人間は不幸のどん底につき落とされ 、
ころげ廻りながらも 、
いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで 捜し当てているものだ 。
太宰治 - 『 パンドラの匣 』
16:30
窓から差し込む夕陽の所為だろうか 。
どうにも気が緩んでしまっていて 、先程から碌なミスをしていない 。
此れでシャープペンシルを落とすのも6回目 。
此処まで来ると最早呆れしかない 。
早く終わらせて 、塾の課題に取り組まなければ 。
…… また 、母に怒られてしまう 。
前回のテストを見せた時の母の顔を思い出すと 、胃が ずくり と重くなった 。
失望とも 、呆れともつかぬ顔 。
最早テンプレと化した「 次は期待してるから 」の台詞 。
其の後に続く教育の皮を被った虐待 。
そして其れを傍観する父のタヒんだ目 。
と 、頭を2、3度大きく振り 、また俺はドリルへと視線を落とした 。
英語の長文読解問題 。割と好きな分野だ 。
ただ1つ難点なのは 、俺が英語を読み上げてしまう癖がある事 。
幼い頃に姉と絵本を声に出して読んでいた名残なんだとは思うが ……
でも今日は早帰りの日なので 、俺以外のクラスメイトは殆ど帰宅しているだろう 。
ましてや 、此の教室で自習する奴なんてよっぽどでなければいないからな 。
そう安心し切って 、俺は英文を音読し始めた 。
・・・・・・
待て待て待て待て待て
人おったんか?でも気配無かったぞ此奴どっから入って来たんやてかそもそも誰やてか待って英文読んどるとこ見られた最悪死んだ無理マジで何でやほんまに
直感的に 、此奴には話が通じない 、と思った 。
其れに発言がボケなのか天然なのかはっきりしない所為で 、怒鳴るにも怒鳴れないのが余計にタチが悪い 。
ただこう云う奴に限って頭は良く回るので 、厄介極まりない 。 正直 、関わりたくない人種だ 。
取り敢えず名前と組だけ聞き出して早急に帰ってもらおうと 、俺は腹を括る 。
聞き慣れない響きに 、僅かに戸惑ってしまう 。
ただ其奴の言い方が余りにも軽かったので 、おそらく 其れが本名である事は間違いないのだろう 。
そんな誇らしげな顔をされても反応に困る 。
そうだね 、とでも言えば良いのか 。
そう言う彼の手にはいつの間にか俺の筆箱が握られていた 。
彼の身体が揺れる動きに共鳴して 、ガシャガシャと音を立てるソレ 。
別に俺自身は無くなったって痛くも痒くも無いのだが 、母に怒鳴られるのだけは勘弁だ 。
仕方ねぇな 、と俺は溜息を吐き 、そして己の名を吐き出す 。
なんて事を口走っておきながら 、実際には会話が弾んでしまっているのが悔しい 。
此奴と話すのは 、思ったよりも苦痛じゃなかった 。
…… 会話が成り立っていない訳じゃないから 、だろうか 。
其れとも 、比較対象であるウチの母親がマトモに人と会話出来る様な人間じゃないからなのか 。
少なくとも此奴に心開いているから 、なんて理由じゃない事を心の隅でそっと願う 。
そう窓辺に腰掛けて微笑う彼の姿が 、心無しか哀しそうに見えるのは 。
地平線に呑まれていく夕陽が 、余りにも輝いて見えるからなのか 。
其れとも 、
彼の背から伸びる真っ白な片翼に 、彼が喰われている様に見えるから 、なのか 。
Prologue .







