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私の人生を思い出せる限り思い出して書いたやつです
iPad側のバグというかなんというかで カテゴリを雑談・その他に出来なかったんすけど 不可抗力なので許してください
それは幼稚園の頃
ワイ
私は初めての恋をしていた
いつも構ってくれた姉のような存在だったその子
私の初恋は今思えばこの子だったので この頃既にバイセクの気質が見え隠れしていた
ちなみにこの子はモデル事務所とかいうやつに NTR(広義)された
そして初恋も叶わぬまま 私は引っ越しをすることになった
そこは地名を出して住んでいたと言ってしまえば 即身バレしかねないほどのど田舎
コンビニなんて徒歩圏内にありませんでした
よく肉を貰い、これは一昨日の熊だと話されることは あまり珍しくありませんでした
そして私はそのど田舎の幼稚園で 衝撃的なことを強いられることになりました
それはドアを開けたままトイレをするというもの
ドアを閉めさせてトイレの中で何かあったら 困るからという理由もあるのでしょうが (便器にケツがハマったり)
私はかなり恥ずかしかったことを覚えています
男 女 ト イ レ が 一 緒 で し た
そこまではまだ良いとして
トイレが空いているか確認する時、 必ず下がすっぽんぽんのガチロリ(お花摘み中)を 拝まなければならない
それが1番の苦行だったのです
そして私は横目で一瞬チラッと見て トイレが空いているか確認することにしたのですが
ワイ
目つきが悪かった私は あらぬ誤解を招いてしまい
必死に弁明するも信じてもらえず
社会の厳しさと、必ずしも正しい者が勝つとは限らないこと。
それを知ることになりました
このクソメスガキは今でも助走つけて殴りたいくらいです 天草四郎でも踏絵の上でタップダンスするレベルでムカつきます
まだ幼稚園の頃の話が続きます
この頃、私はこんな衝撃的なことを言われました。
私の現実での一人称は「あたし」だったのですが
ワイ
ワイ
他人の一人称についてとやかく言うべきではない 多様性というものを君は知っているのか
こう言い返せば良かったものの、 この頃の私は極度のヘタレ(ぶっちゃけ今も)だったため
何も言い返せず
しまいにはこんな事まで言われてしまいました
ワイ
一人称が自分の名前とかいう あまりにも“あたし”の上を行くぶりっ子っぽい一人称を勧められ
私は何が正しいのか分からなくなってしまいました
その後私の一人称は、外では自分の名前 家ではあたし…と、なんやかんや普通に使い分け出来ていました
ですがそれは結果論であって
人に一人称でもなんでも強制するのは良くないと思います
そこからまた引っ越しをしたのですが
そこもさっきの場所に比べれば都会ですが、 今思えばまだまだ田舎という印象です
ですがあの野うさぎが跳ねている所が見られるような とんでもないど田舎から引っ越してきたもので
その頃はそこが東京のような大都会に見えたものです
小学生の頃はあまりいい思い出が無く
引っ越してきたばかりで何がなんだか分からない私は 毎日のようにストレスからくる腹痛で保健室に通っていました
その結果、同級生から「サボり」と勘違いされてしまい
私は教室に居づらくなってました
わざとなのかたまたま当たっただけなのかは分かりませんが
階段で背中を押され落ちかけるという事件も勃発し
私は教室に入る事が出来なくなりました
そして私は些細な事で泣いてしまう豆腐メンタルの持ち主なので
少しきつい事を言われては大泣きし 授業が進まないと言われ廊下に閉め出されたり
まあ授業が進まないのは事実なので、 締め出すという判断は賢明だと思います。
皆さんお察しの通り、私はここで不登校になりました
元々朝に弱いタイプ(のちに起立性調節障害だと判明)だったので、 早く起きなくていいという事は それだけで私のメンタルを安定させました
ですが母には仕事があります
私に1日中家にいられては困るのです
そうして私は児童相談所に入れられました
母も働かなくては自分が食う事も私に食わせる事も出来ないため これは本当に仕方がないです。
児童相談所に入って良かった事といえば
それは魔法少女まどか☆マギカに出会えたことでしょう
決まった時間にしか見られないテレビで、 何を思ったのかまどマギの総集編映画が 最初から最後まで流されました。
児童相談所で流していいものでは無い気がしますが
私はまどマギで、 人生で初めてアニメを見て泣きました。
まどかもさやかも杏子もほむらも
みんな良い子で
どうしてこんなに良い子たちが こんな目に遭わないといけないのだろう
インキュベーターとか円環の理とか 難しいことは分かってなかったと思いますが
とにかく私の人生を支えたアニメのひとつがまどマギです
ワルプルギスの廻天の上映がさらっと延期されていた事を 私は見逃していません(涙)
児童相談所の環境は悪くなく、むしろ良いくらいでした
優しい職員の方もたくさんいましたし、ご飯だって美味しかったし
さらにはお菓子まで食べられました
今思えば、環境がいい場所を母が必死で探してくれたのでしょう
感謝しかありません
ですがそんな事、当時の幼き私が知る由もありません
2人とてつもなく怖い職員の方がいて、 その2人が近くにいる時、私は小刻みに震えてしまう程でした。
そして私は母への恩を仇で返す計画を企てます
ワイ
そう、脱走です。
そして、その計画の賛同者がひとり
その子は私より小さい女の子でした。
私とその子はとても仲が良く、毎日一緒に遊んでいました。
私とその子は、たまたま児童相談所の本棚に置いてあった サバイバルのコツなどが載っている本を読み、 なんとか脱走した後に生き残る術を学ぼうとしました
だから児童相談所にそんな本置くなよ
まあ当時もど畜生だった私は
ワイ
とか思っていました(決して真似しないように)
そして最悪にも、脱走の準備が次々と整っていきました。
てっきり窓を開けたらブザーかなんかが鳴るのかと思っていましたが そんなことは全く無く、脱走の敷居は思ったより低そうだったのです
外(あくまで児相の敷地内)で鬼ごっこなどもしていたため、 窓から外に出た後の脱走ルートも把握済みでした。
ワイ
ワイ
ワイ
ワイ
ワイ
ワイ
ワイ
本来なら準備が整った時点で脱走するのが定石ですが
準備が整ったのは冬でした
ワイ
ワイ
ワイ
その子は児童相談所から出る事を強く望んでいました
私もそうだったのですが
多分家族に会いたかったか…その逆だったのかなと思います
私は言わずもがな前者です
ですが脱走したら母に会うのは難しいと その時の私はやはり知る由もありませんでした。
そしてもうすぐスニーカーで外を駆け回れるという頃
私には母の迎えが来ました
母に会えるのはとても嬉しかったし、 母から香る懐かしい匂いで胸がいっぱいになり もう泣きそうでした。
ですが彼女は違いました
ずっと一緒にここから逃げる日を望んでいた彼女
一緒に逃げようと言ったのに 私だけ正式な手段で児童相談所を出る
私は嘘つきだと罵られても良かったのですが
ただ別れの言葉を短く言われただけで、 それ以上は何もありませんでした
その子が1人で脱走を決行したのか そのまま児童相談所にいることにしたのかは分かりませんが
後者であってほしいと願うばかりです
児童相談所からの帰り道ほど 気まずい時間は無いと思います。
何ヶ月も離れて暮らしていたんですし、 そもそも何を話せばいいのか分からないのです。
どのくらいで普通に会話出来るように戻ったのか 何を話したのかは覚えていませんが
私も母も大喧嘩しても3日後にはケロっとした顔で 推しの話を始めるくらいの仲良しなので
多分そこまで時間はかからなかったと思います。
その後の小学生時代は、これといって面白いことはありません
引き続き不登校でしたし、 5年生の頃から特別学級に登校していましたが
人間関係なども全く無く、ただ勉強をしていただけでした。
特筆すべき点を挙げるとすれば、絵を描き始めたことです。
私が児童相談所に何ヶ月もいた間に 世間では鬼滅の刃というものが流行っていました。
完全に出遅れです。
絵すごいな、私もこんな絵が描きたい。
そう思って、授業以外で初めて絵を描きました。
最初は目も当てられないほどに下手くそでしたが、 最近は自分の絵が好きだと 胸を張って言えるので(上手いとは言っていない)
絵は描いていて良かったと思います。
そして特筆すべき点がもうひとつありました
確か4年生頃、母がドラゴンボールを見ないかと言ってきたのです
その頃の私のドラゴンボールの印象といえば
ガチムチの男が殴り合いをするみたいな、 男向けのアニメだという偏見がありました。
1話見て、その偏見は綺麗さっぱり無くなりました。
中華な世界観と近未来的な世界観が上手く融合した 唯一無二の世界観。
幼少期の悟空はあのガチムチとは程遠く、 最初の悟空はこんなに可愛かったのかと衝撃を受けました。
そこから鳥山ワールドにズルズルと呑まれていき
気付けばとんでもないほどにハマっていました
特に好きなのがピッコロさん
大魔王の生まれ変わりということで、最初見た時は こいつはどんな悪党なんだと身構えていましたが
悟飯にリンゴをあげたあたりから 「あれ?こいついい奴?」と見る目が変わりました。
それからピッコロのツンが出たと思えば すぐさまデレが出る、まさしく典型的なツンデレさに惹かれ
飽き性な私が今でも大好きだと言える 貴重なキャラの1人になりました。
不登校でやりたいこともやり尽くし、 毎日が虚無みたいだった私ですが
そのうちドラゴンボールを見ることが 毎日の楽しみになっていました。
まさしく、私の人生を1番支えているアニメでしょう。
私は辰年生まれなのですが、これも何かの縁だと思います。
そして、鳥山明さんが旅立たれた3月1日は私の誕生日でした。
さらにその年は辰年。
こんなところで縁を結びたくはなかったと、 何度も思いました。
もし私が死んだ時に天国で鳥山さんに会えるのなら
めいっぱいの感謝を伝えたいです。
他にも進撃の巨人を見たのですが
この時の私は進撃の世界観が難しすぎて よく理解できていなかったのに加え
まだファイナルシーズンが公開されていなかったので そこまで印象に残っていません。
特別学級の先生に女型の巨人の正体をネタバレされたのは 今となってはいい思い出です(怒り)
そして中学校に入学したのですが
普通学級で頑張るぞとか意気込んでいたくせに 自己紹介の時点で目眩を起こして倒れ
完全に出遅れた状態でコミュ障の私が クラスに馴染めるはずがなく
そしてさらにまた引っ越しした先の中学校だったため 知り合いなんて1人もおらず
既に同じ小学校同士で形成されているコミュニティに どうもどうもとか言いながら割って入れるほど陽キャでもなく
不 登 校 に な り ま し た
明日は、明日こそは頑張って行く。
そう前日に思っても、いざ日が登れば その勇気も夜空と共に沈んでしまうのです。
なんとかこの時は部活に行けていましたが
中2になったらほぼ帰宅部みたいになります。
そう、幽霊部員です。
ほとんど部活に顔を出す事も無く、明日は行くぞと思っても いざ下校時間となると下校してしまうのが人の性。
単細胞です。
中1の時にハマったものといえば、
おかしいですね。あるはずなのに思い出せません。
ニーディーガールオーバードーズとか、 確か中1の時にハマってましたかね
全エンディング回収実況総集編を3回見て 何回も泣きました。
てんちゃんが救われる道はあるんですかね。
私はことごとく、女の子がひどい目に遭って 最後まで救われない系の物語に弱い気がします。
ONE PIECEだと、アーロン一味とナミの話と ロビンの過去編で大泣きした記憶があります。
逆に他は泣いてないと思います。
推しのエースの死亡シーンは 有名すぎてもはや泣きませんでした。
連載当時に読んでたら、きっと泣けてたんだろうなと 見れた人がちょっぴり羨ましいです。
あと中学入学前、髪を切りにいったのですが
男の人の写真を見せて 「こんくらい短くしてください!」って言ったのに
普通に可愛い感じの女の子らしい髪型にされた時は 流石に頭に疑問符が浮かびました。
こんくらいって言われてるのに なんでいらんアレンジしちゃうんですかね。
皆さんも男らしいショートカットにしてもらいたい時は 必ず「メンズカットで!!!!!!!!」と 大声で叫ぶようにした方が身のためです。
そして特に何も無く、中学2年生になってしまいました。
ですが推し活という点では、この頃(現在)が 1番充実していると思います。
まず、進撃を最初から最後まで何回も見返しました。
何回も見るうちに伏線とか小ネタとか見る余裕も出来てきて、 いわゆるモブキャラと言われる部類のキャラを 目で追う余裕まで出てきました。
モブリットが1番の推しですが、彼は名前にモブと付いているのに そこまでモブでは無いため説明は割愛します。
進撃のモブキャラ陣の中で特に好きなのが、 ハンジ班所属のアーベル、通称髭ゴーグル。
しばらくの間名前も明かされていなかった上に、 せっかく明かされたと思いきや誤植されていたりと かなり散々な目に遭っているのが印象的です。
彼の死亡シーンは、アニメだとかなりしっかり描かれていて ちょっと半泣きしてしまうくらいには衝撃でした。
次に、このアーベルとモブリットが同期なのではないかという 私の妄想を書き綴った50000文字程度の小説を書いた事。
真面目な小説なんてあまり書いたことがなかったのですが、 50000文字なんて行けたのは、やはり彼らの過去が 公式から明かされていないこと。
妄想しがいがあるということです。
これがモブキャラを推している中で良いと思う点のひとつです。
あまり多くを語られていないキャラというのは、 それだけでミステリアスで独特な雰囲気を感じます。
あと人に小説を書いていると言えるのは 大きなアドバンテージになります。
50000文字は短編小説の域を出ませんが、書いているというだけで 国語の先生にはかなり関心されます。
最近は活字に弱い子が多いようなので、小説を読む、 ましてや書く子は珍しいと思われているのでしょう。
実際は言ってないだけで書いてる子はかなりいると思います。
多分恥ずかしいのでしょう、私も恥ずかしいので 二次創作だということは伏せています。
そして言い忘れていたことがありました
恐らく私の人生を1番支えてるYouTuberの方がいます
その人のチャンネル名はFPSgamer201
小学4年生くらいの時に出会ったと思います
その頃はなんか無性に死にたくて堪らなかったのですが
多分知り合いにめちゃくちゃ病んでる子が1人いたせいで 私もそっちに思考が引っ張られたのかもしれません。
何度も死のう死のうと思っている時、 FPSさんの動画をたまたま開きました。
その時は面白いな程度にしか思っていませんでしたが
FPSさんの動画を見た後は 不思議と死にたいとか馬鹿なことは考えなくなりました。
そして中学1年生になりたての頃
本格的にFPSさんの動画にハマりました。
毎日のようにFPSさんの動画を見て、 笑って泣いて驚いて
なんだかFPSさんはずっと動画を投稿してくれるものかと
彼の作る動画を見ることが生活の一部のようになっていた私は 無意識のうちにそんなことを考えていました。
そしてGNチャンネルさんや、やさぐれゆむさん等 他にも投稿を楽しみにするようになった実況者さんが増え
自然とFPSgamerさんの動画は見なくなっていきました。
ですが、これを後に後悔することになります。
中学2年のある日、FPSgamerさんは 自身の動画を全て非公開にしてしまいました
そして引退配信が始まり、彼のアカウントは消され もはや伝説のGMODゆっくり実況者となってしまいました。
その晩は泣いて彼の動画を見なかったことを後悔し、 彼が無事であることを祈るばかりでした。
ですが彼は最近、動画投稿を再開したのです!!
私は小躍りしながら大好きだった彼の動画を見ました
特にオススメしたいのがGTAシリーズ
彼が作り出す洋画のような雰囲気と、 支離滅裂ながら人間のドラマというものが垣間見える 霊夢と魔理沙の会話。
言葉に表し切れないほど、彼の動画は魅力的なのです。
デッドプールという映画がありますが、それが好きな人なら 必ずハマれると思います。
デッドプールと少し雰囲気が似ていると思うのです。
彼が出した動画を見た時、私は思いました。
ワイ
ワイ
ワイ
そう思い、私はゆっくり実況動画を2本作りました。
YouTubeのアカウントが無いため 投稿などは出来ないのですが
それでも結構頑張って動画を作りました
残念ながら残ってはいませんでした。 いつ消したのか自分でも覚えていません。
そうして、趣味がイラスト制作、小説執筆、 そこに動画編集が加わりました。
2025年はかなり趣味を増やした年だと思います。
そして次に挑戦したのがボカロ制作
ボカロ制作とは言いつつも、ファイルをぶち込んで coverを作る初歩中の初歩のやつです。
最初にcoverをしたのがゴートゥー・大都会
なぜこれを選んだのか。
調声されているのをぶち込んだだけなので 私は本当に何もしていないやつです。
ですが気合いを入れたのは動画編集の方。
静止画じゃ全く分かりませんが 大分頑張った方でした。
他に中2の思い出といえば
リアルで友達が出来ました。
児童相談所にいた頃以来の友達というか
久しぶりすぎて同年代の女の子と何を話せばいいのか 全く分からないのですが
多分友達だと思います。
友達のうちの1人がボーイッシュな女の子なのですが
好きです。
でも高校は別になるだろうし、 私はLINEもやってないし
叶ったとしても卒業したら疎遠になることは確定なので
もう何も考えないようにしています。
そしてその後も色々ありつつ
高校受験が刻々と近づいて来ているのが 今現在の私の現状です。
こんなこと書かずに勉強しろって言いたいんでしょう?
真面目にやって残った時間でこれをちまちま書いていたんです。
多分読みづらかったと思いますが、これを書いてて 自分で思ったことが
幼稚園から小学校低学年あたりの私の人生は 結構面白いなということです。
人間関係があったからでしょうね。
その後の人生は人間関係があまり無いため、面白味が無いのかと。
生きていく中で人間関係というものは不必要ですが、 楽しい人生を送りたいのなら友達は作るべきです。
ネットのじゃありません。現実のです。
扉を開けて外に出る勇気。人に声をかける勇気。 他人の目を気にせず好きに生きる勇気。
それさえあれば人生はもっと豊かになるんだなぁと思いつつ
明ける夜と共に私の中の怠惰な心がコンニチワしてしまい どうにもその一歩が踏み出せないんです。
ですが最近は割とよくやれてる方だと思います。
私は昔やらかした恥ずかしいことなどを ずっと気にしてしまうタイプなのですが
母から「自分が思ってる程他人はお前の事を見ていない」と言われ かなり精神的に救われました。
悪口に見えなくも無いですが、 母はそんなつもりで言ったわけじゃないですし 私もそんな風に受け取っていないので大丈夫です。
それでは終わると見せかけて、 少しおまけを載せておきます。
初投稿の小説と 自分が書いた中で1番面白いと思う小説の比較
初投稿が自己紹介でもチャットノベルでも無く 普通の小説だったのを思い出しました。
出来はともかくとして 本当に小説書きたくてテラーを始めたんですね。
pixivの初投稿イラストと 直近で1番上手く描けたと思うイラストの比較
上が去年の10月に描いたイラスト 下が今年の10月に描いたイラストです
上のはキャラデザがかっこいいのと 血の表現が上手いですね。
昔の方が上手いことも結構あります。
下のは全体的なバランスが上手くなったのと、 自分が好きな要素を上手く絵の中に落とし込んだり、 塗りも進化しましたね。
自分で好きだと思える絵が描きたいと思って頑張ってきました。
小説も同じですね、自分が読みたいものを書いてきました。
絵も小説も書いてて良かったと思います。 このおかげで毎日楽しく過ごせましたし、 小説を書いている中で難しい言葉を覚えたりも出来たので。
それでは終わります。 長々と付き合って頂きありがとうございました。