ちらりと背後を見れば、
大鉈を持った老婆が
血走った目を見開いて
追いかけて来ている。
視線を戻し、
ひたすら走る。
何故、
どうして
追われているのかわからない。
気が付いたら
追われていたのだ。
それだけは
確かにわかることだった。
老婆は時々
意味不明な言葉を喚き散らし、
大鉈を投げてくる。
大鉈は頬を掠め、
壁に刺さる。
そう思って
もうどれくらい逃げ回っているだろうか。
助けを求めようにも、
暗い夜道には人っ子一人いない。
十字路を曲がる。
いや、この十字路を曲がるのは何回目だろうか。
同じところをずっと回っているような気がしたが、
そんなことを深く考える余裕は無かった。
十字路を曲がり、
自動販売機のある角を曲がると
視線の先に人の後ろ姿があった。
背の高い、
やや猫背気味の男性、だろうか。
ヨレヨレのTシャツに、
色褪せたジーンズ、
足元はサンダルだった。
右手には火のついた煙草を、
左手には何か物が入ったコンビニの袋を持っていた。
その人が味方がどうかわからないが、
とにかく彼女は助けを求めて叫んだ。
すると、
前方を歩いた男性は足を止めて、
ゆっくりと振り返る。
眠たげな眼は、
冷ややかな薄紫色。
あまり健康そうには見えない肌色。
Tシャツの表には、
黒い文字で”鬼”と書かれていた。
足がもつれ、
倒れそうになったのを男性は腕を伸ばして受け止めた。
そのまま後ろに飛び退くと、
老婆が振り下ろした大鉈は空(くう)を掻いた。
大して驚いた風も見せずに男性は言った。
あっさりそう言った男性は、
コンビニ袋を彼女に手渡し、
煙草を携帯灰皿の中にねじ込んだ。
ビニール袋の中には、
缶ビールが二本、入っていた。
老婆が奇声を上げて、
大鉈を振り下ろしてくる。
男性は素早く老婆の腕を掴み、
その腹に蹴りを入れると
呆気なく老婆の腕は千切れ
どす黒い液体を撒き散らしながら
吹き飛ぶ。
が、しかし
老婆は器用に空中で体勢を整え、
足から着地する。
男性が千切った腕は
サラサラと灰となって消え、
風に煽られるようにして
老婆の肩口に戻り、
再び腕を形成する。
そして、
老婆が両手を振ると、
手元に大鉈が現れる。
言われるまま、
彼女が少し離れると
男性はジーパンのポケットから
一枚の札(ふだ)を取り出す。
老婆が高く飛び上がる。
パキンッとガラスが割れるような音がして、
札が弾けると
一振りの大剣が現れ、
その剣の腹で
老婆の大鉈を受け止める。
”ギャリギャリ”と大鉈で剣の腹を滑り、
地面に足が付いた瞬間、
下から切り上げてくる。
彼は大剣を地面に突き刺し、
支えにして
老婆の顎、もしくは腹を目掛けて
蹴り上げる。
老婆は素早く大鉈を振るい
脛を切ったが、
そのまま蹴り上げられる。
そして、
彼も飛び上がる。
切り上げた大剣を、
その細腕からは想像できないほどの力で
受け止められ
目の前で火花が飛び散る。
老婆が大口を開けて
そう叫ぶと
黒い液体が吐き出される。
体勢を崩して避けると、
老婆は大剣の軌道をずらし、
剣の腹を思い切り蹴飛ばした。
が、
その程度で押し負ける彼ではない。
腰を捻り、
横に滑らせる。
老婆は器用に空中で体を捩じって
攻撃を避ける。
二人はほぼ同時に着地し、
地面を踏み込んで距離を詰める。
金属同士がぶつかる重い音がして、
目の前で火花が弾ける。
ギリギリとせめぎ合い、
叫んで老婆を押し飛ばす。
電信柱にぶつかり、
老婆は地面に倒れる。
男性は駆け出す。
琥珀色の炎を纏う大剣。
それを見て老婆は顔を引き攣らせた。
振り下ろされた大剣が唸る。
防ごうとした大鉈ごと
老婆は両断され、
断末魔を上げた。
男性がそう言うと大剣は姿を消し、
老婆は単なる黒い液体となった。
自動販売機の影に隠れていた彼女は、
こっそりと顔を覗かせる。
男性は、ゆったりとした足取りで彼女に近づく。
差し出されたビニール袋を受け取る。
そこに突然、
もう一人現れる。
綺麗な長い白髪に、
愛らしい淡い紅色の瞳。
金糸で鳳凰の刺繍が施された
真っ黒な着物を身に纏っていた。
瑞香と呼ばれた人物は、
満面の笑みを浮かべて
彼女の手を取った。
彼女は困惑した表情を浮かべる。
瑞香は満面の笑みを浮かべたまま言った。
カシャンという軽い音と共に、
彼女の手に枷がつけられる。
混乱した彼女は
救いを求めるように
余片と呼ばれた男性の方を見たが、
彼はのんびりと紫煙を吐くだけだった。
瑞香はケラケラと笑いながら、
彼女の腕を引っ張っていく。
先にあるのは、
道の真ん中に突然現れた
無数の骸骨が並んだ禍々しい扉。
扉がゆっくりと開き、
血生臭い熱風が吹き出す。
瑞香は振り返って手を振り、
余片は気だるげに手を振り返す。
しかし、それには誰も答えないまま、
扉の中に押し込まれ、
無情にも扉は閉じられた。
そう独り言を呟いて、
彼は夜の闇に消えた…。
・
・
・