浴室から出てきた梓に声を かけられて、ハッとする。

梓がお風呂に入ってから30分以上 グラスやお菓子を片付けてから 考え事をしていた。

話したいことがあると真剣に言われて、別れ話をされてしまうのではないかと不安になるのは自信が無さ過ぎるだろうか？

正直怖いが、どんな話でも聞く 逃げる事はしない。

梓とは正面から向き合っていたいから。

僕は梓と入れ替わりで浴室に向かった。

服を脱いで踏み入れたお風呂場も、家と 同じように片付いていて 居心地が良く、いつもついつい ゆっくりしてしまうのだ。

…ここを梓がさっきまで使っていた。

そう思うと毎度少しドキドキする。

シャンプーやリンス、洗顔料が当たり前のように並んでいる。

これを最初に見たときは驚いたものだ。

友人が言うように、彼女には綺麗な黒髪と美人な顔が本当にあるのだと、実感した。

お風呂では流石にあの白い無機質な 物体を外すのだろう。

…もちろん気にならない訳がない。

気にならない訳ではないが、無理に 問いただして見るような事はしない。

最初こそ物珍し過ぎて正面から聞いてしまったが、あの時梓は悲しそうに笑って

「…何だろうね、これ。 私にも分からないんですよ」

自分の頭部に被った白い物体を 触りながら、そう言ったのだ。

その時僕はすぐに、触れて欲しくないのだと悟った。

同時に彼女のことが気になって知りたくなって、そのまま連絡先を交換した。 その後9ヶ月じっくり連絡を取ったり デートを重ねて、今に至る。

もちろんこの先ずっとこのままで良いとは思っていない。

けれど、付き合うことになった日から 僕は彼女のペースに合わせようと 心に決めている。

焦らない。 どれだけの時間がかかったとしても きっと大丈夫。

僕らは絶対に分かり合えるはずだ。

全て洗い終えてから、湯船に浸かって 一息つく。

梓は今何をして 何を考えているのだろう？

この後の話は、一体どんな内容なんだろう

考えを巡らせているうちに、すっかり忘れていたと思っていた元恋人のことが 頭に浮かんだ。

英里。 梓に出会う丁度半年前くらいに 別れた元恋人。

英里は、小柄で幼い顔つきをしていた。 梓とは真逆と言ってもいい。

たまに大学ですれ違うと、いつも 暗い顔をしていた。

放っておけなくて、たまにくすっとでも 笑ってくれると心底嬉しくて。 持てる時間を全て使って彼女の傍にいた。

けれど彼女は程なくして学校を辞めた。

それからも変わらず関係は 続いていたが、英里の家でデートをする 約束だったある日。

　　　インターホンを鳴らしても、携帯から連絡を入れても約束の時間を過ぎても、一向に反応が無く一度帰ろうかと考えていた時。

家の中で激しく争うような音と、英里が 何か叫んでいる声が聞こえた。

英里には離婚して父親しかおらず、父親は深夜まで仕事で帰ってこない為、いつも 一人で家にいるはずだった。

間違いなく英里の家族ではない。

ただごとでは無いと判断し、ドアノブに 手をかけるとすんなり扉は開いた。

勢いよく廊下を抜けて居間に入り、そこで目にした光景は強いショックからか もうぼんやりとしか覚えていない。

目に飛び込んできたのは肌色。

居間のよく二人で座ったソファの上で繋がる、見知らぬ若い男と英里。

何を言っているのか分からなかった。

頭が真っ白で、理解が出来ない。 何も考えられない。

その時見た英里の顔が、ぐにゃりと 歪んだような気がした。

その後の事は覚えていない。

どうその場から逃げたのか どうやって縁を切ったのか 何もかも覚えていない。

今となっては英里の顔すら よく思い出せないのだ。