ひ** くん。また横棒1本足りなかったよ
何度も言ってるでしょう、口(くち)の上に横棒。 また「吉田」じゃなくて「古田」になってたよ
だってヤヤコシーんだもん。覚えらんねぇよ
あーあー。なんでこんなアリキタリな苗字で生まれたんだろー。もっと かっけぇのが良かったなー
でもオレ 自分の名前は好き
ひ** ね。 先生もいい名前だと思う
もうオレ漢字で書けるようになったんだぜ。見て先生ほら
あら本当。画数多いのにすごいじゃない。……「吉田」も正しく書けて欲しいけど…
__確かに吉田姓の人はいっぱいいるけどね。 でも有名人も多いじゃない。総理大臣とかオリンピック選手にも「吉田」がいたんだよ
だから先生 胸を張っていいと思うの。ひ** くんは凄いよ
……………本当?
本当に凄いと思う。 その身の程知らずな所。おめでたい思考
え?
何にも分かってないのね。ひ** くんは愛されてないんだよ。必要とされてないんだよ
な、何言ってんだよ。そんなわけ
可哀想なひ** くん
違う!オレは幸せだ、毎日楽しいもん
オレは可哀想な人間じゃない!
いいえ可哀想な人間よ。哀れなピエロよ
違う!
一生引き立て役
違う!
ずうっと負け組
吉田ひ** は可哀想な人間
違う!!
息が出来ない。
目がチカチカする。
厭(いや)な夢を見た。 冬だと言うのに、下着まで汗でベタベタだ。
___息が出来ない。 吸った息は吐き出される息に押し返される。
景色もグニャグニャしてきた。
スマホのアラームがけたたましく鳴り響く。
___うるさいな、とめないと。支度の時間に30分は欲しい。汗もかいたからシャワーも浴びたい。 もう起きないと始業に間に合わない。
__でも息が。目眩が酷い。 とてもじゃないけど無理だ。
………1時間目何だっけ。数学か。数学なら別にいいか。
「ほらもう朝よ学校行く時間よ起きて」
年増女の甘ったるい猫なで声。吐き気がする。
続いてカーテンを引く音。窓を開ける音。 _____それらは隣室から聞こえる。
「早く起きて学校行くのよ」 「着替えそこに置いといたからね。シャワーも浴びなさい」
そして足音は遠ざかる。 オレの部屋のドアは開けられない。
__なんとかアラームは止めた。
_____もういい1時間目の数学はサボろう。息苦しくて目眩がする。
オレを起こしに来る人は誰もいない。
~jealousy 6~
秀平
___僕が吉田の下の名前を口にしようとした日以来、吉田が僕の教室に来る事は無くなった。
信太郎が馴れ馴れしく絡んで来るが、それだけでは山崎孝太のウザイ視線は遮断出来ない。
どうやら相当吉田の気分を害したようだ。
受験まで幾ばくも無いこの時期に、吉田と言う切り札を失うのは精神衛生上宜しく無い。
だから翌日の2時間目の休み時間、わざわざ吉田が在籍しているクラスに出向いてみたが
僕が教室の戸を開ける前に、吉田の最も有能な腰巾着の秀平に話しかけられた。
三津屋 篤
秀平
秀平
秀平
三津屋 篤
秀平
三津屋 篤
……ええと、しゅ……谷川君はその理由、とか知ってる…かな?
秀平
秀平は僕の背中を叩くと、腰に手を当てた。
秀平
秀平
三津屋 篤
そう言えば吉田には年の離れた兄がいて、その時の母親が相当暴れていた…と言うような事は昔チラリと聞いたことがある。
僕がそれを口に出す前に、秀平が口の端を吊り上げて笑った。
秀平
三津屋 篤
秀平
三津屋 篤
___秀平はこう見えて結構学力は高い。校内ランキング常連だし、蒼陽高校も合格圏内に入っているらしい。 (僕ほどじゃないけど)
秀平
秀平
三津屋 篤
秀平
じゃあオレも昼休みまでには吉田の機嫌直すようにしとくからさ
秀平
三津屋 篤
何事も外堀から埋めるのは基本だ。
大丈夫。僕は切り札を失ったわけじゃない。
三津屋 篤
切り札。……切り札だ。 僕は吉田を利用しているんだ。
決して下手(したて)に出ているわけじゃない。
___踵を返すと、山崎 孝太と目があった。
トイレか何かの用なのだろう。特に話すこともなく すれ違ったが、 山崎孝太の視線だけはしつこく僕にまとわりついた。
その視線に混じっているのは、疑念。 そして咎め。
___そんな目で見るな。何様のつもりだ、吉田に敗けたくせに。
ムカつく。
イライラしながら教室に戻り、英単語帳を広げようと_____…
………あれ?
__鞄の奥底まで探した。 無い。
なんで………あ。 …そう言えば昨日塾に持って行った。たぶん塾用の鞄の中だ。
三津屋 篤
最悪だ。 今日は英単語一本と決めてたのに。
教室内を見渡すと、英単語帳を開いている鳴沢柚月の姿を見つけた。
_______最悪だ。
窓を開けると、容赦無い2月の風がカーテンを揺らした。
黒板消しを叩(はた)いたタイミングで風向きが変わり、粉が顔に直撃した。
顔を背けながら黒板消しの粉を落とすと急いで窓を閉める。
後は箒で床を履いて机を並べてトイレを掃除するだけだ。
__2月のうちに第一志望校に合格した俺の存在を良く思っていない人は多いらしい。 教室とトイレ掃除を押し付けられても、俺を擁護する声は上がらなかった。
……だけど別にいい。それで皆が勉強に精を出せるなら。 柚月も第一志望に受かるなら。
これくらいどうって事無い。
___最後の机も設置を終えた。教室掃除は終わった。 後はトイレ掃除……
「吉田ぁー、こっちこっち」
____聞き覚えのある無遠慮な大声に、扉の取っ手から手が離れた。
そしてコンマ数秒後。 俺の目の前で教室の扉は無遠慮に開かれる。
信太郎のニヤケ面と目があった。
信太郎
掃除したばかりの教室に、どかどかと吉田グループが雪崩れ込んで来る。 そして集団の最後に現れたのは___
吉田
教室内に足を踏み入れた吉田は後ろ手で扉を閉めると、芝居臭い咳払いをした。
吉田
信太郎
信太郎含め取り巻き数人が俺の荷物に群がる。信太郎が乱暴に鞄のファスナーを開けた。
取り巻き達は次々と俺の荷物の中に手を突っ込み、中身をばら蒔いて行く。
山崎 孝太
やめさせようと彼らの方に足を踏み出すと、両肘を捕まれ阻止された。 取り巻きの端役と秀平だ。
吉田
山崎 孝太
山崎 孝太
吉田
山崎 孝太
吉田
山崎 孝太
吉田
ここで吉田はようやくお遊戯の仮面を剥がした。 制服のポケットに手を突っ込み、下から俺の顔を覗き見る。
吉田
篤が盗まれたっつってんだから盗まれたんだよ
山崎 孝太
床には俺の荷物が散乱している。筆箱の中身も飛び散っていた。
___あらかた中身をばら蒔き終えた信太郎が、お手上げポーズを作った。
信太郎
吉田
山崎 孝太
吉田
とりあえず孝太は持ってないみたいだし
吉田
次 柚月だな
山崎 孝太
両手の拘束が解かれた。 吉田達は床に散らばった俺の荷物など見向きもせず出口に向かう。
吉田
山崎 孝太
既に信太郎達は教室を出ている。 集団の後方にいる吉田の右手首を寸前で捕らえることに成功した。
秀平の鋭い視線が飛ぶ。 俺はそれには取り合わず、手首を掴む手に力を入れた。
山崎 孝太
吉田
山崎 孝太
吉田
掴む手にさらに力が入った。 しかし吉田は眉をひそめることは無く、それどころか愉しそうに、本当に愉しそうに続ける。
吉田
2年まで同じクラスだったからさ、いろいろ世話してやったんだぜ
吉田
吉田
山崎 孝太
____放課後の教室。昼休みの「無法地帯」。体育の後の体育倉庫…。 挙げ出したらキリが無い、残酷なショーのステージ。
見張りに立つ端役。地面に押さえつける信太郎や秀平達。 涙を流しながら必死に抵抗する柚月。
___悲鳴。喘ぎ。涙、若(も)しくは吐瀉(としゃ)物。 そしてそれらをかき消す__
吉田の笑声。 __脳裏に浮かぶ、忘却を許さないあの日々。
日々の、執行中の吉田は、いつもこんな風に笑っていた。 ともすれば無邪気さと錯覚してしまいそうな、嗜虐的で残忍な笑み。
それを目にするたびに俺は思った。
山崎 孝太
怒りでなのか、それ以外の感情でなのか、掴む手は震えていた。 秀平の馬鹿にしたような声が落ちて来る。
秀平
山崎 孝太
山崎 孝太
吉田
秀平が口をつぐみ、廊下に出ていた信太郎達も不思議そうに吉田を見る。
この場にいる全員の視線を受けた吉田は、まず俺の手を振り払い
1つ息を吐き、俺と正対してから 言った。
吉田
山崎 孝太
吉田
柚月は何もしてねぇよ
吉田
吉田
吉田
__オレは矯正してんだよ
山崎 孝太
吉田
吉田は低く吐き捨てると、1歩踏み出した。
吉田
なんでお前はそんなに柚月を庇うの?
吉田
………だったらさ
1歩、2歩。 吉田はゆっくりと近づいて来る。 そして
俺の髪を掴んで無理やり上を向かせた。
吉田
吉田
吉田
吉田
だからお前は中途半端なんだよ
吉田
吉田
って言うんだよ、ヒーロー気取り括弧(かっこ)自己満な
吉田
吉田
吉田
篤ぃ、
吉田
三津屋 篤
吉田
信太郎
三津屋 篤
吉田
信太郎
ジョーダンだって
三津屋 篤
吉田
三津屋 篤
吉田
三津屋 篤
今週の…土曜日、だけど
吉田
今週の土曜日ねーー…
吉田
ひ** くん、 今回は正しく「吉田」って書けてるけど…
どうして下の名前も書かないの? 名前書く欄、「吉田」だけだったよ?
………別に。 メンドクセーもん。画数多いし
でも、漢字で書けるようになったんでしょう?素敵な名前だって
素敵じゃない。大っ嫌いだよこんな名前
ひ** くん?
___先生は、オレの味方だと思ってた。オレをオレとして見てると思ってた
バイバイ先生。オレはもう昨日までのオレじゃない
___ひ** くん!
………友達はたくさんいるし学校は大好きだ
……でも 家に帰ると嫌な目に遭う
昨日なんて最悪だ
泣いたし怪我もした。 あいつらの前では泣かないって決めてたのに
だから「可哀想な人間」って言われるのかな。 ふざけんな何も知らないくせに
嫌いだ。 「可哀想」を押し付けて来る周りも、それを受け入れようとする「吉田 ひ**」も
オレは可哀想な人間じゃない。 オレは「可哀想な吉田 ひ**」じゃない
息が出来ない。 目眩がする
「吉田ひ**」がオレを「可哀想な吉田ひ**」に戻そうとする
駄目だ。そんなことになったら、またあいつらに嫌な目に遭わされる
あんな奴らに、絶対負けない
だから柚月だけは絶対に潰す
女子大生と男子中学生が交際している話 シーズン2 第6章「受験」編 第6話 吉田~
ソシテ土曜ノ夜ガ幕ヲ開ケル~