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ラウール
ラウール
縋る母を
見下ろした
いたぶって捨てた
そんな人を
未だに母と呼ぶ俺は
どうにもまだ
洗脳されているのかもしれない
あの人から逃げるように
背を背けて進む
後ろから聞こえる声も
無視をして
ラウール
ラウール
ラウール
ラウール
ラウール
ラウール
ラウール
ラウール
ラウール
僕と似たように
母が育てられていたと
知ったのは
祖母が家に来た時
未だに気性の荒い祖母は
母をいたぶり
力が叶うはずの母は
それに怯え
言いなりだった
洗脳はいつまでも残る
母は愛され方を知らない
だから俺を同じように
したのだと思う
そんな母だから
愛されてるなんて
感じなかった
だけど1度だけ
ボロボロの服で
俺と母は海に行った
あの日は穏やかで
それでいて綺麗だった
痛くもなくて苦しくもなくて
幸せだった
デモ
ヒトニミツカッテ
俺と母は引き剥がされた
入水自サツだった
それから僕は
父の元に引き取られた
父には俺の他に子供がいた
再婚相手の子供
受け入れてくれたが
腫れ物扱いを受ける
皆俺より年上で
8人兄弟
みんな気を使って
居心地が悪かった
なによりも
母といた頃に
戻りたいと思った
それから僕は
中学最後の日
「今までありがとうございました。迷惑をかけてすみません。探さないでください」
と置き手紙を置いて
宛先もなく家を出た
お金もないまま
夜に不審に思った
警察に保護され
呆気なく失敗した
そして
探しに出た父も
事故で失った
父の家族は
20歳まで育ててくれたけど
関係が修繕することは無かった
そして俺は
20歳でついに家を出た
仕事が見つかるまで
友人の家にいた
嫌な顔ひとつせず
家族同然のように扱ってくれた
それから少したって
何とか仕事が見つかった
友人に報告すると
喜んでくれていた
色々手伝ってくれて
一人暮らしをすることになった
その帰りに
友人は事故にあって死んだ
ラウール
ラウール
何年後かに
ボロボロな姿の
母に会う
嬉しかった
けど母は
お金を要求した
ないと言えば
父親を呼べと
だから僕は言う
ラウール
ラウール