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むむ
「なつ、後でな」
その言葉に特別な意味はない
いつも通りで
どこにでもある
ただの返事
___のはずだった
なつ
聞き返した声は思ったより小さかった
けど、兄はもう振り向かない
いるま
それだけ言って去っていく
足音が遠ざかる
廊下に残ったのは
行き場のない言葉と
冷えた空気
___あぁ、またか
そう思った自分に少し驚いた
いつから"また"なんて思うようになったんだろう
なつ
誰に聞かせるでもなく
ただ呟いて
視線を落とす
そのとき
小さな手がくいっと袖を引いた
こさめ
見下ろした先で
こさめが首を傾げている
無邪気で何も知らない顔で
___そうだ
この子だけだ
そう思ったのは
今日が初めてかもしれない
なつ
しゃがんで目線を合わせると
こさめの顔がぱぁっと明るくなる
こさめ
なつ
こさめ
こさめ
なつ
こさめ
なつ
その言葉に少し言葉が詰まった
なつ
笑った___つもりだ
けど、こさめは気にした様子もなく
ぎゅっと手を握ってくる
こさめ
引っ張られるまま部屋へ向かう
さっきまでの冷えた空気は暖かくなっている気がした
___大丈夫だ
ここにいれば
こさめがいれば
ちゃんと息ができる
こさめ
なつ
なつ
部屋に入ると
散らかったおもちゃの中から
こさめがひとつ取り出す
こさめ
なつ
こさめ
こさめ
なつ
軽く剣を構えるふりをすると
こさめが嬉しそうに笑う
その顔を見ていると
さっきまで胸の中にあった何かが
少しだけ薄れていく
そんな気がする
この時間が
俺にとっては救いだった
他のことなんてどうでもいい
こさめ
不意に飛んできた言葉が幻聴かと思った
なつ
笑った
つもりだ
上手く笑えているかは知らない
でも、それだけでいい
それだけで十分だ
本当に?
頭のどこかでそんな声が聞こえた気がしたが
俺は聞こえないフリをした
今ぐらいこの幸せを噛み締めさせて
なつ
こさめ
おもちゃの剣を構える
なつ
こさめ
なつ
こさめ
慌てて振り返るこさめに思わず笑みがこぼれた
他愛もないやりとり
ただそれだけなのに
不思議と幸せだと思う
___このままでいい
そのとき
らん
ドアの向こうから声が飛んできた
びくっと肩が揺れる
なつ
らん
らん
なつ
らん
説明はいらないみたいに即答だった
迷う余地なんて最初から無かったみたいに
なつ
立ち上がろうとしたそのとき
こさめ
小さな声と手が服を引っ張る
こさめ
振り向くとこさめと目が合った
さっきまで笑っていた目が
少し揺れている
なつ
こさめ
今度ははっきりと
こさめ
ぎゅっと握られた服が離れない
その力がやけに強く感じた
なつ
どうしたらいいか戸惑った
らん
もう一度呼ばれる
さっきより強い声で
___選ばなきゃいけない
そんな空気が痛いほど伝わってくる
でも、
答えはもとからひとつしかない
なつ
そっと手を離す
小さな手が離れてく
今すぐにでも握ってあげたい
なつ
その言葉がどれだけ軽いものか
もう分かってるのに
それでも、他に言葉が見つからなかった
こさめ
こさめは間をあけて頷いた
その顔をちゃんと見れなかった
背を向けて部屋のドアを開ける
廊下に出た瞬間
さっきまでの温度はすっと消えた
___まただ
胸の奥で何かが軋んだ気がした
第1話 【完】
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