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主
主
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水の小鹿は、ひとつの命を抱きしめる
六奏神社の冷蔵庫は、基本的にすちが管理している。
野菜や調味料の位置は決まっていて、足りなくなりそうな物があるとすちはすぐにメモを取る。
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冷蔵庫を覗き込みながら、すちは眉をひそめる。
そこへ、台所にひょっこり顔をのぞかせたのは、こさめだ。
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ぴょこんと手を上げるこさめに、すちはほっと笑う。
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こうして、すちとこさめは人の姿になり、人間の服を身につけて街へ向かうことにした。
六奏神社の裏手にある山道を抜けると、すぐに視界が開ける。
潮の香りがふわりと漂ってきた。
海辺の小さな街だ。
観光地ではないが、海の近くに商店街があり、夕方になると港に夕日が沈んでいく。
こさめは海が好きだった。
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こさめは眩しそうに空を仰ぐ。
その横顔はどこか子鹿のようで、すちの胸があたたかくなる。
買い物かごを片手に、商店街を歩くふたり。
魚屋のおばちゃんに勧められて新鮮なアジを買い、香草も買い、果物も補充した頃――
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と、ちょうどその時だった。
海風に混じって、とつぜん聞こえた叫び声。
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すちは振り返る。
声は、砂浜のほうからだった。
波打ち際に、人だかりができている。
そして――
悲鳴に近い声が、こさめの耳にはっきり届いた。
水辺には、小さな子供がひとり。
そのすぐ先の海では、大人が必死に水をかいていた。
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すちが言いかけたが、こさめはすでに駆け出していた。
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叫びは、こさめにはもう届かない。
砂浜に投げ捨てられたサンダル。
全速力で走る足取りは、次第に“人”から“神獣”へと変わっていく。
海の白い光を浴びながら――こさめの身体は、すっと“小鹿”へと変わった。
角は水晶のように透き通り、身体は淡い水色に輝く。
その姿に、周囲の人が息を呑んだ。
さざ波を照り返したこさめは、まるで海の精霊のようだった。
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小鹿となったこさめが、水を蹴って海へ飛び込む。
水の抵抗など、こさめには関係ない。
水の神の力が海を抱き、こさめの身体をすり抜けるように進ませていく。
必死に息をしようと、沈んでは浮かぶ親。
その腕の先で、水に飲まれかけている小さな子供。
こさめはまず、子供の服の背中を咥えた。
小さな体をしっかり咥え、すばやく背中へ背負う。
同時に、親の手首を角の付け根でひっかけるようにして引き寄せた。
重い。
けれど、こさめの水の力が海を押し返す。
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必死に水をかく親の背中を、こさめはそっと押し上げた。
その瞬間――
海面のすぐ上を、風がやわらかく舞う。
すちの風だ。
ふたりを乗せたこさめの身体が、ほんの少しだけ軽くなる。
すちの風が、波の流れを逆らうように支えたのだ。
親の声は震えていた。
子供はむせながらも、しっかりこさめの体にしがみついている。
砂浜の人々の元へゆっくり戻りながら、こさめは心の中で必死に祈る。
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砂浜にたどり着くと、こさめはふたりをそっと浜辺へ降ろした。
親は砂に両手をつき、涙を流しながら子供の背中をさすり続けている。
周囲はざわめきに包まれる。
こさめは息を荒げながら、そっと首を傾げた。
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神の小鹿は、静かに鳴く。
その姿は、波間から生まれた奇跡のようだった。
海風がふわりと吹く。
その風は、間違いなく、すちのものだ。
こさめの身体が柔らかく光り、ふわりと浜から浮かび上がった。
風が小鹿を抱える。
風の力に包まれながら、こさめの姿は再び人へと戻り――海を背に、静かに立っていたすちの方へ戻っていった。
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すちの声は低かった。
怒っている。
けれど、それ以上に――心配している。
こさめは目をそらし、申し訳なさそうに指先をいじる。
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すちは買い物袋を地面に置くと、こさめの肩を掴んだ。
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こさめは唇を噛む。
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その言葉が、胸の奥に強く刺さる。
すちはこさめの額に手を添え、そっと抱き寄せた。
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二人を包む風が、そっと髪を揺らす。
海鳴りと風の音だけが、ふたりの沈黙を埋めていた。
海辺の街のざわめきが遠ざかる頃、六奏神社に着いたふたりは、境内に戻ると同時に――
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すちは指をさす。
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こさめは涙目になりながら畳に正座した。
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ふてくされた声に、すちは小さく笑ってしまう。
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こさめははっと顔を上げる。
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その言葉に、こさめはほっと肩を落とし――すぐにまた、膨れっ面に戻った。
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こさめは頬をぷくっとふくらませたまま、正座を続けた。
すちはその横で、風鈴をそっと揺らす。
風の音はどこまでも優しく、それはまるで――“ありがとう”と小さく囁いているようだった。
水の小鹿は、ひとつの命を抱きしめる
コメント
2件
他人のために海に飛び込める☔️ちゃんすごいし、 それをそっと支える🍵くんもかっこいい！✨️ 投稿ありがとうございます！！続き楽しみにしてます！！！
こさめちゃんナイス、、！！
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