午後七時四十五分、スパニッシュレストラン「Sabor Elegante」エントランス前にて
すいせい
すいせいの拳は無意識のうちに固く閉ざされていた。しかし、その拳の内側でもじわりじわりと汗が広がっていくのを十分に知覚出来た。
嫌だ、みこちを失いたくない。焦りがすいせいの脳裏を蝕む。
みこ
すいせい
まだ犯されていない理性をひっくり返して、短い言葉を吐き出す。必要最低限以外の言葉は状況をなお悪化させるのではないかという懸念があったからだ。
みこ
すいせい
すいせい
みこ
そう言ったっきり、みこはすっかり黙り込んでしまった。すいせいはただの一言も話さず、みこの発言の続きを待っていた。
みこ
すいせい
集中力を極限まで研ぎ澄ましていても聞き取れないほど、みこの声は一瞬ひどくか細くなった。
みこ
だがしかし、みこのしおらしさは一時続いたのみで、張り詰めた緊張の糸はぷつんと切れ、ほんの少し前までの明るく屈託のない笑顔に戻る。
みこ
すいせい
すいせいは一つだけ理解できた。台風に乱される海の大波のように、みこの心の内で何がしかの大きな揺らぎがあったことだ。
みこ
偉いオトナとずっとお話してたら疲れちゃって…。
もう早くすいちゃんとゆっくりしたかったんだよー!
すいせい
今日のミーティングで彼女の身の上に関して大きな変化があったのだろう。そして、それに決断を下せないままでいる。ただ、みこは今それを話したがっていない。
すいせい
すいせいは拳の力を緩め、その内側の汗を悟られないように後ろで手を組んでみこに一歩近付く。
すいせい
国民やめさせられちゃうよ?
みこ
みこ
すいせい
みこ
すいせい
みこ
神さまは養成学校からやり直しだ、とぷりぷり地団駄を踏むみこ。
少しの時間みこちを煩わせる難題から気を紛らわせることが出来ただろうか。 みこちが話したがるまで私は待とう、とすいせいは心の中で頷いた。
すいせい
すいせい
みこ
すいせい
レストラン「Sabor Elegante」の扉を開けると、その名の通り、繊細でエレガントな世界が広がっていた。壁にはスペインの伝統的なタイルが丁寧に配され、その模様が煌びやかなアートのように空間を彩っている。暖かい色調のアンティークな木製の家具が、部屋の隅々に配置されており、その木の香りがふわっと鼻をくすぐる。
照明は控えめで、テーブルの上のキャンドルが、ソフトな光を放ちながら食事を温かく照らしている。そのキャンドルの灯りが、シンプルで上品な陶器やガラス製の食器に反射して、幻想的な雰囲気を醸し出している。
そして、耳にはスペインの古典的な音楽が流れ、時折フラメンコのリズムが高らかに響く。そのメロディーは、この場所がただのレストランではなく、スペインの文化と歴史を感じさせる特別な空間であることを物語っていた。
みこ
すいせい
みこ
すいせい
みこ
ねぇねぇ、とみこはアミューズのアボカドタルタルがたっぷり付いたエビを頬張る手を止めて声を潜める。
みこ
そしたらちょっとみこ緊張しちゃうかも…。
すいせい
すいせい
すいせい
ほら見てみて、と重厚な面持ちで前菜を慎重に運ぶウェイターの方にみこの視線を促す。
みこの手前に、「サーモンのカルパッチョ、フレッシュハーブとレモンのヴィニグレットドレッシング」と称されたプレートが置かれる。
みこ
すいせい
みこ
すいせい
すいせい
みこ
もうビュービューだよ、と顔の脇で両手を仰いでみせる。
みこ
モノ欲しげな視線を察知したすいせいが顔を上げると、みこがすいせいのプレートを凝視していた。
すいせい
みこ
みこ
すいせい
みこ
それから次々にスープや魚介、そして肉料理が神妙に運ばれてくるが、その都度みこが拍手と歓声をあげるので、ウェイターも料理を運ぶ回数を重ねる毎に、早足になっていった。
みこ
みこ
みこ
すいせい
みこ
みこ
古のチョーク入ってる!?
みこ
すいちゃん風だよ風!吹き込んでるよ、地中海!
すいせい
ひとしきりコース料理を楽しむと、かなたとのやり取りを思い出し、待機していた近くのウェイターに注文を伝える。
すいせい
みこ
すいせい
みこ
すいせい
みこ
みこ
みこ
すいせい
すいせい
店員と結託して、みこに悟られぬように隠しておいたプラスチックケースをおもむろにテーブルに取り出した。
みこ
ちょー可愛いじゃん!?
みこ
すいせい
みこ
みこ
すいせい
みこ
すいせい
みこに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で独り言を呟く。
みこ
すいせい
みこ
すいせい
みこ
すいせい
すいせいが一つ息を吸うと、また空気が張り詰めたのを感じた。 すいせいの鼓動が早くなる。
すいせい
すいせい
みこ
みこが俯く。その瞳はほんの少し悲しみを帯びていた。
すいせい
すいせい
みこ
すいせい
すいせい
みこ
すいせい
みこ
すいせい
すいせい
すいせい
すいせい
すいせい
すいせい
すいせい
すいせい
すいせい
みこ
すいせい
すいせい
すいせい
みこ
すいせい
みこ
みこ
すいせい
ありがとう。
すいせい
みこ
みこ
みこ
みこ
みこ
みこ
みこ
すいせい
みこ
みこ
みこ
みこ
安心したように微笑むみこが、プラスチックケースをそっと撫でて言う。
みこ
みこ
みこ
すいせい
みこ
みこ
すいせい
すいせい
みこ
みこ
みこ
みこ
すいせい
みこが入場前に同居のことで落ち込んでいた理由を悟る。
すいせい
みこ
すいせい
すいせい
すいせい
みこ
みこ
みこ
すいせい
すいせい
みこ
すいせい
すいせい
みこ
みこの顔が綻ぶ。この笑顔を一生かけて守るとすいせいは固く誓った。
みこ
みこ
すいせい
みこ
「Sabor Elegante」 エントランス前
みこ
みこ
すいせい
また来ようね。
みこ
みこは手の甲を額にくっつけて、敬礼のポーズをとる。
みこ
すいせい
今日は気を付けて帰るんだよ。
みこ
みこは恥ずかしそうに小さな体を左右に揺すったかと思うと、プラスチックケースを抱えたまますいせいに駆け寄った。
みこ
すいせい
みこ
すいせい
おやすみ…。
すいせい
みこを乗せたタクシーが、遠い地平線を目指すのを、すいせいは呆然と眺める。
すいせい
みこが目線を逸らし、下を見て恥ずかしがる様子を、頬を撫でながら思い出した。
すいせい
すいせい
すいせい
走り去るタクシーの排気音に紛れるように、こっそりと夜の通りに囁いた。