「すみません。火を貸してもらえませんか?」
喫煙者であれば誰もが口にしたことがある言葉。
現代社会で嫌煙家が増加する傾向が目立っているためか、
唯一の楽しみであるタバコを存分に吹かすのが楽しみの喫煙者たちは、
常に肩身の狭い思いをしています。
…それじゃあ、あなたはタバコを吸うのか? と思われるでしょう。
答えはNOです。
私自身、根っからの嫌煙家です。
死ぬまでタバコなんか吸ってたまるかと、常々自分に言い聞かせています。
ただし、喫煙者たちには嫌煙家にない一つの特徴があります。
それが今作のタイトルにもなっている言葉です。
この言葉をかけることで、見ず知らずの喫煙者たちの間に奇妙な絆が生まれ、
やがて親密な関係へと発展していきます。
これと似たような例として、学校で隣の生徒から消しゴムを借りる、
教科書を忘れたから見せてもらう、というのもありますよね。
そういう些細な気遣いから始まる人と人との繋がりが、
とても興味深いと思っていました。
今作では、2人のヘビースモーカーが登場します。
この2人の絆は固く結ばれるのか、それとも…。
それでは、どうぞ。
志賀将治
?
中庭のベンチで寛いでいた広瀬はぎょっとし、声のした方に顔を向けた。
背広姿が似合う上に、顔立ちもそれほど悪くない中肉中背の男がいた。
男は右手の人差し指と中指の間にタバコを挟んだ状態のまま、
前屈みになって顔を広瀬のそばに寄せていた。
驚いた広瀬は一瞬、相手の言葉を理解できず戸惑ったが、
広瀬努
といい、持っていたライターを使い、相手のタバコに火を灯した。
男は会釈をしてから、うまそうに煙を吐き出した。
広瀬は、半ば自分がベンチを占領しているのでは? と思い込み、
何気ない動作でベンチの縁へ尻を動かし、スペースを空けた。
が、男は会釈と同時に「ありがとうございました」と礼をいうなり、
黒光りする革靴をコツコツ鳴らしながら去ってしまった。
その日の終業時間、広瀬が帰り支度をしていると、後輩の倉田深雪が現れた。
倉田深雪
広瀬は怪訝そうな顔を浮かべた。
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
すると、深雪は内緒話をするように広瀬の耳に顔を近付けた。
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
配属部署は違っていたが、広瀬も北原のことは知っていた。
まさに「誠実さ」を全身にまとったような男で、その真面目な仕事ぶりから、
他の部署にも模範として北原の名が何度か挙げられていた。
その北原順一がある日突然、会社を無断欠勤したのである。
彼の性格柄、考えられない出来事として配属部署どころか、
社内全体に衝撃が広がっていた。
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
広瀬努
深雪は信じられなさそうに「う~ん」と唸った。
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
深雪は広瀬がからかうとむくれて、帰ってしまった。
翌日の昼休み、広瀬がいつも通り中庭のベンチで一服していると、
武下秀則
前日同様、武下が再び恐縮そうな態度で現れた。
広瀬努
広瀬は、今度は笑顔を作ってタバコに火を点けてやった。
武下も笑顔で礼をいうと、タバコを深く吸い込んで、うまそうに煙を吐いた。
相変わらずベンチの空いたスペースに座ろうともせず、
武下は突っ立ったまま周囲を見回しながら、タバコを吸っていた。
広瀬努
広瀬努
と、広瀬は相手をチラチラと見ながら思っていた。
どちらかというとプライベートを公にしない、仕事一筋の男のようだ。
その点では、倉田深雪の言葉を裏付けていると思ったが、
広瀬努
とも、思っていた。
北原は係長なので、当然ながら武下は部下に当たる。
係長の北原に抗弁する自己主張タイプだとは、
少なくとも広瀬には感じられなかった。
武下秀則
武下秀則
広瀬はハッと我に返った。
ぎこちない動きで会釈をすると、武下も応じて背を向けた。
広瀬は深雪の言葉を思い出し、北原のことで武下に聞こうかどうか迷ったが、
既に武下は建物の陰に姿を消してしまった。
武下秀則
広瀬は、渋面を作って火を灯してやりながら思った。
広瀬努
初めて武下に火を貸してやってから半月が経過した。
昼休みに広瀬は中庭のベンチで寛ぐのが日課になっているのだが、
この半月、武下は決まって広瀬に火を借りに中庭に現れるのだ。
別にライターの火を貸したところで減るモンじゃない、と割り切っていたのだが、
さすがに毎日来られるとうんざりしてくる。
会話らしい会話を交わそうとする様子も全く見受けられない。
次第に、広瀬は武下の行動を訝しんでいた。
そんな広瀬の気持ちを察する様子もなく、武下はタバコを吹かし続ける。
やがて、いつも通り礼をいうと、ゆっくりとその場から離れた。
広瀬は考え込むように足と腕を組み、小さく唸った。
すると、広瀬の横のスペースに誰かが座り込んだ。
倉田深雪だった。
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
深雪は、またしても内緒話をするように広瀬の耳に口を寄せて囁いた。
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
実際、7月1日の広瀬は激務に追われ、会社を出た午後11時には疲労困憊していた。
無断欠勤による北原順一の解雇が決定付けられた日、
優秀な人材を惜しくも失った販売部が受けた痛手は大きく、
広瀬の部署にもわずかな影響を与えていた。
広瀬は残業の指示を受け、嫌々ながらも会社に残った。
無意識に残業する羽目になった原因でもある北原に悪態を吐くほど、
広瀬は残業が大嫌いだった。
本来、残業は自己申請するのが通常なのだが、
広瀬の会社では繁忙期とアクシデントが起きた際の対応として、
会社側から残業を強いられるのが当たり前だった。
まさに、北原係長の失踪というアクシデントが残業を強いられた理由だった。
どうにか、その日の分の仕事を終えた広瀬は大きく体を伸ばした。
時計を見ると、午後11時を少し過ぎていた。
広瀬努
広瀬は窓のそばまで寄り、下の駐車場を見下ろした。
車が1台停まっているだけの寂しい駐車場だった。
広瀬はうんざりしたように溜め息を吐いてから、帰り支度を始めた。
噂好きの倉田深雪もいなければ、他の部署仲間も誰1人いない。
広瀬は薄暗い蛍光灯で照らされた避難用階段を下りた。
閉所恐怖症の広瀬は、エレベーターも大嫌いだった。
コツコツ、という足音だけが響く階段を下りていると、
不意に携帯電話が激しく震え出した。
倉田深雪からの着信だった。
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
深雪はわざと広瀬にショックを与えようとしているのか、
最後の言葉はオクターブが上がっていた。
ただでさえ疲れていた広瀬は、深雪の声と意外な事実に卒倒しそうになった。
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
倉田深雪
広瀬は思わずプッと吹き出してしまった。
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
「そうですっ」と、深雪は声を張り上げた。
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
広瀬努
広瀬は返答に窮した。
あまり想像したくない仮説ではあるが、納得できる部分はある。
武下が、遊び感覚で火を借りに来ていたようにも見えなかった。
それに、翌々考えてみれば彼が火を貸してほしいと頼みに来たのは、
7月1日の残業以降が、初めてのことだった。
それ以前まで、広瀬は武下という社員自体、知らなかったのである。
広瀬努
突然、広瀬はハッとした。
携帯電話を持つ手をかすかに震わせながら、
広瀬努
広瀬努
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
倉田深雪
広瀬努
広瀬努
深雪が受話器越しに興奮した声を上げていたが、
広瀬はそれを無視し震える指先で通話終了のボタンを押した。
広瀬は急いで階段を駆け下りると、会社の出入り口に向かった。
…が、緊張か恐怖心によるものか、突然尿意を催した。
広瀬努
広瀬は自分自身を罵りながら、1階ホールを過ぎた廊下にあるトイレに向かった。
用を足しながら、ふと考え込んだ。
それは、駐車場に停められた1台の車のことだった。
広瀬努
もし、深雪の立てた仮説が事実だとしたら…。
広瀬は頭を振った。
今はとにかく会社から1秒でも早く出ることが先決だ。
手を洗い、ついでに石鹸でしっかりと菌を落とす。
無意識に清潔感を優先する自分の行動に広瀬は再び苛立った。
広瀬努
俄然、トイレの電灯が消えた。
広瀬はぎょっとして上を見上げたが、少ししてまた電気が点いた。
ほっとして再び目の前の鏡に向き直る。
その顔が凍り付いた。
鏡に映る自分の斜め背後に、あどけない顔を浮かべた武下が立っていた。
目を見開き、口をわなわな震わせる広瀬の背後で武下がいった。
武下秀則
2020.07.26 作
コメント
3件
その後の展開を自分で想像できる終わり方なので、面白かったです(*^^*)
サスペンス感すごいですね ドキドキする展開に、広瀬の安否がわからないままあやふやで終わる締め括りもミステリアスでした。 キャラが立ってて良いですね。