髪を撫でるような爽やかな風が 心地の良い朝
俺は鼻歌まじりに軽やかな足取りで約束の場所に向かう
浜本こずえという愛すべき幼馴染の少女の 彼氏として家を出たのは初めてのことだった
恋人の正しい在り方なんて自分には分かろうはずもないが
彼女のことを合法的に見守る機会が 増えたという事実さえあればそれでいい気もする
引きずり続けた初恋の醜悪さと
誰に対してでもない後ろめたさを抱え
卑屈な自分をいつもの笑顔にすっかりしまい込んだ 俺こと神崎慎一郎は
深い藍色のカーディガンを靡かせ 緑の葉から溢れ落ちた木漏れ日を踏みしめながら 並木道を駆け抜けた
こずえ
こずえ
慎一郎
こずえ
こずえ
慎一郎
こずえ
彼女の穏やかな鈴のような笑い声が 白くふんわりとしたワンピースを揺らした
俺はすらりと伸びた細い首筋を震わせながら くすくすと笑い続ける彼女を訝しげに見つめる
こずえは嫣然とした微笑みを口元に湛え 感情の読み取れない双眸に俺の顔を写した
そして行きますよと俺の腕を掴んで徐に歩みを進める
慎一郎
こずえ
こずえ
こずえ
慎一郎
こずえ
こずえ
こずえは柄にもなく心躍っているようで どこか明る気な声音で語る
俺はそんなこずえが可愛らしく そしてこの上なく愛おしく思えて
こずえの小さな背中にそっと微笑みかけた
暗がりが蒼く淡い光で照らされている
どこまでも静かな水の中で悠然と泳ぎ続ける彼らを 見つめる時間が永遠のようにも刹那のようにも感じられた
伸ばされた柔らかな手に指を絡め ふと彼の横顔を見上げ見つめてみる
慎一郎
慎一郎
こずえ
いつもならば小学生の日記の様な感想ですねと 冷笑う場面だったことは認めよう
思わず彼の言葉に同意したのは
彼のあどけない横顔を もう少し眺めていたい思ったからだ
慎一郎
彼の瞳に、濃い灰青色の肌に淡黄色の斑が散りばめられた ひときわ目を引く巨体が写り込む
こずえ
こずえ
慎一郎
こずえ
こずえ
慎一郎
こずえ
慎一郎
慎一郎
こずえ
こずえ
慎一郎
慎一郎
こずえ
慎一郎
こずえ
慎一郎
軽口を叩きながらも彼は視線を ジンベイザメから一時も離そうとしなかった
随分と長い間この水槽に目を奪われている彼は 私と手を繋いでいることに気づかない
気づいた彼の反応を小馬鹿にするのも一興だが
この端整な横顔を眺め入るのも つまらなくはないだろう
こずえ
慎一郎
こずえ
食い入るように水槽を見つめる彼の横顔は
自分勝手で面白くて 卑屈さをひた隠して微苦笑をいつもの浮かべている
大切な『私の先輩』の横顔だった
自宅付近の並木道に差し掛かった頃には あたりは薄暗く人影は見られない
こずえ
慎一郎
こずえ
こずえ
わざとらしく、深いため息をついてみせた
しかし街灯の明かりすら頼りにならないような暗がりとは 対照的に気分はひたすら晴れやかだ
慎一郎
こずえ
こずえ
慎一郎
私は先輩が好きですよ
恋が不毛に思えるくらい 愛に意義がなくなるくらい
私は貴方が大好きです
食べてしまっても笑える程度には 気に入らない部分もあるけれど
それだけ貴方が好きですから
貴方は私の先輩であって欲しいと願いたくなるんですよ
こずえ
こずえ
慎一郎
慎一郎
私は浜本こずえという幼馴染の後輩に 見せる貴方の笑顔が好きなんです
ですから、まだ先輩と呼ばせて貰って良いでしょうか?
こずえ
慎一郎
こずえ
こずえ
慎一郎
私の返答にきょとんとした顔を見せる先輩を 脳髄に焼き付けるように見つめた
このまま彼を黙って笑って抱き寄せて
そしたらどうしようか
柄にもなく大好きですと口を滑らしてやろうかな
私は緊張で冷え切っている彼の手をぎゅっと握り直し、 優しくその手を引いた
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