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桜城
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静寂が戻った教室
しかし、慎一の手のひらには、さっきまで重ねていた「未来の自分」の、 驚くほど温かく、皺くちゃの手の感覚が、はっきりと残っていた
都築慎一
胸が締め付けられるように痛く、 焼けるような思い
都築慎一
本心と言葉が矛盾する、 醜い人間たちの姿が、慎一の頭の中に浮かぶ
慎一は自分が今まで嫌ってきた他人と、 同類になったような気分になり、 歯を食いしばりながら、温度が低い自分の拳を握りしめる
露子が持つ底知れないモヤモヤに目を奪われ、 好奇心のままに彼女の隣を歩こうとしていた
でも、その選択の先に待っているのは、 自分のすべてを無条件に信じてくれた勲を、 二度と戻らない暗闇の底へと突き落とす未来
何十年経っても、ボケて何もかも忘れてしまうまで、 毎日夢を見て泣き続けるほどの、地獄のような後悔
都築慎一
慎一は、教科書が詰まった風呂敷を、 冷たい床に向かって、乱暴に放り投げた
まだ見ぬ露子のことを頭から消し去り、 慎一は教室の扉を乱暴に開け放って、廊下へと飛び出した
無我夢中で、全力で、走る
普段から外で遊んでいないからか、 ちょっと走っただけでも、すぐにゼェゼェと息切れをする
足が疲れた 休憩したい それでも、走る足を止める気にはなれなかった
都築慎一
慎一は淡い期待を胸に抱きながら、 チクタクと、規則正しい音を鳴らす時計の針を、 必死に見つめる
都築慎一
冷静さを失った脳内で、 ここにいない勲に向かって質問を投げかける
慎一は呼吸が止まるほどの勢いで、 夕凪小学校の階段を駆け下りていく
校門を飛び出すと、夕凪村のどんよりとした夕焼けが、 慎一の視界を赤く染め上げた
坂道の向こう、影が長く伸びる景色のなかに、 ぽつんと一人、肩を落として歩く半ズボンの後ろ姿が見えた
古賀勲
都築慎一
間違いなく、あの少年は勲だ
無事に見つけ出した安心感が湧き出るものの、 彼の背中が語る悲しみも同時に感じる
慎一にあしらわれ、 大人しく離してしまった自分の右手を見つめながら、 泣き出しそうな顔でトボトボと歩いている
もっと気持ちを伝えればよかったという後悔が、 表情を見るだけでも伝わってくる
都築慎一
慎一は、喉がちぎれんばかりの声で、 その名前を叫んだ
前方を歩いていた勲の身体が、ビクリと強張る
勲が驚いたように振り返り、大きく目を見開いた
その瞳には、かつて炭鉱の奥底で慎一に本心を見透かされた時と同じ、 赤黒い、けれど今にも消えそうな寂しいモヤモヤが渦巻いている
都築慎一
古賀勲
都築慎一
慎一は勢いを緩めず、勲の目の前まで一気に駆け寄ると、 その勢いのまま、勲の右手をがっしりと、痛いほどの力で掴み取った
古賀勲
呆然とする勲の、まだ冷え切った小さな手
それを、慎一は自分の両手で包み込むように強く、 強く握りしめる
未来の自分が望んでいた、 人生で一番、大切な温もりだ
勲は今にも泣きそうな瞳で慎一を睨みつけると、そっぽを向いて、 威圧感のない震えた声で、必死に強がる
古賀勲
都築慎一
息を激しく切らしながら、 12歳の慎一は、勲の目を真っ直ぐに見つめて誓った
都築慎一
その瞬間、勲の目からポロポロと、 大粒の涙が溢れ出した
驚きと、それ以上の圧倒的な歓喜に、 勲の耳たぶが、夕焼けよりも鮮やかな赤色に染まっていく
古賀勲
勲は、涙を袖で拭いながら、 今度は力強く、慎一の手を握り返した
都築慎一
古賀勲
勲は立ち上がろうとする慎一を引き留めるように、 手を握る力を強めた
都築慎一
二人は、茜色の夕焼け空が、燻んだ藍色になるまで、 ずっと坂道で、手を握っていた
鳥肌が立つほどの冷たい風が吹くが、 慎一と勲は、お互いの手の温度で、お互いを温め合っていた
そして、二人はお互いの顔を見合うと、 吹き出るように、声を出して笑い合った
その姿は、 何も狂っていない、何も絶望していない、 年相応の普通の少年そのものだった
カチ、コチ、と、静かな機械の音が響いている
次に目を開けた時、老人の慎一の視界に飛び込んできたのは、 やはり見慣れた白い天井だった
老いた肉体は、相変わらずベッドの上で動かない
しかし、慎一の胸の奥を支配していた、 あの冷たくて重い「後悔の塊」は、 どこを探しても見当たらなかった
都築慎一
慎一は自分を落ち着かせるように、 ほっと胸を撫で下ろす
ボケて霧がかかっていた脳裏は、 驚くほど澄み渡っている
1950年のあの夕暮れの教室で、 12歳の自分と対面し、勲の元へ走らせた
その確かな感触が、魂の奥底に熱く残っていた
都築慎一
ふと、慎一は自分の右手のひらに、 妙な違和感を覚えた
長年、病気で硬直して内側に丸まっていたはずの老人の指先が、 今は、何かを大切に包み込むように、ふんわりと開いている
そしてそこには、さっきまで12歳の自分が必死に掴んでいた、 勲の小さな手の温もりが、消えずにじんわりと残っていた
慎一は、ゆっくりと首を動かし、 枕元の小さな机に目をやった
そこには、彼が人生の最後まで手放さなかった、 あの昭和25年の古い写真が置かれている
都築慎一
写真を見つめた瞬間、慎一の目から、 一粒の透明な涙がこぼれ落ちた
色褪せた、白黒の古い写真
しかし、 そこに写る景色が、彼の知っている過去とは、 ほんの少しだけ違っていた
これまでの写真に写る勲は、カメラを睨みつけるような、 どこかぶっきらぼうで寂しげな顔をしていた
しかし、目の前にある写真の中の勲は、 耳たぶを夕焼けのように真っ赤に染めながら、 隣に立つ12歳の慎一と、ぎゅっと手を繋ぎ合って、 人生で一番幸せそうな、あどけない笑顔を浮かべていた
あの日、未来の涙を知った12歳の慎一は、 本当に露子ではなく勲を選び、全力で走って、その手を掴み止めてくれた
都築慎一
慎一の口から、何十年分もの感謝が、 吐息となって溢れ出す
今まで、老化によって固まっていた体さえ、 緩んで動けるような気分になるほど、 慎一はほっとしていた
今まで天井ばかり見つめて、 何も考えていなかった慎一
窓の外を見ると、令和の澄んだ空が、 あの日と同じ濃厚な夕焼け色に染まり始めていた
部屋のなかに、すうっと、 心地いい秋の風が吹き抜けていた
コメント
1件
うわっ、第2話も泣かせに来たな……!未来の自分が出てくる話って個人的にめっちゃ刺さるんだけど、慎一が「離さない」って言って勲の手を握り返すシーン、夕焼けの中で二人で笑い合うシーン、そして最後に写真の勲が笑ってるのを見て「よかった」って言う老人の慎一……全部が綺麗につながっててガチで泣いたわ。この友情、尊すぎる🔥