テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
世界は神に守られている。 少なくとも、人々はそう信じて疑わなかった。 はるか昔、光の神と闇の神が戦い、世界は裂けた。 空は歪み、異界から無数の兵が流れ込み、森は焼け、海は黒く濁ったという。 だが戦は終わった。 光と闇は刃を収め、闇の神は別の次元へと退き、世界には再び秩序が戻った。 ――そう、語り継がれている。 その戦の残骸が、いま「呪い」と呼ばれている存在だ。 理性を持たず、言葉を話さず、ただ人と世界を侵すもの。 五つの国はそれぞれ軍を組織し、呪いを討ち続けてきた。 長い年月をかけて、人々はそれを「管理可能な脅威」として受け入れた。 呪いは減っている。 表向きの記録では確かにそうなっている。 けれど── 本当に、そうだろうか。 誰も気づかなかった。 討伐されたはずの呪いが完全に消える瞬間を見た者がいないことを。 誰も数えなかった。 倒した数と現れる数が、奇妙なほど釣り合っていることを。 光の神が住まう宮殿は、今も広大な森の奥に佇んでいる。 白く、静かで、揺るがない。 その存在は、人々にとって「平和が続いている証」だった。 だが、宮殿に近いほど、呪いは濃く、強く、執拗になる。 まるで―― 何かを守るために、集まっているかのように。 神は語らない。 神託は減り、奇跡は小さくなり、祈りへの応えは遅れていく。 それでも人々は信じ続けた。 神が沈黙しているのではなく、ただ「見守っている」のだと。 違和感は、あまりにも静かだった。 日常に溶け込み、誰の足も止めない。 ただ一つだけ、確かなことがある。 この世界は壊れかけているのではない。 すでに限界まで支えられている。 そしてその重みを、誰よりも長く引き受けている存在がいる。 光の神は、疲れていた。 その事実に気づく者はまだいない。 だが、呪いは知っている。 闇の神も知っている。 そして間もなく、それを知ってしまう人間が現れる。 白い軍服を着て、 細い剣を携え、 世界の歪みを速さで切り抜ける少女が。
暗い森を白い軍服を着た1人の人間が走っていた。 白い軍服は、森ではやけに目立つ。 それでもこの国――ネオ・アルカディアでは、迷彩よりも清潔感が優先された。技術の国の軍服は、白を基調とする。それは誇りであり、同時に「どこにいても隠れない」という意思表示でもある。 その白が、枝葉を裂く音とともに揺れた。
三条凛
三条凛は小さく息を吐き、腰の細剣に手をかけた。 森の奥、光の神の宮殿に近いこの区域は、呪いの発生率が高い。地形も複雑で、視界は悪い。常人なら足がすくむ場所だが、凛は歩みを止めなかった。 むしろ、一歩前に出る。
三条凛
耳元の通信にそう告げると、凛は軽く肩を回した。 緊張はない。恐怖もない。あるのは、いつも通りの感覚だけだ。 呪い討伐。 それは彼女にとって、日常業務の一つだった。 前方の茂みが、不自然にざわめいた。 黒く、歪んだ影が地面から染み出すように立ち上がる。人の形に似ていながら、どこか決定的に違う存在。かつて闇の神が送り込んだとされる残兵。今はただ「呪い」と総称されるもの。
三条凛
凛は軽口を叩きながら、地を蹴った。 細身の剣が鞘から抜かれる。 重さはほとんど感じない。この剣は、力で振るものじゃない。速度と角度、そして一瞬の判断。それさえあればいい。 一体目。 正面から来る呪いの懐に、迷いなく踏み込む。刃が閃き、核を断つ。黒い霧が弾けるように散った。
三条凛
二体目は背後から。 振り向くより早く、凛は体を低くし、滑り込むように距離を詰める。横薙ぎ。浅い。だがそれで十分だった。バランスを崩した瞬間を逃さず、喉元に剣先を差し込む。 倒れる。 確かに、倒れた。
三条凛
凛は眉をひそめた。 消え方が遅い。 いつもなら、核を断たれた呪いは即座に霧散する。だが今、足元に広がる黒は、まるで名残惜しそうに形を保っている。
三条凛
三体目が動く。 小型。素早い。凛は一気に距離を詰め、跳躍と同時に刃を振り下ろす。完璧な一撃。手応えもある。 それでも。 呪いは完全には消えなかった。 霧が地面に沈む。 沈んで、留まる。
三条凛
思わず零れた声は通信には乗らなかった。 凛は剣を構えたまま、その場から動けずにいた。 倒したはずだ。 討伐は成功している。 なのに、森の奥から伝わってくる気はむしろ──
三条凛
軽く言ってみたが、胸の奥がざわつく。 理由は分からない。ただ、嫌な予感だけがあった。 凛は剣を下ろさず、深く息を吸った。
三条凛
今は任務中だ。 呪いがいるなら、倒す。それだけ。 白い軍服を翻し、三条凛は再び森の奥へと駆け出した。 この時はまだ―― この“違和感”が世界そのものに繋がっているとは知る由もなかった。