ときは西暦1180年。
源平合戦の真っ只中。
この年、先の帝(高倉天皇)の第三皇子、尊成親王が誕生した。
この皇子こそ
のちの後鳥羽天皇である
しかし、京はお祝いムードではとても無かった。
理由を説明しよう。
このとき、天皇は尊成親王の異母兄、
言仁親王だった。(のちの安徳天皇)
しかし、このとき安徳天皇はまだ数え3歳。
とても自分で政治を行える年齢ではない。
そのため、安徳天皇の母方の実家である平氏が牛耳っていたのだ。
作者なりに家系図を作った。
作者
字の汚さと見にくさは置いといて、この家系図を頭に置いてこれから先の物語を読んでいってほしい。
ちなみに、紫の数字は、天皇の即位順だ。
そして、安徳天皇が平氏の操り人形となっていたことが、尊成親王の今後に大きく影響していく。
尊成親王が京ですくすくと育っている間に、平清盛が死に、平氏は次第に源氏に追い詰められて行った。
1183年。
源氏の有力武将の1人、
木曾義仲が入京する。
それに伴い、尊成親王の運命は少しずつ、でも確実に動いていくのだ。
平氏は木曾義仲の手から逃れるために、
人質代わりの安徳天皇を伴い、都落ちする。
その際、
あまり知られてはいないが、連れていかれた人物がいた。
それは…
先程の家系図にもいる、
守貞親王だ。最も、このときはまだ「親王」では無かったが。
これにより、京にいる有力な親王は尊成親王だけとなるのだ。
これが、彼の人生を大きく変えることになる、
1つ目の幸運だと言えるだろう。
そして…
平氏はさらに追い詰められることになる。
ここからは、次回にすることにする。
今回は説明だけで終わってしまったが、次回からは飽きないように小話を挟みつつ話していこうと思う。
ちなみに、作者は全く調べずに、自分の記憶を頼りに書いているので、少し間違いがあることもあるかもしれない。そのときは、コメント欄で優しくご指摘を頂きたい。
ではまた、2話でおあいしよう。
最後までお読みいただき、心から感謝します。
コメント
4件
私も歴史好きです〜! 読みやすかったです. これからも頑張ってください( ´ ꒳ ` )ノ
コメント失礼します とても勉強になるようなストーリーありがとうございます! 次回も楽しみにしてますね!
ありがとうございます。 次回から、話がどんどん展開していくので、楽しみにしておいて下さい!