寝室にあたたかな光が差し込んでいる。『アイツ』はベッドに座って、優しい声色で俺を呼んだ。
竜胆
そう言って微笑を浮かべたアイツは綺麗で、トクリと胸が高鳴る。
ふわふわと夢見心地で、いつもみたいに意固地になってプライドを守る気も起きない。ゆっくりとベッドの方に歩みを進めると、アイツは嬉しそうに俺を抱き寄せた。
竜胆
頭を撫でられて、胸中に温かなものが流れ込む。目を閉じてアイツの腕に身を任せた。
竜胆
──…幸せ……だって。
良かった。俺もアイツを幸せにできてるんだ。
嬉しい。俺も幸せだ──…。
──まぶたを開くと、無機質な天井が視界に入った。虚ろな意識の中でもここが病院だということは理解できた。
マイキー
春千夜
声を出すと喉が渇いていたから、長い時間眠っていたに違いない。
マイキーの助けを借りながらゆっくりと身体を起こして、周囲を見渡した。──アイツはいない。
解ってはいたことだが、胸がチクリと痛んだ。
マイキー
春千夜
マイキー
春千夜
頭が覚醒してくると、記憶がどんどんと甦ってきた。
俺は竜胆の『グレア』にあてられて、気を失った。その場には幹部達が揃っていたから、確実に俺がSubだということは知れ渡っただろう。
──…最悪だ。必死に守り続けていたものが一瞬で崩壊した。本当に俺は何をやってもうまくいかない。
きっとみんなで俺のことを『嘘つき野郎のSub』と見下して、笑い者にしているに違いない。
もう何もかもどうでもいい。疲れた。消えてしまいたい──…。
サブドロップの影響でネガティブ思考に拍車がかかっている。
マイキーは俺の心情を察してか、抱き締めて背中を撫でてくれた。
マイキー
春千夜
マイキーの身体は昔に比べて随分と華奢になった。体温も低くて、今にも壊れそうだ。温かい『アイツ』に抱き締められた時みたいに、胸が満たされることはない。
マイキー
春千夜
マイキーは俺を抱き締めたまま、目を見ないでぽつぽつと話し出した。
マイキー
春千夜
マイキー
春千夜
マイキー
春千夜
なんとなくこうなることは予想していた。誰が見たって、俺と竜胆とはこれ以上歩み寄ることはできないと判断するだろう。
春千夜
マイキー
春千夜
人の縁が切れるのは一瞬のことだ。
本来DomとSubは切っても切れない関係性のはずだ。第三者にパートナーを解消しろと言われて従うなんて、あまりにも軽すぎる。
竜胆にとっては手続き上のパートナーでしかなかったことを、痛いほど思い知らされた。
しょせん情がわいていたのは俺だけだ。──悲しい……離れたくないのに……辛い……胸が苦しい………。
マイキーの前で泣きたくないのに涙が溢れ出てくる。悲しみが深すぎて呼吸をすることすらままならない。
マイキー
マイキーも罪の意識から、静かに泣き出した。
春千夜
心が脆い俺達には『支える存在』が必要だ。もし俺とマイキーがパートナーを失ったSub同士、互いを支え合う存在になれば──。
マイキーも同じことを考えたようで、示し合わせたわけでもなく2人で視線を合わせた。
マイキーは俺の頬に触れて、目を閉じながら顔を寄せてきた。俺も応えようとして目を閉じた。
唇が触れあう寸前で、俺達はどちらも顔を反らした。
──…できない。竜胆とはもう終わった関係なのに、本能的にアイツ以外の接触を受け付けない。
マイキー
春千夜
マイキーはドラケンと離れて12年経つのに未だにこのザマだ。俺もきっと同じように、竜胆に囚われ続けることになる。
マイキー
春千夜
マイキー
春千夜
俺達Subにとってダイナミクスは呪いだ。Domに与えられる幸福が大きすぎて、忘れることができない。
芽生えてしまった愛情は根強くはびこって、胸を焦がす。
竜胆に会いたい気持ちが募って、切なくて苦しくて、意識が薄れていく。
視界がぼやけていく中で、マイキーは気を失ってベッドに突っ伏した。──俺はどうなっても良いが、マイキーは助けなきゃいけない。
先にサブドロップで意識を手放したマイキーの手を握って、俺はナースコールのボタンを押した。
竜胆
竜胆に額から鼻先、頬、唇へと順番に優しい口付けを与えられて、幸せに包まれた。
──これは俺の理想の世界だ。現実じゃない。
竜胆
俺は少し迷ってから、控えめに竜胆の唇に口付けをした。決して上手ではないキスなのに、竜胆は嬉しそうに微笑んだ。
竜胆
多幸感のあまり涙が溢れた。竜胆は涙を指で拭くと、優しい表情で俺の目を覗き込んだ。
竜胆
春千夜
竜胆
竜胆は俺の耳元に顔を寄せると、そっと囁いた。
──俺もお前が好きだ、春千夜。好きなだけ俺に甘えておいで。
サブドロップに再び陥った俺は、復帰までに時間が掛かった。
事務所で笑い者にされるか冷たい視線を浴びることを覚悟していたが、意外にもみんなにあたたかく迎えられた。
九井
望月
春千夜
鶴蝶
春千夜
竜胆は俺との接触が禁止になったとマイキーから聞かされていた。そのせいで俺は、今後はマイキーの部屋で任務をすることになった。
病み上がりだからと気を遣われて、追加の荷物は全て望月と鶴蝶が運んでくれた。
俺は暇をもてあまして、外の空気を吸うために屋上へと向かった。
重い扉を開くと、雲ひとつない青空が広がっていた。あたたかな日差しが心地よい。
フェンスの前で、青空に馴染む薄水色のスーツの人物が蘭と2人で並んで佇んでいるのが見えた。
心臓が跳ね上がった。アイツの後ろ姿を見間違えるはずがない。
急激に鼓動が激しくなって、苦しくなった。
──アイツが振り返るのがスローモーションの様に見える。
無表情で後ろを向いたアイツは、俺の顔を見るなり見開いた。それから唇を噛んで、泣きそうな表情を浮かべた。
ほんの少し目が合っただけで、竜胆から与えられた喜びや痛みが鮮明に甦って、胸が張り裂けそうになった。
三途──…あいつの口がそう動いた気がした。
蘭
走って来た蘭に目元を塞がれて、俺は無理矢理建物の中に戻された。
春千夜
蘭
春千夜
蘭
春千夜
蘭
蘭はにっこりと笑ってウインクをすると、ぐいぐいと俺を引っ張って階段を降りた。