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クリスマスのお題。ひねくれたおじいさんが改心してゆく話。長編小説にもともと書いていたのを、書き直し、改編して投稿しました。
クリスマスイブの夜は更けてゆく。
屋敷の門前に、アイドリングしたままの公用車が一台止まっていた。
かれこれ30分は経過している。
静かな住宅街に響くエンジン音に交じり、
何やら言い争う二人がいた。
政治家秘書
政治家秘書
政治家秘書
公用車の運転席から秘書が顔を出し、警備員ともめていた。
警備員
警備員
警備員
政治家秘書
政治家秘書
政治家秘書
政治家秘書
秘書は後ろに座る主人のために、なんとしても要望をねじ込もうとしていた。
警備員
警備員
警備員の態度は頑だった。
つい一時間前にやって来た子会社役員たちも、この警備員によって門前払いされたばかりだった。
押し問答の最中、会長付き筆頭秘書の鈴木が屋敷の裏口から出てきた。
鈴木秘書
鈴木は駆けつけると問いただした。
警備員
警備員
公用車の後部座席の窓がスッと下がった。
大田国会議員
大田国会議員
真っ赤なネクタイ締め、脂ぎった男がにょっきり顔を出した。
鈴木秘書
鈴木秘書
大田国会議員
大田国会議員
屋敷に向かってあごをしゃくる。
鈴木秘書
鈴木秘書
大田国会議員
大田国会議員
大田のイライラがピークに達しようとしているのは明らかだ。
鈴木秘書
鈴木秘書
鈴木はほぼ直角に頭を下げる。
大田の顔がみるみる赤くなり、締めているネクタイの色と同化した。
大田国会議員
大田国会議員
大田国会議員
大田国会議員
大田国会議員
大田が顔を引っ込めると、公用車は急発進した。
鈴木秘書は車が見えなくなってもなお、頭を下げつづけていた。
*
保
保
保
医者
保
保
保
医者
保
医者
医者
医者
保
保
保
保
医者
保
保
医者
医者
保
保
保
医者
医者
医者はドクターバックに医療器具をしまう。
保
保
医者
保
医者
医者
医者と入れ替わるようにして鈴木が入ってきた。
保
保
鈴木秘書
保
保
女がらみのスクープ記事をリークさせたのは自分だ。
保
保
保
保
保
鈴木秘書
鈴木秘書
鈴木秘書
鈴木秘書
保
保
鈴木秘書
鈴木秘書
保
鈴木秘書
保
鈴木秘書
保
保
保
保
鈴木秘書
鈴木秘書
鈴木秘書
裏社会に任すまで。
保
保
鈴木秘書
保
保
保
保
保
これも最悪のプレゼント──
保
保
保
保が言ったにもかかわらず、鈴木秘書は帰ろうとしなかった。
保
鈴木秘書
鈴木秘書
保
鈴木秘書
保
鈴木秘書
保
保
保
保
鈴木秘書
保
鈴木秘書
鈴木秘書
娘は駆け落ち同然で家を出た。
保
保
保
以来
娘には20年間一度たりとも会っていない。
保
保
保
保
保
鈴木は困惑した表情を浮かべ、部屋を出ていった。
保
保
街は浮かれ騒がしい。
幸福な家族など絵空事。
みな幸せな振りをしているだけだ。
喧しい夜は早く寝るに限る。
保は長い息を吐きだし
目を閉じた。
*
カチャ カチャ カチャ……チーン
ガシャン
最近
死期が近いせいか
亡き妻の夢をよく見る。
夢は大概
規則正しいタイピングの音で始まった。
カチャ カチャ カチャ……チーン
ガシャン
タイピングアームが右端までくると、改行を知らせるベルの音が鳴る。
迷いのないリズミカルな音は
聴いていて実に心地がいい。
タイピストはアームをガシャンと戻し、ふたたび打ち始める。
カチャ カチャ カチャ……チーン
ガシャン
音はオフィスの隣部屋から聞こえてきていた。
領事館に送られてきた書簡を整理しながら、保は隣部屋の様子が気になっている。
ドア向こう、オレンジ色の斜光の中に
垣間見える若い女の横顔。
長く艶やかな金髪を後ろ一本に束ね
その眼差しは真剣そのもので
ひたすら集中しながらタイプライターを打っている。
ピンク色の頬、つぼみのような唇……
光と影
その情景は17世紀のオランダ絵画を思わせた。
保はそんな彼女の横顔に、つい見とれてしまうのだ。
若かりしきころ、勤めていたのは
北海道とほぼ同じ緯度にあるウラジオストクの領事館。
保はそこの書記官をしていた。
領事館のあるウラジオストクは夏場は過ごしやすく、冬場は厳しい寒さに見舞われる。
軍港があり、旧ソ連時代から現在にいたるまで賑わい、極東の玄関口として栄えていた。
保
冬場は日暮れが早く
すでに外は真っ暗だ。
保
このままだと彼女の体に障るかもしれない。
そう考えた保は
隣部屋に向かって呼びかけた。
保
保
保
保の声に反応したユリアは
タイプを打つ手を止めた。
そして
ゆっくりこちらを振り向き……
夢は
いつもここで終わってしまう。
ユリアと目が合う寸前で目が覚めてしまうのだ。
だから、どうしても横顔の彼女にしか会えない。
未だにユリアを愛しく思い
そして
一度でいいから
抱き締めたかった。
夢の後は落胆し
心にぽっかり穴が空いた。
しかし──
今夜は思いもよらないことが起きた。
今回に限って夢に続きがあることが分かったのだ。
いつものように保は声をかける。
タイプを打ち手を止めた彼女は
スローモーションのごとくゆっくりと振り返る。
キラキラ輝く瞳がまっすく保を見つめ返し
にっこり微笑んだのだ。
ユリア……
見たいと願った灰色の瞳が自分を見つめていた。
保
保は咄嗟に立ち上がり
勢いでイスがひっくり返えるのも構わず、
ユリアの元に駆け寄った。
ユリア
ユリア
ロシア人のユリア
日本語は完ぺきだった。
40年前と同じ
彼女は変わることなく当時のままに美しい。
ユリア
ユリア
ユリア
ユリア
ユリア
保
あれほどまでに会いたかった妻が目の前にいる。
保は嬉しさのあまり抱き締めようとした。
けれど
それと同時に
もし不用意に触れてしまったら
跡形もなく消えてしまうかもしれない。
指先が恐る恐るユリアの肩に触れた。
シルクのブラウスの下にほっそりとした肩がある。
ユリアは消えることなく、
保を見上げている。
彼女は確かに存在した。
ユリア
後の言葉はつづかなかった。
触れた肩は小刻みに震え、
瞳に涙をいっぱいに浮かべ
保を見つめ続けている。
保は両手を広げた。
おいで──
ユリアはすがるように胸元へ飛び込んだ。
保
保
生きているうちに、まさかこんなことが起こるだなんて──
しばらくの間
無言でユリアを抱き締めつづけた。
胸の中でユリア囁いた。
ユリア
ユリア
ユリア
ユリア
ユリア
保
保
保はユリアの手を握った。
冷たい手。
可愛そうに。早く暖かくしてやらなければ──
保
冷たくきゃしゃな手を引き
元いた自分の部屋に戻ろうとした。
しかし
ドアを通り抜けた先は元いたオフィスではなく、
なんと
保がユリアのために用意した屋敷の寝室だった。
なんだ
すぐに来られたではないか!
こんなに近いなら
なぜもっと早くに連れてきてやれなかったのだろう。
過ぎ去った日々を思うと
悲しく
悔しい
後悔の念が広がった。
この部屋は、
田舎育ちの若い褄の為に設えた特別な部屋だ。
壁を厚くし、窓を二重にし、都会の喧騒を少しでも和らげようとした。
いつでも妻が出入りできるよう
自分の部屋とつづき部屋にしていた。
天涯付きベッドはユリアが望んだものだ。
保はここで妻と過ごそうと思っていた。
だが
結局のところ
ユリアはここへくることはなかった。
保はユリアをベッドの縁に座らせ、横に並び自分も腰かけた。
保
保
保
ユリア
ユリア
ユリア
ユリアの目から涙がこぼれ落ちる。
保
保
保
保
保
タモツはユリアの束ねた髪をほどいてやる。
長く美しい髪を手籤ですいてやる。
ユリア
ユリア
ユリア
ほのかに甘く、スッと抜けるような香りが漂う。
これはハッカの匂い……
そうだった
ユリアはハッカオイルが好きだった。
息を吸い込むほどに涼やかな香り。
それとともに、
昔二人で過ごした日々が思い出された。
何度めかのデートを重ねた帰り道
大型船が停泊する港を散歩し、愛を打ち明けた。
結婚の約束をしたのはクリスマスイブの夜だ。
そして
ユリアが亡くなったと聞かされたのは
春のうららかな月夜の晩だった。
保
保
ユリア
ユリア
ユリア
ユリアは微笑む。
保
保
保
二度とこんな悲しい思いはごめんだ。
けしてユリアを離すまいと誓った。
ユリア
ユリア
ユリア
保
ユリア
ユリア
ユリアは悲しげに微笑んだ。
ユリア
ユリア
保
ユリア
保
ユリア
保
ユリア
ユリア
ユリア
保
保
ユリア
ユリア
ユリアはタモツの節くれだった手の上に自分の手を重ねた。
ユリア
ユリア
ユリア
ユリア
保
保
ユリア
ユリア
ユリア
ユリア
ユリア
保
保
ユリア
ユリア
保
ユリア
ユリア
慈しみに満ちた微笑みはまるで聖女のよう
ユリアは言った。
乾いてしまったタモツさんの心にぴったりだと。
コンコン
ノックが聞こえる
保は半分夢だと気がついていた。
ユリアとこうして過ごせるなら
このまま死んでもいいとさえ思った。
コンコンとふたたびノックが響く。
『プレゼントを必ず受け取ってちょうだい・・・』
愛しい姿が消えてゆく
さめるな
覚めるな
お願いだ
覚めないでくれ
!
無情なノックの音に、腹の底から怒りを覚えた。
ヨネ(メイド頭)
ヨネ(メイド頭)
使用人が自分を呼んでいる。
保
ぼんやりとした頭で返事を返した。
ヨネ(メイド頭)
ドア越しにくぐもった声がする。
そうだった。起こすよう頼んだのは自分だ。
ぼんやりとしていて、焦点の合わない目で
ベッドサイドの時計を見た。
7時
うん?
7時30分
だいぶ寝過ごした。
ヨネ(メイド頭)
保
保
否応なしに現実の世界に引き戻された。
なんてこった!
居たはずのユリアは影も形もなくなっている。
たった今
ユリアと過ごした幸福のひと時は
呆気なく終わってしまったのだ。
保
保
保
保
ユリアに二度と会えない気がした。
すでに涙は渇れはて出てきやしない。
いっそのこと思いきり声をあげて泣ければ、どんなにか楽だろう。
胸の古傷口は広がり、さらに大きな穴が空いた。
横たわるベッドからぼんやりとドアを見つめた。
閉ざされたドアの先にユリアが使うはずだった寝室がある。
時は冷戦時代──
ウラジオストクの領事館に赴任して間もなく、働く女性たちの中で、
ひときわ輝く彼女に一目惚れした。
旧ソ連政府が仕掛けたハニートラップかもしれないと疑いつつも
どうしても、綺麗な彼女を放ってはおけなかった。
二人の間に子供が出来て
財閥である実家の反対を押しきってユリアを妻に迎えた。
妻を心から愛し、幸せにすると誓った。
しかし、幸せの日々はそうあまり長くはつづかなかった。
保の在露任期が終了する日がやってきたからだ。
保は書記管の職を退官し、家業を継ぐため日本に帰ることになった。
『書類の不備なんていつものことだわ。私がゆくまで待っていてね』
出国直前、ユリアだけが留め置かれた。先に保と娘だけが出国を許された。
まさか、あれが最後の言葉なろうとは──。
数週間後
ユリアは自動車事故でこの世を去った。
まだ
たったの22歳。
それはあまりにも若すぎる死だった。
保
保はようやくベッドを離れた。
軽くシャワーを浴び
着替えを済まし
身だしなみを整えた。
書斎に移動すると
テーブルの上に朝食や新聞、薬が用意されていた。
まっくもって食欲がない。
保
保
保
たとえ美しさは枯れていても、
見かけの綺麗さよりも、
もっと尊いものが得られたはず。
保
保
保
保
時代が、二つの国が、二人の間を引き裂いた。
これに尽きる──。
保は朝食も新聞も薬も
手をつけることなく
ただひたすらに
デスクに座り込んだ。
夕方
娘が来たと知らせがきた。
一階にある居間に下りるまで
かなりの時間を費やした。
保が部屋に入ると
待ちくたびれたのだろう
娘の愛は革ばりの長イスに腰かけ夕刊紙に顔を埋めていた。
保
愛
娘の愛は、若かりしきころの保にそっくりのきりりとした女性だ。
保
20年ぶりの会話がこれだ。
愛
愛
愛
保
保
保
愛
保
愛
愛
愛
保
愛
愛
愛
愛
保
保
愛
愛
愛
愛
愛は怒りで声をふるわせた。
新聞を無造作に置くと立ち上がった。
愛
愛
保
愛
愛
『ママ・・・』
細い声がした。
ほっそりとした少女が現れた。
少女は緊張した面持ちで、表情を硬くし、使用人の後ろに隠れるようにして立っていた。
保は目を凝らした。
一瞬何が起こったか理解できなかった。
どういう事だ?
似ている。
いや、似ているどころか何もかもがそっくりだ。
目の前の少女は
ついさっきまで
自分の横に座っていたユリアだ。
保の頭の中は混乱した。
もしかしたら
これは夢のつづきやろうか?
今しかたまで一緒にいたのだ、見紛うはずはない。
保を見つめる灰色の瞳はユリアのそれと同じ。
淡い紅いろの頬。
つぼみのような唇。
自慢の美しい髪は
なんと短く切られてしまっているではないか。
保はとっさに駆け寄り少女を抱き締めた。
可愛そうに
誰がこんなに短くしてしまった?
保
保
少女は驚き、のけ反りながら言った。
ルナ
ルナ
ルナ
……?
保
……そうか
ユリアじゃない
この子はルナだ。
こんなにも可愛らしい孫がいたとは……
自分はなぜ今の今まで、この家族を遠ざけてしまったのだろう
*
その夜
娘の夫も呼び寄せ
家族そろってクリスマスを祝った。
保は自分の横に孫娘を座らせ
人が違ったようにあれやこれやと世話を焼いている。
保
ルナ
ルナ
保
保
愛
保
保
それから、保は誰に言う訳でもなく呟いた。
保
保
保が言い終わるか終わらないうちに、ほんのりと涼やかな香りが漂った。
愛
愛
ルナ
ルナ
クリスマスの翌日
保は子会社を救済することを明確にした。
賞味期限切れ問題をクリアに解決するべく、
世間に公表し
自らを辞して幕引きとした。
後任を甥と鈴木秘書に任せ、
残りわずかな人生を愛する家族と共に過ごすと決めた。
だが、
政治家だけは救済しなかった。
助けるにはあまりにも悪行が過ぎたからだ。
fin