笹岡重之
田口亮平
笹岡重之
笹岡重之
田口亮平
田口は頭の中でつぶやいた。
笹岡重之
笹岡重之
笹岡重之
受話器越しから役員の笹岡が不安気、というより半ば咎めるように訊いた。
田口亮平
田口亮平
田口亮平
田口が少し慌て気味にいうが、笹岡は変に勘ぐった様子も示さなかった。
笹岡重之
笹岡重之
笹岡重之
田口亮平
笹岡重之
笹岡重之
と、笹岡は笑ってから通話を切った。
田口は携帯電話を枕元に置くと、
今まで抑えていた感情がどっと押し寄せ、愉快気にゲラゲラ笑った。
田口はG研磨という金属加工会社に勤務する作業員で、勤務歴は約4年。
冬の道路凍結による安全運転で遅刻を一度起こして以来、無遅刻無欠勤を貫いていた。
田口自身、責任感の強さを自覚しており、たんまり溜まった有給休暇でさえ、
会社側からの有給消化をいい渡された以外、自ら申請したことはなかった。
そんな彼が今日、初めてやったのが仮病だった。
別に会社の仕事に突然、嫌気が差したというわけではない。
よくある起床時に突然込み上げる出社意欲の喪失である。
出社拒否症及び出社困難症ともいわれているが、
田口の場合、手早くいえば唐突にサボりたくなっただけだった。
無論、熱もデタラメだった。
今は流行中のウイルスの影響で製造業関係の失業率が大幅に増えている。
田口が勤める金属加工業は解雇こそされないものの、
部品の入荷数が以前より減って作業員の時間を持て余しているのが現状だった。
故に、田口が1日休みたい旨の連絡を土壇場に入れても詮索されずに済んだのだ。
ただ、ウイルス感染を疑われた場合、会社に与える打撃は大きい。
下手をすれば工場を一時的に停止せざるを得なくなってしまう。
さすがの田口もそこまではしたくなかったので、
笹岡にウイルス感染の疑いを向けられたときは慌てて否定したのである。
田口亮平
田口亮平
同僚たちが普段の田口の勤務態度を異口同音に評価しているように、
笹岡含む上司たちの気受けも田口はよかった。
以前、勤務姿勢を注意された同期が体調不良を理由に欠勤の連絡を入れた際、
笹岡は病院から診断書を受け取るように釘を刺したことがある。
要は、同期が体調を崩して休んだという事実を示す証拠が欲しかったのだ。
会社なりの仮病を用いたズル休みを暴く手段だった。
実際、その同期は本当に体調を崩していたのだが、
疑り深い会社のやり方に腹を立てて退職届を提出し、つい先月辞めてしまった。
田口は、それをいわれないほど自分が会社に信頼されているんだと思い、
愉快な気持ちに浸りながら洗面所へ向かった。
水曜日の正午、田口は駅付近の商店街をぶらぶらしていた。
独り暮らししているマンションの一室に篭っていても仕方ないので、
適当に近所を散策する気になったのだ。
やはり平日なだけに、主婦や定年を迎えた高齢者が多く行き来しており、
田口のような30代半ばの年齢層はほとんど見かけない。
真夏の暑い太陽が照らす炎天下の商店街を行く当てもなく歩いていると、
田口は誰かに名前を呼ばれたような気がした。
思わずドキッとした。
田口亮平
不意に肩をポンッと叩かれ、振り向いた田口は顔を驚かせた。
田口亮平
大島稔
相手が大島稔と知り、田口はホッと胸を撫で下ろした。
この大島稔こそ、体調不良を怪しんだ会社のやり方に憤り、
怒りに任せて退職届を出した元G研磨の作業員だった。
2人は外の猛暑から逃れるように、近くの喫茶店に避難した。
大島稔
注文したアイスティーで喉を潤してから大島がいった。
大島稔
大島稔
田口亮平
大島稔
大袈裟に驚く大島に、田口は思わず含み笑いを浮かべた。
大島稔
大島稔
大島稔
大島稔
田口亮平
田口亮平
田口亮平
田口亮平
田口亮平
田口が訊くと、大島は露骨に肩をすくめた。
「愚問だった」と、田口は詫びた。
平凡な私服、かすかに伸びた髭と髪、どう見ても勤め人の身なりではない。
その上、ド平日の昼間に外を出歩いていたのだから察せないはずがなかった。
大島稔
大島稔
大島稔
大島稔
大島稔
大島稔
田口亮平
大島稔
大島稔
それは田口も認めざるを得なかった。
大島が悔やむ気持ちもわかるが、突き放したいい方をしてしまえば、
その場の感情に任せて退職届を叩き付けた彼の自業自得であった。
田口亮平
訊くべきではないと思いつつも、田口はあえて尋ねた。
大島稔
大島稔
大島稔
大島稔
大島は、まるで自分にいい聞かせているかのようにいった。
重苦しい話題を最後に、2人は喫茶店を出て別れた。
笹岡重之
田口亮平
田口亮平
笹岡重之
笹岡重之
笹岡重之
笹岡重之
笹岡重之
笹岡が額に手を当てて本気で困っている様子が田口の脳裏に浮かんだ。
頭痛の欠片も感じていないごく正常な状態の頭に、である。
1ヶ月前のズル休みに続く、2度目の仮病を田口は執行した。
仮病の理由は1度目同様、出社意欲が唐突に失せたことだった。
今回は2度目ということもあり、田口はおずおずと連絡を入れた。
前回の仮病後、ウイルスの蔓延が終息に向かう兆候を示し始め、
それに伴い、一部の相手先の工場が機械の稼働を再開しだしたのだ。
それにより仕事量が増えたG研磨も流行以前の活気に戻りつつあったのだが、
その矢先での体調不良による欠勤は会社にとって大きな痛手だった。
田口もそれは百も承知だったので、緊張せざるを得なかったのだ。
田口亮平
と、今度は本心から詫びた。
笹岡重之
笹岡重之
田口亮平
通話が切られると、田口はホッと小さくため息を吐いた。
起きたときは涼しい風が吹いていて気持ちよかったのだが、
いつのまにか額から小粒の汗が流れ、頬を伝っていた。
「それにしても…」と、田口は思った。
ほんのちょっとした気持ちから仮病で会社を休んだだけで、
あっさりと2度も繰り返そうという考えに至った自分が信じられなかった。
大島や会社の人間が評価するほど勤務意欲があるとは思っていないが、
責任感に関しては確かに人一倍高い方だという自負はある。
にもかかわらず、2度目の仮病を躊躇なく執行してしまった。
頭を抱える笹岡とガムシャラに働く同期たちの姿が思い浮かぶ。
田口亮平
物憂い気分の田口はそう心に決めた。
昼過ぎに田口は少し遠出したくなり、県外へと足を運ばせた。
来たこともない土地で昼食を済ませ、適当にぶらぶらする。
1ヶ月前と同じく、気晴らし目的以外の理由はなかった。
あてもなく街を歩いていたかと思ったら、とある工業団地に辿り着いた。
沢山の田畑と金属部品を取り扱う企業が至る所に点在する団地だ。
時刻は午後1時過ぎ。
視野に入る工場からは機械の稼働音がせわしなく聞こえてくる。
田口は会社のことを思い出しそうになり、逃げるように向きを変えた。
そのとき、目の前の道路で信号待ちをしているトラックを見てギョッとした。
G研磨が所有する運搬トラックだった。
無意識に体が凍り付いたが、目はしっかりと運転席に向けられていた。
田口亮平
田口亮平
トラックの運転席でハンドルを握るG研磨部長、富永勝宏の姿がハッキリ見えた。
信号が青に切り替わると、富永は田口に気付いた様子もなくトラックを発進した。
トラックは、信号を渡ってすぐ目の前の工場で停車した。
富永が工場の人間と一言、二言話して相手が消えてからボディの側面を開いた。
バンっという音で、ぼんやり眺めていた田口は我に返った。
田口亮平
今の田口は体調を崩して寝ていると会社は思っている。
それが外を、それも県外を出歩いている様子を目撃されては不味い。
もし田口の存在に気付いたら不審に思い問い詰めるか、
逃げられても田口を見たと会社の笹岡たちに連絡をするだろう。
田口は踵を返そうとしたが、その足が突然止まった。
富永が開け放たれた荷台の前で、体を震わせていた。
と思ったら、今度はいきなり周囲を見回し始めた。
田口は慌てて傍の電信柱に身を隠した。
そっと富永の様子を伺うと、今度は荷台に登ってうろうろしてから、
端っこにある大きな麻袋みたいな物に手をかけた。
富永はそれを、部品を入れたパレティーナの陰に隠れるように移動させた。
まるで、相手側の死角に入るようにするかのように。
丁度そのとき、相手がフォークリフトに乗って現れた。
富永は何食わぬ顔で二言三言交わしてから、工場へ入って行った。
その間、荷台の荷物がリフトによりどんどん下ろされていく。
田口はじっと身を潜めたまま、富永が現れるのを待った。
やがて、リフトは麻袋を死角に潜めたパレティーナのみを残し、引き上げた。
富永が戻ってきて、先方に笑顔で頭を下げてから側面を下ろし、運転席に乗り込んだ。
途端、富永の表情が再び硬くなった。
田口亮平
好奇心にかられた田口はいつの間にか電信柱から身を乗り出していた。
富永部長は明らかに挙動不審だった。
田口亮平
田口は通りかかったタクシーを止め、目の前のトラックを追うよう伝えた。
午後4時、富永がトラックを停め、荷台からあの麻袋を抱えて降りた。
とても重いのだろうか、富永の表情が幾分辛そうだ。
富永は麻袋を肩に担ぎながら周囲を見回し、川原へと下りて行った。
田口は運転手に代金を支払い帰らせてから、富永の後を追った。
富永はそれほど大きくもなく、といって小さくもない橋に近付いた。
橋の下でもう一度周囲を見回してから、富永は麻袋を地面に置いた。
田口は背丈ほどに生い茂る雑草に身を潜めながら、富永の行動を伺った。
橋の下にも2メートル弱の雑草が至る所で生い茂っている。
富永はその鬱蒼とした小さなジャングルの一部に、麻袋を乱暴に投げ棄てた。
ドサッという音が田口の耳にまで聞こえた。
数秒、肩を上下させてから富永が引き返してきた。
田口が身を潜めたまま目で追うと、富永は川原から土手に上がり、
トラックに乗り込むや否や逃げるように発進させ現場から去って行った。
川のせせらぎと夏の虫が夕方に奏でる鳴き声しか聞こえてこない。
田口は麻袋の中身が気になったが、急に薄気味悪さを感じ現場を離れた。
笹岡重之
田口亮平
笹岡重之
田口はギクッとした。
田口亮平
ということは、あのとき富永部長に気付かれていたのだろうか?
そういえば、今日はその富永部長を見ていないような…。
田口は不安な気持ちのまま、笹岡に続いて社長室へ向かった。
社長室には藤原社長と、もう1人見慣れない背の高い男がいた。
藤原隆徳
田口は社長に頭を下げてから、山下警部に挨拶した。
田口亮平
田口は益々訳がわからなくなった。
それに、ここでも富永部長の姿が見えない。
田口亮平
気になって尋ねると、社長の藤原が聞こえよがしに大きなため息を吐いた。
藤原隆徳
田口亮平
田口は一瞬、社長の言葉が理解できなかった。
山下芳生
田口亮平
藤原隆徳
藤原隆徳
田口は愕然とした。
約1ヶ月半前、平日の真っ昼間に出会ったあの大島が、
どうやら富永によって殺されたというのだ。
笹岡重之
笹岡重之
笹岡重之
田口亮平
予想だにしなかった言葉に、田口はまたしても呆気に取られた。
藤原隆徳
藤原隆徳
藤原隆徳
思いがけない昇格に田口は頭の整理が追い付かなかった。
田口亮平
田口は今すぐにでも外に出て飛び上がりたい気分だった。
が、すぐに冷静になって一つの疑問にぶち当たった。
田口亮平
そんな田口の疑問を察したかのように、
藤原隆徳
藤原隆徳
藤原隆徳
と、藤原社長が山下警部に尋ねた。
山下芳生
山下芳生
山下芳生
と、山下は笹岡と田口の2人に視線を向けた。
笹岡重之
笹岡重之
山下芳生
山下芳生
山下芳生
これには藤原社長たちも思わず「えっ」と声を上げた。
山下芳生
山下芳生
山下芳生
山下芳生
田口亮平
山下芳生
山下芳生
山下芳生
山下芳生
笹岡重之
笹岡重之
山下芳生
山下芳生
山下芳生
藤原隆徳
と、藤原が恐縮そうに上目遣いで山下にいった。
山下が空咳をしてから、田口に目線を向けた。
山下芳生
田口亮平
山下芳生
山下芳生
山下芳生
田口はドキッとした。
田口が答える前に、笹岡が笑いながら割って入った。
笹岡重之
山下芳生
笹岡重之
山下芳生
笹岡重之
笹岡重之
山下芳生
山下芳生
山下警部が懐からスマホを取り出し操作すると、画面を3人に向けた。
田口の目が今にも飛び出しそうなほど見開かれた。
それは動画だったが、田口には忘れられない映像を捉えていた。
川原を歩く1人の男が大きな麻袋を肩に担ぎながら歩いている。
その後ろを、まるで探偵のようにコソコソした動きで1人の男が尾行している。
間違いなく、2週間前の富永と田口を捉えた映像だった。
しかも、映像は想像以上に鮮明で、土手を下るときに捉えた顔で、
それが富永と田口であることはもはや否定の仕様がなかった。
山下芳生
山下芳生
山下芳生
山下芳生
山下芳生
再び山下の鋭い眼光が向けられ、田口は映像から相手の顔に目を向けた。
山下芳生
山下芳生
山下芳生
山下芳生
山下芳生
田口は口籠もってしまった。
ここで、素直に仮病をして遠出をした際に、たまたま富永部長を見かけて、
好奇心から尾行して一部始終を目撃したことを洗いざらい話さなければ、
変な疑いを向けられてもおかしくない。
最悪、富永と共犯的な考えに及ぶ可能性も否定出来なかった。
田口亮平
田口亮平
田口は、そうなった場合の結果も考えたくなかった。
役職クラスに就くのは就職時からの目標だった。
勤続4年、常に抱き続けてきた抱負。
それが今回、図らずも富永が起こした事件で果たそうとしている。
田口亮平
折角の次長の椅子が、目の前から遠退くのは目に見えている。
今の田口は、完全な板挟み状態にあった。
殺人事件なのだ、素直に話さなければ妙な疑惑を向けられてしまう。
しかし、話してしまえばまたいつもの平凡な平社員に逆戻りだ。
それに、2度の仮病が露呈すれば役職クラスに収まるという夢も、
本物の夢で終わってしまうかもしれない。
田口が沈黙を続けていると、突然笹岡が口を開いた。
笹岡重之
笹岡重之
山下芳生
山下芳生
山下芳生
山下芳生
笹岡重之
笹岡重之
藤原隆徳
藤原隆徳
藤原隆徳
田口は段々、居心地が悪くなってきた。
持ち前の責任感が、重りとして田口にのしかかってきたのだ。
山下芳生
居たたまれない気持ちに堪えられなくなった田口は、
ほぞを噛みながら決心した。
彼はじっと直視する山下警部ではなく、
藤原社長と笹岡役員の方に体を向けた。
田口亮平
2020.09.20 作
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