事務所に戻ると、デスクの移動はとっくに終わっていた。
朝には姿が見えなかったマイキーも来ていて、九井が熱心に話す莫大な資金が手に入る計画の話をパッとしない顔で聞いていた。
マイキー
春千夜
九井
九井は露骨に溜め息を吐くと、俺のデスクの前に移動して話を始めた。非の打ち所のない計画な上に、誰が聞いても解るように資料にまとめられている。
マイキーがこれを理解出来なかったということは、今日は特に不安定な日なのかもしれない。
頬杖を突いてどこか遠くを見据える姿は、パートナーを失ったSubの成れの果ての姿そのものだった。
春千夜
九井
九井が気まずそうに出した名前に、心臓が跳ね上がった。
『竜胆』という言葉を出さないように配慮してくれただけマシだが、一気に頭の中がアイツで埋め尽くされる。
春千夜
九井
マイキー
九井が部屋を出ようとすると、マイキーは思い切ったように声を掛けて引き留めた。
マイキー
九井
マイキー
春千夜
マイキー
その言葉で九井もマイキーの意図を理解したようで、心底面倒くさそうに舌打ちをした。つまるところ、竜胆を俺に近づけさせないように見ておけということだ。
九井
マイキー
九井
身をもって辛さを経験しているマイキーの言葉は、胸に深く突き刺さるものがある。九井は軽く頭を下げると、足早に部屋を出て行った。
──マイキーはこんなにも俺のことを考えてくれる。竜胆と会いたいと思うことは、やっぱりマイキーへの恩を仇で返すことなんだろうか。
俺の心に、もやがかかった。
復帰してから数日が経ち、体も本調子に近付いてきた。
しかし随分と周りに守られている生活になってしまい、部屋から出る時にはマイキーに付き添われるか、九井をスマホで呼び出すように言いつけられている。
あの日以来、竜胆はおろか蘭とも顔を合わせていない。
九井
春千夜
九井
春千夜
九井
九井と連日ランチに出る内に、今まで知らなかった一面が色々と見えて来た。
奴にはダイナミクスのパートナーがいて、梵天に入ってからも定期的に会っているらしい。
九井
春千夜
九井
春千夜
九井
九井はすさまじい勢いでスマホに文字を入力し始めた。アホらしくて溜め息が出る。
春千夜
頬杖を突いて、ぼーっと窓の外を眺める。今日も雲ひとつない快晴の空だ。──屋上で見た竜胆の顔が脳裏を過る。あいつは元気にしているだろうか。
九井
九井のコマンドでハッと我に返った。
九井
春千夜
マイキーの読みは正しくて、俺は九井のコマンドに助けられていた。竜胆のコマンドの様に幸福に包まれるわけではないが、気分が沈むのを抑制するくらいには効果がある。
九井
春千夜
街は楽しそうに歩く人々で溢れていた。もし自分も反社じゃない別の道を進んでいたら、この一員になっていたのかもしれない。
九井
九井の惚気が雑踏に消えていく。確かに食後はふわふわとして、集中力がなくなる。このまま家に帰ってしまおうかとすら思う。
──俺の肩の横を、メガネを掛けた変哲もないサラリーマンの男2人が横切った。その瞬間に、俺の心臓は大きく鼓動した。
振り向いて彼らの姿を目で追いかける。1人は長身で、もう1人は俺と同じくらいの背丈だ。
本能的にわかってしまった。変装しているが、あれは蘭と竜胆だ。
春千夜
九井
九井の言うことはもっともだが、全身が竜胆を求めて震えが収まらない。唐突に九井に手を掴まれると、人影がないビルの裏に連れて行かれた。
九井
九井
春千夜
九井
返す言葉が見つからなくて、黙って俯いていると頭を撫でられた。意外にも九井の手は温かい。
九井
九井
春千夜
──竜胆も俺と同じように、深く傷付いている。
遠い昔に読んだ童話の世界では、愛し合った王子と姫は末永く一緒に暮らしたと描かれていた。
別に夢物語に興味がある訳じゃない。けれど互いに好き合っている者同士は、気持ちが続く限りずっと寄り添っていくのが当たり前だと思っていた。
現実はそんなに甘くない。
──好きなのに離れなきゃいけない。こんな地獄みたいな世界があるなんて、夢にも思っていなかったんだ。
蘭と竜胆は当然のように任務を遂行して戻ってきた。成果が大きいだけに、数日が経った今も梵天内はその話題で持ちきりらしい。
今日も空には綺麗なライトブルーが広がっている。
マイキーは調子が優れないらしく、今日は家で休むと連絡があった。
心配だから後で見舞いに行こうかとぼんやり考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。
蘭
春千夜
蘭
春千夜
蘭は上機嫌な顔で俺の元に来ると、無遠慮にデスクに脚を組んで座った。
蘭
春千夜
蘭
──当然のことだが、やっぱり気付かれていた。俺と九井は変装していなかったから、俺達の存在に気付くのなんて当然のことだが。
蘭
春千夜
蘭
蘭
──やっと竜胆と話す機会ができた。嬉しい反面、どんな顔をして会えばいいのかも解らない。結果的にマイキーを裏切ることにも罪悪感がある。
けれどこのチャンスを逃すつもりはない。俺は手招きをする蘭に従って、部屋から出た。
蘭
春千夜
俺は今、屋上と室内を隔てる重たい扉の前に立っている。このドアを開ければ、やっと竜胆と話すことができる。
怖くないと言えば嘘になる。竜胆とどうなりたいかなんて自分でもよくわからない。
──けれどやっぱり、会いたい。
力を込めて扉を開けると、風と光が一気に流れ込んできた。
眩しい空に溶け込むように、アイツの後ろ姿があった。
アイツはゆっくりと振り返って、切ない目で俺を捉えて、涙を浮かべながらにっこりと笑った。
竜胆
春千夜
男なのにとか、大の大人なのにとか、そんなことを考える余裕がなかった。
竜胆が腕を広げて作った俺の居場所に飛び込んだ瞬間に、言い表せないくらいの幸福に包まれた。
強く抱き締められて、触れた場所からアイツの喜びや悲しみ、不安や緊張が一気に流れ込んでくる。
竜胆
春千夜
誰かがパートナーは究極の存在だと言っていたが、やっとその意味がわかった気がする──…。
俺にはコイツが必要で、コイツには俺が必要だった。それが言葉を交わさなくてもわかる。
俺はきっと、今見た涙で滲んだ世界を一生忘れない。
コメント
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泣ける🥺続き楽しみにしています♪!
この話やばい(語彙力) いや、ほんとに……やばい 神すぎる 主様…神ですか? この話めちゃめちゃ好きです