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2012年10月祖母から電話が来ました
祖母
俊
そう、犬が来ました そして、一週間後
俊
祖母
祖父
俊
祖母
俊
俊
祖母
俊
ミルクは真っ白い犬で雑種 とても愛想のいい犬だった
祖母
俊
だが、ミルクは外に出してやると想像以上に元気で 僕は怖くなっていました なのであまり遊ぶことができませんでした
俊
ミルクはこの頃子供でキャンキャン鳴いていたので兄と一緒にわんわん吠えるんだよと教えてあげようと見本を見せてあげました そうすると要領よくワンワンと吠えていました。
そしてミルクとの友情を深めていきました 時が経ち2018年僕は将来的に養豚をしたくて養豚をしている祖父母のところに行きました。
俊
祖父
祖母
祖母
俊
祖父母は養豚が忙しく散歩などを連れて行くことができないのとそれが原因でストレスを溜めないようにするためにまだ、ミルクを散歩に連れて行ったことがないのです
俊
まずは、車が来たときは待て!と教えたりしました
俊
俊
ミルクはここで要領よく待てをできました
俊
俊
一通り散歩について教えてあげられました
それでまた、一年が経ちました。
いつものように散歩をしてるとワン!ヴゥー!ワン!と犬の唸り声が聞こえてきました。 ですがそんなことはお構いなし私と仲良くしよう〜という勢いで唸っている犬に近づいていきました。 ミルクには散歩で出会う犬たちみんなが仲良くしてくれていて、その時改めてミルクはいい子だと思いました。
俊
僕が祖母の家に帰ると真っ先にそれの自慢をしました。
俊
祖母
その後祖父にも話すととても喜んでくれました その時とても嬉しくてミルクのいいところをたくさん見つけてあげたいと思いました。
2019年12月28日僕が大泣きして人生の価値観が変わる出来事がおきました。
12月25日僕はいつものように祖母の家に行きました。
俊
俊
祖母
俊
その時とてもなんとも言えない胸騒ぎがしました。なのでミルクが散歩に行きたいと言ったら連れて行ってあげることにしました。
次の日
祖父
祖父
俊
そう言って僕はミルクを抑えて注射を打ってもらいました お願いだから良くなってくれ!頼む!と心のなかで思っていました。 ですが体調は良くならず熱も下がりませんでした。 その日に僕は帰える予定だったのでじいちゃんがミルクを乗せて病院に行ったあと家に帰りました。
家に帰ってきて母は祖父母の家に電話をしました。 ですが、僕は電話をできませんでした。あれやこれやを母と祖父が喋って最後に母が祖父に、ミルク大丈夫?と聞いたら 電話でしゃべることじゃねぇ…と言っているのを耳にしました。 僕は怖くなり二階の自分の部屋にこもりました。
俊
僕は何故か、ミルクががんだと思っていました。
12月29日祖母の家に行きました。 ですが、ミルクの繋がれてた鎖、ワイヤー、代々使われている方ではない小屋がなくなっていました。
俊
薄々、ミルクが死んだことをわかっていたのにそれを信じられずに祖父に聞きました。
祖父
祖父
祖母
そのことを聞いた瞬間ミルクと通った散歩道を歩きに行きました。 最初は全くと言っていいほど涙が出てきませんでした。 ですが、道を通るとともにミルクとの思い出がよみがえってきました。 涙が止まりませんでした。午後5時から7時まで、ずっと泣いていました。 その後祖母がお迎えに来てくれました。
祖母
俊
祖母
俊
祖母
俊
祖母
俊
その後帰宅し祖父母が美味しいお肉、お魚を用意してくれてパーティーしました。 そしてじいちゃんが悪ふざけでミルクって言ったら僕は、泣いてしまいました笑笑 祖父は、こんなことを言ってくれました
祖父
祖父
祖父
祖母
俊
という感じで僕の観点が変わるお話でした。 ほんとに!犬飼ってる人または犬を飼おうとしてる人、動物を飼おうとしてる人飼ってる人 にはいつ動物はいなくなってしまうのかわからないので大切に悔いなく育てていただきたいと思います。