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――1926年3月広島県――
看護師
母
父
母
父
――1936年7月――
すみれ
裕翔
すみれ
裕翔
すみれ
――7年後――
すみれ
裕翔
すみれ
私は裕翔に抱きついた。 足元が真っ暗で足がすくむ。 裕翔は泣かないよう唇をかみしめていた。 ――8月――
写真家
パシャ
すみれ
裕翔
すみれ
裕翔
すみれ
裕翔
すみれ
裕翔
すみれ
裕翔
すみれ
それからは裕翔が居ない毎日。 いなくなってから気づく大切さ。 毎日毎日人が亡くなっていく。 毎日毎日家が燃えていく。 裕翔は大丈夫…だろうか…
――1945年8月6日―― 嫌な日が来た。 ずっと警報が鳴り止まない。
母
すみれ
――午前7時30分――
すみれ
母
――午前8時13分――
すみれ
死の足音が近くなる。 カチカチカチカチカチッ ――1945年8月6日午前8時15分―― 広島県に原子爆弾リトルボーイが落ちた。 死者9万〜16万6千人 その中にすみれは含まれていた。
続きは裕翔視点で書きます_✍ 裕翔視点でも書くのでよろしくお願いします((。´・ω・)。´_ _))ペコリ