沈んでいった先は、暗くて、冷たい。
体に纏わりつくように重いから、周りは水ではないはず。
でも、ここがもし、深い深い海の底だったら、水圧でそうなることもあり得るのかも。
どこまで沈んでいくのだろう。……ずっとだろうか。永遠にだろうか。
それは嫌だなぁ……。
なんて考えて、じっと動かないで沈んでいく私を、
誰かが上へと引っ張った。
温かい風が、私の頬を撫でた。
––––ここは、安全な場所だ。
なんとなくそう思って、私は目を開け、愕然とした。
麗美
麗美
私は雲の上に座っていたのだ。
地球上ではあり得ない。
生まれてから一番びっくりしているけど、不思議とパニックにはなってない。
それはきっと、心のどこかでこれを現実と受け止めきれていないから。
麗美
口に出してみて、笑ってみる。
静かな場所だからだろう、腹式呼吸も何もしてないのに、私の笑い声だけがよく通って聞こえた。
……夢かな。夢だろうな。夢であって欲しいな。
そうだとしたら、お母さんが泣いていたのも夢で、
私は、またいつもの毎日に戻れるのに。
男
麗美
いきなり、背後から私以外の声がした。
恐る恐る後ろを振り向くと、そこには大量の羽と共に、男が佇んでいた。
絵で見るように、背中に羽が生えているから、多分天使……だろう。
ただ天使も、人間の空想の産物だ。
変な夢だなぁ……。
麗美
自分でも分かっていないから、私の夢の住人であるこの男(天使)に答えられるはずがない。
十中八九、『私も迷い込んだんです』とか、『どこだと思う?』って聞き返すんだろう。
そうして始まるのは……冒険活劇だろうか。
そんな夢を見るのは、小さい頃以来だ。
天使(仮)は、深刻そうな顔で、けれどもそれにしては軽い口調で私に語りかけた。
男
男
男
––––––––え?
この、天使は、男は、今、何を言ったの?
麗美
混乱する頭を押さえ、乱れそうになる呼吸を整える。
地球が……何? 爆発した?
ありえない。ここは夢だ。だからこれも、全部嘘。
そう頭では分かっているのに、動悸は治らない。
麗美
男は温度を感じさせない目で、私を射抜く。
なんてことないように、ただ一つの事実を淡々と伝える。
男
男
男
耳を塞ぎたい。こんな夢は望んでいない。
でも、彼の話の途中で気がついた。
––––違う。これは夢じゃない。
だって、私……地球が爆発するなんて妄想も空想も、したことがない。
今の今まで、完全に意識の外側にあった。
だけどやっぱり、これは夢であって欲しい。
––––そうでなくては。
震える唇は、一つの気付きを口にする。
麗美
麗美
男
男は私の問い掛けに、間髪を容れずに答えた。
足がガクガクと震える。ぐるぐると視界が回る。
どこにも力が入らない。
麗美
私が死んでいて、ここが天国だとするならば、他の皆はどこにいるのだろう。
どうして、今ここに私一人しかいないのだろう。
この問いに、彼は初めて言葉を詰まらせた。
それから、言いにくそうに。
貴女は死んでいないはずなんです
と、そう告げた。
……それは私の想定し得る限りで、最悪の答えだ。
麗美
麗美
死んでいないのに、天国に来てしまったということだろうか。
彼は一瞬、悲しそうな顔をして、羽を動かす。
抜けた羽が、はらはらと雪のように舞った。
男
男
男
私は何もかも、分からなかった。理解したくなんかなかった。
地球が爆発したことも。
皆が、死んでしまったことも。
何もかもを、受け入れたくなかった。
……でも、ねぇ、お母さん。
もしかしてお母さんはこれを分かっていたの?
だから私に、お守りなんか渡したの?
先程のお母さんの泣き顔が脳裏に浮かぶ。
だったら、どうして私だけ、一人にしたの?
疑問ばかりが頭の中を埋め尽くし、論理的な思考ができない。
男
男
男
……故郷?
ぐちゃぐちゃの脳が、その単語を拾う。
意味が、わからない。わかりたくもない。
……それでも私の意思とは関係なく、物事は進んでいくようで。
私の身体が眩い光に包まれたことを、どこか他人事のように思っていた。
––––眩い光が収まった。
私はゆっくりと瞼を持ち上げ、辺りを見渡す。
先程までと、一見何も変わらないように思えた。
…………そう、先程まで私がいた、雲の上と。
雲の上に、街がある。
地球では考えられないその光景に、私はため息をつく。
やはりここは、あの天使が言ってた通り、異世界なんだ……。
大した説明も何もなしに、いきなりここで生きろということだろうか?
もしそうだとすれば、あまりに無責任ではないだろうか。
現代の日本の高校で、サバイバル術を教えている所など、見たことも聞いたこともない。
あの男……次会ったら覚えてろ。
何だか不安より先に、怒りが出てきちゃったけど……まあいいか。
この状況に嘆いても、怒っても何の腹の足しにもならない。ただただエネルギーを消費するだけだ。
天候気温、土地の特性が分からない今、とりあえず食べ物と寝る場所くらいの確保はしたい。
宿とかあったらそこに泊まりたいけど……言葉とかお金とか、通じるかなぁ。
言葉はなんとか身振り手振りで伝えるとして、お金……。
リュックの中に入ってるのは、昼食代と、ICカードくらい。
一言で言ってやべぇ。
そう考えながら特に行くあてもなく街を歩き回るっていると、
かなり怖い顔をした、警官らしき人(服装からして、兵士に近いだろうか)がつかつかと私に歩み寄ってきた。
……え、何、怖いです。もしかして制服のせいでスパイか何かと疑われてますか?
日本の高校生のアイデンティティであった制服は、異世界だとかなり浮いていて、街行く人は皆私を避けていた。
おのれ制服。恨むぞ制服。
そう思いながら、何もやましいことなどしていないけれどスススッと数歩後ろに下がる。
警官さんは、頬を緩めて笑うことなく私を見下ろして、一言。
警官
逃げるも何も、私この世界に来たばっかりですけど……?
麗美
警官
警官
なんてこった、話が通じない。
指名手配犯と、雰囲気が似ていたのだろう。
そう結論づけて、私は説明をすることにした。
人類皆友達。きっと話せば分かってもらえるさ!
……それにしても、この世界の人にも、言葉は通じるんだ。発見。
麗美
麗美
麗美
警官
麗美
麗美
警官さんは私に有無を言わせず、私に手錠をかけた
まさか異世界へ来て、最初にされたことが……投獄だなんて。
少しは気分が紛れるかと思って、悲壮感たっぷりにそう心中で呟いてみる。
あの後大人しく連行されてやったので、怪我はしてないし、一応夕食も貰えた。
乾パンと冷めたスープだったけど。美味しくなかったけど! 腹も膨れなかったけど‼︎
麗美
麗美
そんな私の呟きは、闇に吸い込まれるように消えていく。
…………地球……本当に爆発したのかな。
お母さん、お父さん、友達、先輩、後輩、先生、親族、近所のおばあちゃん……。
皆の顔が、一人ずつ浮かんでは消えていく。
胸がキュッと痛んで、呼吸がし辛くなる。
彼ら彼女らがいなくなったなんて、死んでしまったなんて、やはりふわふわとして、現実味がない。
更に、どうして皆と一緒に死なせてくれなかったのだと嘆く自分も、
今生きていることにホッとしている自分もどちらも私の中にいて––––
自責の念が、渦巻く。
麗美
もう、寝よう。
取り付けられていた小さな窓の外はもう真っ暗で、空には三日月が輝いていた。
この世界にも、月があるのだ。地球と、全く違うわけではない。
そう分かると、幾分か気持ちが楽になった。
そのまま、何も考えることなくぼうっと月を眺めていると、羊の出番はなくなった。
眠い……。
寝ぼけてるせいか、ポケットから光が溢れ出しているように見えた。
もしかして、もう夢の中?
薄く笑いながら、私は頬を思いっきり抓った。
麗美
思い切りが良すぎた。痛い。痛すぎる。私の莫迦。
せっかく眠れそうだったのに!
麗美
麗美
私は目を瞬かせた。
なぜなら、まだ、私のポケットから、光が溢れていたからだ。
ポケットに手を突っ込んで、光源を探してみる。
麗美
私がポケットから取り出した物––––それは『異世界守』だった。
……背中に、冷たい汗が伝うのが嫌でも感じられる。
だって、私はこれを鞄に付けていたはずで、その鞄は没収された。
ならばどうして、ここに『異世界守』があるのか。
異世界にやって来て現代ホラーと相見えるとは恐れ入った。
……最近のお守り、私が知らないだけで追尾機能とかないよね?
光は『異世界守』の中から漏れ出しているようだ。
警官さん達に気付かれても面倒だし……罰当たりかもしれないけど、開けて中身を確かめてみよう。
そうして私がお守りの紐を解くと、ミニサイズの本(ページが一枚一枚捲れるから、きっと本だろう)が入っていた。それが発光している。
……何、これ?
麗美
そう思った瞬間、急にその本が大きくなった
効果音をつけるのならば、ぼふんっ。
表紙には手書きの文字が書いてある。
麗美
麗美
誰にともなく私は呟く。
表紙を開いてみると、早速その裏側に、『親愛なる私の子孫へ』と書かれていた。
もしやこの日記書いた人、私の祖先……?
とてつもなく嫌な予感に駆られて、私はもう一枚ページを捲った。
するとそこには、次のような一文が。
『先に謝っておきます。私のせいで、あなた達子孫に、迷惑をかけるかもしれません。私、色々とやらかしてるしね(笑)』
まっっったく反省の色が窺えない、色々とツッコミどころの多い一文だ。
……もしかして、この人がさっき警官さんが言っていた『怪盗アロミネル』なのかな?
え? 何私、先祖のやらかしのせいでここに捕まっているの?
凄く迷惑……。本当に迷惑……。
私の先祖であるこの人が、どうしてこの世界にいたのか気になるけれど、まず一つ、『怪盗アロミネルさん』に文句を言いたい。
「何してくれてるの!?」って言いたい。言いたくてたまらない。
麗美
麗美
私、手違いで捕まえられたんだよね。
早く釈放されたいなぁ。ここにいても、何もいいこと思いつかないんだもん。
……どんどん、マイナスのことばっかり考えちゃう。
それは……多分、時間の無駄だし。
どうやって逃げ出そうか、と考え始めた頃だ。
…………誰かが、話し掛けてきたは。
???
???
麗美
まずい。何か特定の人に聞かれたらやばいこと口走った気がする……!
牢屋の外にいる誰かを、私は見上げた。
服装は……暗くてよく見えないけど、靴は警官のものとは違う。
麗美
あぁ、願わくばこの人が幽霊じゃありませんように。
現代怪奇はお守りで十分です……!
???
???
わぁ、この人も話が通じない。
内心ため息を吐きながら、私は小さな声で答える。
麗美
牢屋の鍵は簡単には開かないし、脱獄騒ぎがあれば必ず警官たちがやってくる。
それを踏まえた上で、聞いているのだろうか?
私の言葉を聞いて、誰かは満足そうに頷いた。
???
そう声がすると、カチャリと音を立てて牢屋の鍵が開いた。
麗美
私はワンテンポ遅れて絶叫。
腹式呼吸で出した声は、存外よく響いた。
慌てて口を塞ぐ。
大声、ダメ絶対。
???
???
それは……そう、ですけど。
どうやって開けたのだろうか?
好奇心に満ちた目で、私は鍵を拾って眺める。
傷は一つもついていなかった。
???
???
ん? 今莫迦にされた? されたよね?
麗美
私はムッとして誰かに言い返した。マヌケなのは事実だし、否定のしようもないけれど、礼儀というものがある。
でもこの状況、礼を欠いてるのは私……?
しばらく沈黙が続いた。
誰かは、何かを考えているようだ。
私もう逃げていいですか?
そそくさと逃走の準備をしていると、間が悪く誰かが話しかけてきた。
う、鬱陶しい……!
???
麗美
何を仰ってらっしゃいますかあなたは?
どこから飛躍したらバク転に繋がるんです?
困惑する私を他所に、誰かは話を続ける。
???
麗美
???
麗美
なんで!?
折角牢屋の鍵開けたのに、もう一度私を牢屋に入れるの?
勘弁してほしい。
???
誰かに急かされ、私はぎゅっと手を握った。
運動神経は悪いけど……そうも言ってられない。
牢獄には二度と、入りたくないし。ご飯美味しくないから。
二者一択って言うやつ、かな。
ええい、やるしかない!
私はバク転をイメージして、思いっきり地を蹴った。
ヒュンッと、空を切る音がした。
…………あれ? できた……?
え、なんで??? 何で⁉︎
私、結構運動神経悪いのに?
???
誰かが笑った気配がした。
その反応、声の調子を聞くに、牢屋へ逆戻りは回避できたみたい。
う〜ん……それにしても、何のためにこれを行ったの?
???
麗美
???
麗美
「ここに隠されているお宝を頂戴しに」?
なんだか不穏な台詞だ。犯罪者? 盗賊……とか?
でも、私を助けてくれたのは確かだし。警戒する必要はないか。
……あ、そういえば名前聞いてなかったな。
麗美
???
麗美
私がそう言うと、謎の人はこちらを振り向いた。
暗闇に目が慣れたから、今なら顔もよく見える。
……と言っても、顔は仮面で隠されていたのだけれど。
いや、誰? 顔を見せられない商売をされている方?
誰かは得意気に口を開く。
???
クロト
クロト
クロト
か、怪盗?
怪盗って……漫画とかアニメによく登場する?
戸惑う私を置いてけぼりにして、クロトは不適に微笑んでいた。
クロト
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次回も面白そう🙌 楽しみにしてます( 👍 ˙-˙ )👍