コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
雨の日の憂鬱は いつから始まったのか、 思い出せない。
記憶の糸をたぐりよせても、 途中で切れていて 真実にたどり着くこともできない。 ただ、そこに不安もない。
軽い知的好奇心が 自分をくすぐるだけで、 なにも答えを得ようなどとは 思わない。 ただただ、不思議なのだ。
雨というただの水滴が降るだけで、 自分の感情が 負の方へと傾いていくのが。
多量に降れば迷惑だが、 いつもの雨ならばなにも事は 起こらない。 それなのに、 雨が憂鬱になる。
今、目の前にある雨に触れてみる。 ただ冷たくあるだけで、 それ以外には何もない。 その存在は、 ただ事象として「ある」だけに 過ぎない。
ふと窓の外では子どもが 色とりどりの傘をあげて笑っている。 何も知らぬ、無垢な喜びの感情。 それが故に、 自分とは 遠い世代の楽しみにも見える。
だけど見知らぬ世代だというのは、 癪(しゃく)だった。 だから僕は傘を持って外に出た。
雨が傘を叩き、 地面を叩いて、 木々の葉を歌わせる。 忙しさと世に塗れたせいで 耳をふさがれていたのだと気づく。 そのせいだろうか
雨への憂鬱は、 どこかへと消えていた。