で頭が真っ白になってしまった
そんな中でも
私をハッと覚ましたのは
投げ出されるように 宙を舞うあの男と
男を背負い投げする
村本くんだった
雫
村本
村本くんは私の自転車に跨って
荷台部分をぽんぽんと叩く
混乱したまま私は荷台に座り
村本くんの背中に抱き着いた
村本
二人乗りとは思えないほどの速度で この場から離れていく
雫
村本
村本
村本
雫
雫
雫
村本
村本
村本
それからの会話は あまり無かったけれど
今日も相変わらず暑かったけれど
村本くんの背中がただただ
温かかった
この日から1週間ほどは
土手を避けて帰るようにした
でも何故か アイスは毎日食べて帰った
毎日同じアイス
本当は多分飽きてる
でもこのソーダ味が
この時のアイスが
とっても美味しく 感じてしまうのだ
«数日後»
雫
村本
雫
誰もいない図書室で
勉強の休憩に いつもの他愛のない話をする
交換しあった参考書も
順調に進んでいた
夏休みが終わっても
また村本くんとこんなふうに 話し合えるのだろうか
突然終わってしまうような気がして
少し不安になった
村本
雫
村本
村本くんは困ったような眉をしながら
やわらかな笑顔を見せる
雫
夏休み最後の図書室勉強が終わって
夏休み最後のアイスを食べた
村本
村本
雫
雫
手を振り帰っていく 村本くんの背中を見て
思わず声をかけてしまう
雫
村本
村本
雫
雫
村本
口に出すつもりないのに思ってることを言ってしまうことはあるのに
口に出したいのに想っていることが 言えない
雫
雫
村本
村本
雫
村本
この馬鹿…
明日学校が始まったら
また伝えてみよう
«20時26分»
〝村本くんが死んだ〟
意味が分からなかった
夕飯の最中に警察が来て
玄関で事情聴取をされた
色々聞かれたけれど
質問が頭を抜けて
まともな応えが 出来なかった
村本くんが死んだ
村本くんが死んだ
村本くんがしんだ
むらもとくんが
……
さっきまで話してた
話してた
アイスを一緒に食べてた
一緒に帰ってた
一緒にいたんだ
意味が分からない
意味が…
それから
〝村本くん〟と〝死んだ〟の単語が ぐるぐると頭を回っていて
ただそれだけだった
警察はいつの間にか帰っていたし
いつの間にか夜は明けていた
いつの間にか学校に着いていたし
いつの間にかいつもの図書室にいた
村本くんと交換した参考書を ひろげると
夏休みに入って2冊目のノートに問題を始めようとする
…
……
ペンが
震えて
手が
震えて
線が乱れる
涙が落ちて
その線が
滲んで広がっていく
結局
その時は一問も解けなかった
帰り道
あの坂を一人で登っていく
駄菓子屋でいつもの ソーダ味のアイスを買う
土手に登って腰を掛けて
川を眺めながらアイスを シャクシャクとかじる
やっぱり
このアイス
一人じゃ多いや
村本くん
食べきれないよ
参考書だってまだ返してない
受験頑張るんじゃなかったの
この想いだって────
溶けて棒から落ちそうな もう一つのアイスをかじりながら
家に帰った
リビングについていたニュースを 見ると
村本くんの事がやっていた
〝男子高校生殺人事件〟
捕まった犯人の顔も載っていた
あの日にぶつかったあの男だった
『腹が立ったので殺した』
ふざけるな…
雫
気が付くとテレビに向かって 怒鳴っていた
お母さん
雫
雫
駆け足で自分の部屋に入る
ドアをバタンと閉じて
そのまま足の力が抜けて もたれてしまった
机の電気が着いているのに気が付いた
昨日の夜に消し忘れたのだろうか
消そうとよろよろと立ち上がる
机の上を見ると
村本くんと交換したはずの 私の参考書と
小さなメモが置いてあった
〝村本くんのお母さんが忙しいのにも関わらず、お昼に返しに来てくれました。〟
〝『息子と仲良くして下さってありがとうございました』と言伝もありました〟
久しぶりの私の参考書を
意味も無く最初から パラパラと開いていく
村本くんが貼っていた付箋と それに書かれたメモが過ぎていく
雫
最後の著者名のページにまで 来てしまった
閉じようとした時
シャーペンの様な字で書かれた 文章に目が留まる
雫
〝多分気付かれないから書いてみる…受験2人で合格出来るといいね。挫けずに一緒に頑張っていこ!〟
雫
雫
雫
雫
顔に当たる風より暑い夏の日差し
二人っきりの涼しい図書室
すぅっと抜けるソーダの香り
川に反射する夕陽の輝き
やかましくも儚い蝉の声
もうすぐ
村本くんとの夏が終わる
散るよ
夏
コメント
2件
武藤さん こちらでもありがとうございます( ;∀;) 青春なお話、また書こうかな。
この作品本当に好き。ラスト胸が痛くて……。