これは1968年5月のイギリスで起きた全土が恐怖で怯えた11歳の快楽殺人事件です。
育児放棄という悲惨な環境で育ったメアリーの“狂気”は、小学生に上がった頃にはすでに見え隠れしていた。 非常に賢く学業の成績も良かったメアリーだが、その反面、異常なほどにプライドが高く、常習的に嘘をつく性格だったという。また、友達や下級生に大怪我をさせるなど、素行も極めて悪かったようだ。 そしてメアリーが11歳の誕生日を迎える前日、1968年5月25日。ついにその狂気は現実のものになり、彼女は初めての殺人に手を染めることとなる。
ある日、とある空き地で1人の子供が遺体となって発見された。
特に争った痕跡がなく、近くに薬の瓶があったことから誤って大量の薬を誤飲し、事故死したと断定。そのまま処理されることとなった。
警察は何も調査が始まらなかった。
メアリーベル
メアリーベル
メアリーベル
メアリーベル
警察にはこんなメモが届いていた。
私が殺した。だからまた来る、マーティン・ブラウンを殺した。くそったれ。ゲスやろう メアリーベル
警察
警察
警察
ただのいたずらだと思い、警察は動かなかった。
メアリーベル
メアリーベル
メアリーベル
メアリーベル
犯行から2ヶ月たった、7月31日、またメアリー動き出した。
3歳のブライアン・ハウの絞殺に及ぶ。さらにその際、遺体の腹部にはわざわざメアリーの頭文字である「M」の字を刻んだ。
2回目の犯行が前回と違ったのは、わずかながらメアリーによる絞殺の跡が残っていたことにある。
ここで初めて警察は、当時11歳のメアリーに事情聴取を始めた。
警察
メアリーベル
警察がその場所にいくと、それは本当だった。
他にもメアリーは犯人しか知り得ない情報をメアリーが話したことが決め手となり、逮捕された。
ノーマは保護観察処分で無罪に、一方のメアリーは2件の殺人事件について有罪になる。収容施設で精神治療を受けたのちに釈放、という形での懲役刑が科され、1980年、22歳の時にメアリーは釈放。その後、幸せな結婚生活を送ったという。
メアリーベル
メアリーベル
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どうでしたか!?