影山 怜
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影山 怜
約8年前
兄、飛雄が始めるからと、一緒に私もバレー教室に行くことになった。
小学2年、3年から入る人も多く、馴染めないことはなかった。
でも……
私が皆と同じスピードで上達することは出来なかった。
周りの子はレギュラー入りしていく中、私はいなかった。
ひたすらレシーブ練や、サーブ練。 基礎練習をずっとやり込んでいた。
だけど………
ついに私は後から入ってきた子達に先を越された。
飛雄はバレー教室に入って早々にレギュラー入りした天才。
クスクス笑われたり、聞こえるところで飛雄と比べられた。
大人だろうが誰だろうが飛雄や応援してくれる仲間が怒りに行ったけど………
モブ達
モブ達
モブ達
そんな言葉しか聞こえなかった。
悔しい 悲しい 妬ましい 心苦しい 辛い
そんな日々だった
もう嫌だ
せっかく楽しいバレーが…
コートの前を通るだけで
辛いものになる
それから私はひたすら練習に工夫をこらしたり、増やしたりした。
必ず何キロか、走ったり…
バレー上手い人を解析したり
放課後のほとんどをバレーに注いだ。
疲れた 辛い しんどい 遊びたい
全て押し殺した。
こんなに小学生からバレー中心に生きて、自分でも馬鹿だったと思った。
でも………
ただただ低評価である事をいつも囁かれるよりかは
断然マシで、バレーだったから楽しかった。
そんな努力を始めて早2年。
始めてコーチが試合の日。ベンチに入れてくれた。
その頃にはある程度の相手のスパイクは止められる程には上達した。
まだまだだと思っていた。
だがある時………
コーチがチェンジするよう指示した。
私と……
言われるがまま、私はコートに入る。
相手が優勢だ…
相手が打ったサーブは私の元へ来た。
昔は無理だったのに……
サーブがゆっくり………弱く見える
トンッ……
静かに、正確に、綺麗に返した。
皆驚いていた。
私にサーブ権が来てサーブだけで2桁あった点差があっという間になくなり
逆転勝利となった。
その後、私がレギュラー入りし、チームの要になったのは言うまでもない。
中学2年の時。私は低身長ながらスパイカーとしてレギュラーにいた。
ベストスパイカー賞も取るようになった頃
ユース練に呼ばれた。
神に恵まれたような才能に見えたのだろうか。
練習を重ねていくうちに神童とまで言われた。
こんなチビにもファンの方々がいた。
嬉しい気持ちになったのは久しぶりだった。
そしてファンサービスや親切な行動を重ねていったら………
コート上の聖女
と、呼ばれるようになった。
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影山 怜
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コメント
1件
ま、まさかそんな過去があったとは... 怜ちゃん頑張ったんだね〜