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愛奈 @多分低浮上
2
──カチ、カチ、と規則正しい音が、静まり返ったリビングに響いている。
白瀬心春(しらせ こはる)は、洗面所の鏡の前で、自分の重ための黒髪の前髪をきれいに整えていた。
眉がすっぽりと隠れる長さ。自分の感情の揺れを、誰にも覗かせないための、完璧な壁。
ふふっ
口角をきゅっと上げて、鏡の中の自分に向かって、100点満点の優しい笑顔をペタッと貼り付ける。
今日も、周囲に合わせて、誰も傷つけない「良い子」でいるためのカモフラージュの完成だ。
呆れたような、ド直球な正論がすぐ後ろから飛んでくる。
振り返ると、おでこを少し出した黒髪ショートの少年──実の弟である遥斗(はると)が、ハイライトのしっかり入った真っ直ぐな瞳で心春を睨みつけている。
遥斗は不器用そうに口をへの字に曲げながら、自分の学校の荷物を乱暴にまとめている。
うるさ過ぎず、静か過ぎもしない、どこか落ち着いたテンションのまま、彼はいつものように正直な言葉を突きつけてくる。
心春は1ミリも笑顔の演技を崩さないまま、おっとりと首を傾げて微笑み返す。
玄関へ向かう途中、奥の薄暗い部屋に視線を向ける。
そこには、今にも壊れてしまいそうな危うい笑顔を浮かべたまま、気生のない空っぽな瞳で座っている母親──千春(ちはる)の影。
そして、完璧さを求める冷徹な義父(神崎慶介)と、目を合わせようともしない冷たい義兄(唯斗)の、息が詰まるような拒絶の気配が漂ってくる。
あぁ、
今日も、息ができない
心春は、自分の本心を真っ白に隠したまま、静かに玄関のドアを閉める。
いつもの通学路。歩道橋の影。朝の冷たい空気の中に、静かで、どこかおっとりとした声が響く。
_心春_
心春は、さっき洗面所で作り上げたばかりの「100点満点の笑顔」を千歳に向ける。
千歳は少し長めの髪を風に揺らしながら、眠そうな、でもすべてを見透かすような瞳で心春をじっと見つめている。
千歳はそれ以上深く追及せず、ふっと柔らかく微笑んで歩き出す。
彼のその「あえて踏み込んでこない優しさ」に、心春は少しだけ救われるような、でも同時に胸の奥がチクリと痛むような感覚を覚える。
私立明聖高校。教室に入った瞬間、心春のスイッチは完全に「良い子」モードへと切り替わる。
女子生徒A
女子生徒A
「優しい」「良い子」「怒らない」周囲から向けられるそんな言葉のラベルを、心春は笑顔で受け取り続ける。
それが自分の居場所を守るための、唯一の方法だから。
けれど、その賑やかな教室の片隅から、じっとこちらを睨みつけるような、冷たい視線を感じる。
そこには、白瀬家の奥に潜むあの「拒絶の気配」を思い出させる人物──
低く、吐き捨てるような声。同じ教室にいる、血の繋がらない義理の兄──神崎唯斗(かんざき ゆいと)の姿がそこにはあった。
冷徹な瞳で心春を射抜いている。白瀬家での息の詰まるような拒絶の気配が、そのままこの教室に持ち込まれたかのように、心春の背中に冷たい汗が流れる。
(ビクッと身体を強張らせるけど、すぐにいつもの100点満点の笑顔を貼り付ける)
唯斗はフッと鼻で笑い、心春にだけ聞こえるような小さな声で、冷酷に言葉を突き刺してくる。
義父と同じ、完璧さを求める冷たい視線。心春の喉が、恐怖でぎゅっと閉まる。
すっと二人の間に割って入ったのは、おっとりとしたマイペースな足取りの宮沢千歳だった。長めの髪の隙間から、すべてを見透かすようなミステリアスな瞳で、千歳は唯斗をじっと見つめる。
千歳はいつも通りの掴みどころのないテンションのまま、柔らかく、けれど遮るように微笑む。唯斗は不愉快そうに顔を歪めると、それ以上は何も言わず、乱暴に足音を立てて自分の席へと去っていった。
千歳は呆れたように小さくため息をつきながらも、その優しい視線で心春の傷ついた心をそっと包み込んでくれる。
その時、ガラガラッと教室の前のドアが勢いよく開く。一瞬でクラスの女子たちの視線が集まる。
女子生徒たち 「あ! 柊馬(とうま)くんだ! おはようー!」
入ってきたのは、明るい髪色の少年──進藤柊馬。(しんどう とうま)
チャラ可愛い犬系男子としてみんなに慕われている彼は、女子たちに手を振り返しながらも、どこか心ここにあらずといった様子で歩いてくる。
いつも通りに挨拶を交わす。けれど、柊馬のその大きな瞳が、一瞬だけ寂しげに揺れるのを心春は見逃さなかった。
彼のその視線の先は、心春の顔ではなく……心春のその奥にある「羽鳥陽葵」(はとり ひまり)の面影を追っているようだった。
進藤柊馬は、クラスの女子たちに囲まれながらも、どこか寂しげな瞳で心春を見つめている。彼が追っているのは、自分ではなく、大好きな従姉妹である陽葵の面影。わかっているのに、心春の胸の奥がキリキリと痛む。
柊馬が心春に一歩近づき、声を潜めて語りかけようとした、その瞬間。
とーうま先輩っ!!
ガラッと教室のドアが開き、弾けるような明るい声が響き渡る。そこに立っていたのは、括った髪を揺らした1つ下の後輩──佐々木美乃莉(ささき みのり)だった。
美乃莉は柊馬の腕に遠慮なく抱きつくような勢いで、満面の、100%のひまわりみたいな笑顔を咲かせている。嘘も、偽りも、計算もない、本物のポジティブ。それを見た瞬間、心春の身体が、本能的な拒絶反応でカチリと強張る。
眩しい…眩し過ぎて、吐き気がする
心春は、引きつりそうになる口元を必死に抑え込み、100点満点の「優しい先輩の仮面」をペタッと貼り付ける。
けれど、その笑顔の裏で、心春の心はドロドロとした暗い感情で満たされていく。
嵐のように美乃莉が教室を去っていく。残された教室の空気の中で、心春は自分の本心を真っ白に隠したまま、ただ静かに、壊れそうな笑顔を維持し続けることしかできなかった。
心春はこれ以上、柊馬の瞳の奥にある「陽葵の面影」を見ていられなくなり、逃げるように教室の席を立つ。
ノートを抱えて廊下へ出た、その瞬間。
すれ違いざま、心春の真横でピタリと足が止まる。そこに立っていたのは、かつて数え切れないほどの時間を共にした、元親友──黒崎陽菜。(くろさき はるな)
陽菜は、心春の顔を冷たく見下ろす。その瞳には、明確な【憎悪】と【拒絶】が宿っている。
冷たい刃物のような言葉だけを言い残し、陽菜は振り返ることもなく去っていく。貼り付けたはずの100点満点の笑顔が、内側から粉々に砕け散っていく。この場にいたら、自分の本当の顔をみんなに見られてしまう。
息が……うまく、吸えない……
心春はふらつく足取りのまま、誰も寄り付かない、薄暗い階段へと逃げ込んだ。
ひんなりとしたコンクリートの床に、心春は力なくへたり込む。
膝を抱え、重ための黒髪の前髪で完全に顔を隠した。誰も傷つけない「良い子」の壁が壊れた今、ただの空っぽな自分が剥き出しになっている。
──おい。そこで何してんの。邪魔なんだけど
コメント
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うわ、第1話からもう心臓ぎゅってなった…🥀 心春の“100点満点の笑顔”っていう自己防衛の表現、すごくリアルでゾッとするくらい伝わってきた。弟の遥斗には見抜かれてるのに、義兄の唯斗には拒絶されて、千歳の優しさが逆に切ない…。 あと陽菜の「陽葵に居座れるね」のセリフ、過去に何かあったんだろうなって想像させる重みがあって、一気に引き込まれたよ。 続き、めっちゃ気になる…!