樹
帰るね
凛
もう帰るの?
凛
もう少しいてもいいんじゃない?
凛
ほら、明日の朝ここから会社に行くとかさ
樹
凛……
樹
気持ちはわかるけどさ
樹
スーツとか持ってきてないしさ
凛
うん……ごめん
凛
毎回さみしくなるからさ
凛
なんか、ね
樹
……いつか嫌になるくらい一緒にいる時が来るよ
凛
それって……
樹
そ、それじゃあ
凛
うん……じゃあね
バタンッ
後ろ手で閉めた玄関のドアの向こうで凛が泣いているのは、 簡単に想像できた。
ドアノブにまた触れる。
樹
(重い……)
また君に会えるのに
僕はゆっくりと手を離して、 一歩、また一歩と離れていく。
樹
(臆病者だな、俺)
樹
ただいま
誰もいない部屋では、その声がよく響いた。
樹
おかえりって……アイツに言ってほしいな
俺はポケットから小箱を出した。
樹
今日も渡せなかったな
箱を開くと、 指輪が電灯を反射して光っていた。
樹
でも……これで
一歩進まないことで俺達は今の関係を維持できてると思うと
進むことができない
樹
(なんでこんなに怖いんだろうな)
そこで、急に気づいた。
樹
ああ、そうか……
樹
俺はあいつのこと……
樹
愛してるから、怖いのか……
樹
そっか……
指輪の入った箱を閉じる。
樹
今度こそ言うからな、凛
箱に向かってそうつぶやいて
指輪を机の上に置いた。
少しだけ、前に進めた気がした。