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今も月に数度は金縛りに遭う。
きっかけは……
思い出す限り遡れば
母親の出産だったように思う。
当時、私は中学生だった。
夏の暑つい盛に妹は産まれた。
病室を訪れると、母親は妹にお乳をやっている最中だった。
うぶ声をあげた小さな命……
可愛いというより、守らなきゃという思いが先にたった。
「将来はあなたも母さんになるのだから、練習にいいね」
冗談まじりに母親が言ったのを今でも覚えている。
高齢出産だった母は、医療施設の整った総合病院で妹を産んだ。
一級河川のそばにある病院は眺望は抜群だった。
六階にある病室からの眺めは対岸の街、遥か山々まで見渡すことができた。
しかし私が驚いたのは景色の素晴らしさなどではなかった。
驚いたのは真下に広がる墓地──。
敷地はそれほど広くなく
河川敷の土手と病院に挟まれた三百基ほどの墓がやや不規則に並んでいた。
巨大病院の裏側は 墓場とは……。
なんとも複雑
いささか不謹慎ではあるが
ゆりかごから墓場まで
という言葉が脳裏をかすめる。
「眺めはいいけど、下は微妙だね」と私が言うと
母親はこう答えた。
「そうね……日本は土地が狭いし、この町は古いから、昔からあるのはお墓の方よ」と。
母親は気にするでもなく微笑んだ。
そろそろ赤ちゃんを新生児室に戻す時間だ。
私は新生児室までついていくことにした。
ガラス越しに見える母と妹。
満腹の妹はコットの上ですやすや寝ている。
私は二人に手をふってから廊下を歩き出した。
途中で頭にターバンを巻いた女の人とすれ違う。
パジャマ姿にベスト。心なしか淋しげに見える。
女の人は新生児を見にきたと思われた。
ナースステーションの前でぬいぐるみをかかえた家族を見かけた。
この家族も赤ちゃんに会いに来たのだろう。
ワイワイと賑やかに会話も弾んでいた。
一転してナースステーションから先の南病棟は静まり返っていた。
母親のいる北側と静かな病棟の南側。温度差を感じる。
中ほどの病室から歩行器の先端部分が見えた。
白髪頭のお婆さんがよろよろと姿を現した。
そうか
産婦人科は赤ちゃんを産むだけじゃない。
ここは大病院。
当然のことながら病気の患者さんも入院している。
より深刻なケースもあるはずだ……
目に見えない境界線……慶びと哀しみ……生と死が同時に存在する……。
妹の誕生を喜んでいた私は、 やるせない気持ちになった。
その夜
私は昼間の出来事もあり、なかなか寝つけなかった。
眠りは浅くうつらうつらとしていて布団の中で何度も寝返りを打った。
ようやく意識が遠のいたころ
夢を見た。
墓の前に三人の女たちがいる。彼女らは赤子を巡って争っているのだ。
女たちの顔は青白く、手がぐにゃぐにゃと長い。
長い腕を伸ばし絡み合いながら我先にと赤子を奪い合った。
赤子が妹なのか、未来の自分の子なのか、よくわからなかった。
ただ強く思ったのは
「私の赤ちゃん返して!」
だった……
はたと目を覚ました。
カーテンの隙間から隣接するマンションの明かりが差し込んでいた。
まだ夜が明けていないと、ぼんやり思った。
不意にじーんという耳鳴り
ふわりとした感覚に襲われた。
ガ ッ ❕
いきなり何かが胸元を押さえつけた。
苦しい……
部屋の中ははっきり見えているのに
何が自分を押さえつけているか分からない。
目に見えない圧のせいで、まったく身動きすることができなかった。
怖い・・・
早く逃れたい
私はあらん限りの力ではねのけようとした。
何度か力を振り絞る
ほどなくして
前ぶれなくすっと立ち去るよう圧から解放された。
これって……
もしかして
金縛りだろうか?
その後はまんじりともせず、ベットの上で朝を迎えるのだった。
少なからずこれが最初の体験だったように思う。
それから一ヶ月がたった。
我が家に生まれたての赤ちゃんがいる。
そう考えただけで楽しい毎日だった。
そして、この日は久しぶりに部活がお休みだった。
午前中はまだましだったものの、夏の疲れが出たせいか、
昼ごはんを食べたころから体がだるく、何もする気になれなかった。
昼下がり
私は妹と一緒になって昼寝をすることにした。
初秋といえども日中はまだまだ暑い。
クーラをちょうどよい温度に設定すると、小さな妹に気をつけながら横になった。
お乳を飲んだばかりの妹はすやすやと寝ている。
私は甘いミルクの匂いにつられ、引きずられるように眠りについた。
気持のいいはずの昼寝。
なのに
またあの夢を見た……
墓場で女たちが赤子を奪い合う夢だ。
これは夢だ
私は半分認識していた。
でもおかしなもので、夢だとわかっていて
今度こそ赤ちゃんを取り返そうとも思っていた。
女の一人がろくろ首のように長い腕で
赤子をかかげるように抱き上げた。
私は隙を見て
赤子の足首を掴んだ。
女たちに取られまいと必死で。
ふわりとした感覚。
金縛りの感覚。
いけない!
私は強引に目を開けた。
驚いた!
本当に妹の足首を掴んでいたのだ。
それもかなり力で……。
私は自分のしでかしたことに怖れおののき、すぐさま手を離した。
まるまるした妹の足首に、くっきりと私の指の痕がついている。
ごめんね ごめんね ごめんね
何度も謝った。
幸い妹は何事も無かったようにすやすや眠り続けている。
手の痕もすぐに消えてしまった。
祟り? 呪い? 霊がとりついた?
誰かに相談したい……
翌日、私は親友のワカに一連の出来事を話して聞かせた。
賢い彼女はこう答えた。
「金縛りは睡眠傷害の一つ。長年一人っ子だったあなたに妹が出来た。そのストレスが原因なのよ」と。
超現実主義の彼女は迷信やら幽霊など信じない。
客観的で、いたくまじめな答えが返ってきた。
違った答えが欲しかった。
わかっちゃいたけど
ただ一緒に怖がって、同調して欲しかっただけなのにね…。
生後二ヶ月
昼間の妹はすやすやと眠る天使のような赤ちゃんだった。
それが
夜になると一変する。
激しい夜泣きが家族を困らせた。
いわゆる昼夜逆転
母親もこれにはほとほと困った様子で、明らかな睡眠不足に陥っいた。
「あなたも赤ちゃんの頃はよく夜泣きしたわ」
「だけど、お母さんはあの時ほど体力がないの」
「子育てするには歳を取りすぎたのね」
私も夜泣きしたのか。
なら恩返しだ。
「今夜は私がミルクをあげるね」
母親は助かると言って喜んだ。
「ぐずったらミルクの時間の前でも、あげちゃっていいから」
「この子、哺乳瓶はいやがらないから、その点は楽だわ」
夜中
妹は泣き出した。
私は急いでミルクを作り、妹に与えた。
小さな口が哺乳瓶に吸いつく。
妹は時間をかけてゆっくり飲み干した。
満腹になってもおめめはぱっちり。
彼女は眠るつもりはないらしかった。
だっこしている間は機嫌よし。
寝かせようもなら瞬く間に大泣きしてしまう。
私はソファにもたれながら妹を抱いた。
不思議なものだ
黒くきらきら輝く瞳はじっと何かを見つめている。
私が視線を合わせようとしても、ちっとも合わない。
妹はまばたきを忘れてしまったかのように、じっと後ろの方を見ていた……。
ねえ
あなたはいったい何を見ているの?
私の後はカーテンのかかった窓があるだけ。
カーテンを開けても見える景色は屋根しかない。
そういえば妹の眼はどこかで見覚えがあった…どこだった…
あっ……
ばあば
亡くなる寸前の祖母の目。
記憶を失い
言葉を失い
ただ天井を見つめるだけのばあば……
……
生後七ヶ月目。
妹は首がすわり、おすわりもできるようになった。
このころになると夜泣きはおさまり、よく笑うようになった。
目は何かを追いながら、天井に向かってきゃっきゃと笑って手足をばたつかせた。
やっぱり何かが見えているのだ。
そして……私はというと、あの墓場の夢は、ぱったり見なくなった。
しかし依然としてかなりの頻度で金縛りに遭った。
そのころの私は金縛りの前兆みたいなものが分かるようになっていた。
うまく回避できる時もあれば、ダメな時もある。
それでも、ややあって、じっとしていれば、やがては金縛りは去ってゆく。
そんな具合だから、私はすっかり慣れたつもりになっていた。
でも、まさか
あんなことになろうとは……
中学三年の修学旅行。
それは……三日目に起こった。
泊まった先は東北のとある旅館。
私たちは十畳の和室に八人で寝ることになった。
たわいもないじゃれあいから、枕投げが始まった。
どったんばったんとヒートアップ。
隣部屋からチクりが入り
先生が鬼の首でも取ったがごとく部屋に乗り込んできた。
全員が廊下に整列させられ
こんこんと説教が始まる。
喉が変だ。
げほげほと咳が止まらない。
私たちを前に先生は行ったり来たり
叱っている間じゅう私の咳は止まらなかった。
もともとハウスダストは苦手だ。
枕投げのせいで器官が悲鳴をあげた。
結局
私だけが別の部屋に隔離。
病人部屋に移り、一人で寝るはめになった。
窓を開けて、きれいな空気を吸って
咳はほどなくして治まった。
他の部屋で問題が発生していて、そのせいで先生方は出払っていた。
私は布団に潜り込み、やがてうつらうつらし始めて……
それは前ぶれなく忍び寄ってきた……。
なんともいえない気配
金縛りの気配だ!
ブーンと耳鳴
ふ わ り と
来る!
そう思った瞬間
私は無理やり起きようとした。
❗
ズ ン
重たい何かがのしかかってきた。
力は最強クラス
ぐっと胸元を押さえつけられ、
明らかに等身大の人らしき物体が私の上に覆い被さってきた。
耳の近くで息づかいを感じる……。
わーッ
私は恐怖心に襲われた。
なんとか逃れようと力いっぱい抵抗する。
一瞬軽くなって
すっと抜けた。
ほっとしたのも束の間
そいつはふたたびのしかかる。
くっ……
力を振り絞り追い払おうとする。
解けた瞬間
ふたたびのしかかってきて押えつけられる。
短い時間に何度も何度も金縛りに遭うのだ。
もて遊ばれている……
いい加減にしてほしい……
私はほとほと疲れて力が抜けた。
不意に上に乗っていた重みが離れた。
同時に体がクイッと引っ張られ る。
まじ?
体が宙に浮いた。
まじ!?
これ夢じゃない!
あお向けにひるがえる!
体がゆっくりと、うつ伏せに反転した。
わ あ ぁ ぁ !
自分が寝ていた布団が真下にある……
部屋の外から先生方のボソボソした話し声が聞こえる……
助けて……
先生……助けて……
知らせたくとも声が出ない……
突如
耳のそばでザーザーというラジオに似たノイズ音がする。
ザッ--- お前は--- それで--- 幸せ--- なのか--- ザッ---
ザッ--- お前は---
ザッ--- それで-----
ザ------------- 幸せ
なのか--- ザッ
男の声だ。
次の瞬間
私は布団の上に叩き落とされた。
ぼぼ同時に先生が部屋に入ってきた。
何事もなかったように……私は布団の中にいた……。
これが夢だったら……あまりにもリアルすぎる。
そしてあの声……あれはいったい何だったのだろう……。
あれから五年たった。
五歳になった妹はおしゃまで、おしゃべり上手な女の子になった。
ついこの間のことだ。
朝起きてきて「おはよう」の次に言った言葉は……
「お姉ちゃん、きのうの夜、知らないおじいさんがマンションの屋根に座っていたの」
「どこのマンション?」
と私が聞くと
「ここの」
と言う。
もちろん見えるわけがない……。
子供のたわ言だ……。
そう自分に言い聞かせた。
そして私はというと……、
あの修学旅行以来、ひどい金縛りには遭っていない。
回数もぐんと減った。
これは良い兆候だ。
数年が過ぎた最近
とある投稿サイトで
興味深い作品を読んでいる。
霊感のある作家さんが実体験をまとめた
怪談話。
賞にも輝いた
大変面白い作品だ。
しかし
どういうわけか
その話を読むと
必ずといって
金縛りに遭う。
皆さんも金縛りには 気 を つ けて ・・・
コメント
9件
金木あみすさん 金縛りないんですか!なんと羨ましい。夢じゃないんです。うつつの世界。意識ありますからね。お読みいただきありがとうございます‼
金縛り…あったことないな… 凄いリアルで怖かったです
金縛りは本当です。今でもたまにあるのよね。霊的かどうかは分からないです。ただ手の感触がするんです。でもお話しはフィクションです。