1年間こっそり見つめ続けた人に、
こんなに強烈なフラれ方をした男子は、
世界は広いと言えども
俺ぐらいなもんなんじゃないだろうか。
______
上水口 赤(カミナグチアカ)
俺が高校の廊下を、
理科の教科書、ノート、筆記用具を両手に胸に抱き、
友達の滝沼 紫(タキヌマムラサキ)
紫と、
金井 橙(カナイトウ)
橙と歩いてた時の事だ。
次の授業が理科の実験で、俺たちは理科室に移動中。
3人でわいわいと昨日のテレビの話で盛り上がっていた。
あたりの空気を震わすような、たかぶった声で呼ばれた自分の名前に、
俺は思わず、勢いよく振り向いた。
一澤くん………
一澤 桃くん……(イチザワモモ)
心臓がドキンと跳ねる。
入学当初からなんとなく気になっていた男子だ。
クラスが違い、その上一澤くんのいる9組は、
学年で一つだけ別棟になる旧校舎だ。
喋った事は1度もない。
中肉中背より気持ち背が高い印象。
細面の顔立ちに、
黒目がちで角度によってはつりぎみに見えるハッキリした二重。
黙っていると大人っぽいけど友達とじゃれあっている時の無邪気な笑顔は、
もしかしたら実際の年齢より幼く見られるかもしれない。
かっこいい男子だった。
ギリシャ彫刻の少年を思わせる繊細な顔立ちじゃなく、
かといって、イマドキのイケメン路線ど真ん中からもちょっとズレている。
単に俺の好きな顔立ちなのかもしれない。
だからなんとなく気になり、
そのうちその姿を目で追うようになってしまっていた。
高校生活の自分だけのひそかな楽しみ。
憧れ程度の目の保養のつもりだから、
仲がいい紫にも橙にも話したことは無い。
それにしても、よく俺の名前を知ってたな。
俺は別に大人しいわけでもないけど、とりたて目立つ部類にも入らない。
どちらかというと、その他大勢に完全に埋もれてしまうタイプだ。
一澤 桃(イチザワモモ)
一澤くんは抑えた声にキツい形相だ……。
上水口 赤(カミナグチアカ)
本鈴まであと1分もないはずだ。
でも窓ガラスまで割れそうなビリビリした緊迫感に気おされて、
俺は本意とは違う返事をする。
怒気に支配された空気。
上水口 赤(カミナグチアカ)
と小声で促す俺に、一緒にいた紫と橙も心配そうに肩を縮め、
顔を見合わせてからしぶしぶ頷いた。
2人の視線が、
大丈夫?
と探るように俺の瞳を覗き込む。
俺は小さく首を縦にふる。
一澤くんが俺に用事だなんてないだろう。
高校1年も終わりに近づくと、1部の華やかな生徒は山の頂のように、
どこにいても目につく存在になる。
気になるというひいき目を差し引いても、一澤くんはそういう生徒の1人であることは間違いない。
授業の直前で廊下にすでに人はいなかった。
生徒がひけて先生が来るまでのほんの短い静寂の中、
一澤くんは俺を階段わきの四角く引っ込んだスペースにいざなった。
校舎のほとんど先端で、ここは廊下から完全に死角になる。
一澤 桃(イチザワモモ)
教室に声が届かないように、ぎりぎりの理性で音量を絞っているように感じる。
その静かな声音にはぎゅーぎゅーに怒りの色が詰め込まれていた。
連日のテニス部の活動で浅黒く焼けた一澤くんの肌は、
無理に抑えた感情のためか青白くさえ見えた。
なんのことを言っているんだろう。
一澤くんと俺に接点なんかひとつも無いはずだ。
めまぐるしく頭を回転させ、俺はやっとひとつの可能性にたどり着いた。
この間駅前で拾った年に1度の全校模試の成績表が、うちの学校のものだった。
かなりの部分が破れていて、名前も学年も分からなかったけれど、
問題に見覚えがあったから1年生のものだと知れた。
かなりの高得点だった。
俺たちの学校、△△高校は東京の大学の地方付属高校だ。
ああいう資料は内部進学の時に重視される。
次の日俺は誰のものかわからないその成績表を、わけを話して担任に渡した。
三者面談に必要だから落とした人は困ると判断したからだ。
もしかしてあれは一澤くんの成績表だったんだろうか。
一澤くんってあんなに成績がいいの?
男子同士でふざけ合っているイメージしかないけど、
よっぽど地頭がいいのかな。
でも怒られる意味がわからない。
落としたものを拾ったと先生に告げたから?
でもあれがないと困るよね。
上水口 赤(カミナグチアカ)
一澤 桃(イチザワモモ)
俺の言葉は、一澤くんのぎょっとするほど低い声によってさえぎられた。
上水口 赤(カミナグチアカ)
俺は大きく目を見開いた。
一澤くんが手のひらを、耳のあたりまでひきあげたのだ。
節の目立ついかにも男子!という大きな手のひらが、こっちに向かって飛んでくるのがハッキリ見えた。
でもそれが何を意味するのかわからないまま、俺はただバカみたいに微動だにしないでつったっていた。
平手打ちをされたんだ、と気づきたのは多分何秒も過ぎてからだ。
俺は一澤くんを凝視したまま、自分の手のひらで、
打たれた頬を恐る恐る触った。
痛くない……
どうしてだかわかる。
一澤くんはおそらく振り上げた手が俺の頬に達する直前に我に返った。
さすがに本気で平手打ちなんて出来ない、と静止させようとした手のひらは、
勢いで結局俺の頬を軽く叩くことになった。
なんで?
どういうこと?
まったくわからない。
一澤 桃(イチザワモモ)
上水口 赤(カミナグチアカ)
一澤 桃(イチザワモモ)
一澤くんはそう罵ると、俺に背を向けた。
上水口 赤(カミナグチアカ)
どんどん遠ざかり、俺の呟きなんか聞こえてやしないはずの制服の白いシャツに向かって、
それでも疑問の声をもらしてしまった。
打たれた頬をゆっくりさする。
人から平手打ちをされたことなんかないけど、
高校1年生の男子が力いっぱい叩いたらきっとすごく痛いんだろうな、とぼんやり考えた。
なんか全然わからないけど、一澤くん、よく踏みとどまったな。
我を忘れる1歩手前、形相が変わるほど感情を怒りに支配されていたように感じた。
理科室について実験を始めてからも、俺は全く集中出来なかった。
不思議なほど頬を打たれたことへの憤りを感じない。
ただ疑問だった。
なんで?
どうして?
なんなわけ?
そして、俺には疑問を上回るほどの衝撃が、胸に鈍痛のように残っていた。
一澤くんに叩きつけられた一言。
”このブス”
高校生にとって気になる人からブス、と言われることは世界が暗転するほどショッキングな出来事だ。
その単語は俺にとってピンポイント爆弾ほどの威力を持っている。
自分が深い傷を負ったことだけはしっかり理解できた。
Next➥
コメント
3件
連載ブクマ失礼します🙇♀️
連載ブクマ失礼します(*・ω・)*_ _))ペコリン
ブクマ失礼します❗