リビングに行けば、お母さんがいた。どうやら今はお茶を飲みながらテレビを見て寛いでいるらしい。
俺が階段を降りてくる音に気付いたのか、此方には目も暮れずに朝の挨拶を掛けてくる。
日向
精一杯低めの声を出してみたが、当然誤魔化せるはずもなく男の頃の濁声の面影は微塵も無い。
お母さん
気付けば、俺は慌てて階段を駆け上がっていた。いつもより段差が高く感じる。勿論だぼだぼの服のままで、転びそうになるが無意識の行動だった。
どうやら身体能力も著しく低下しているみたいで、身体中からは滲み出るように冷や汗が湧き出てくる。息もあがり、心臓はバクバクと鳴っていた。
先程まで俺はどうせなんとかなるだろうと考えていたが、頭の中の想像が最悪のシチュエーションを思い浮かべていた。
その考えに至った途端、焦燥感がピークに達してつい現実から逃げ出してしまいたくなる。
お母さん
母親が呼ぶ声が下の階から聞こえてくる。俺は深呼吸を繰り返して何とか冷静さを取り戻そうとする。
日向
日向
1ステップずつ足音を余り立てずに、降りていく。
日向
一階に着くと、まだテレビを見てゆったりとしている母がいた。テレビの中ではニュースキャスターが天気について解説しているところだ。再び深呼吸をして一拍を置いた。
日向
無理に低い声も出さず、地声で喋る。声を作らずとも世の中の人間全てを虜にしてしまいそうなボイスが出てくるのはこの身体の天賦なのだろう。
呼びかけられて、お母さんは此方に顔を向けた。
お母さん
少なからずその言葉にショックを受けた。親に自分を忘れられるとはこんなに悲しく、嘆きたくなるような物なのか。
日向
辿々しくも、貴方の目に写る俺は、息子である事を伝える。だが、何とも訝しげな表情をしていて、状況に混乱しているのか言葉が出てこないみたいだった。
日向
俺は震える声で話す。するとお母さんは席を立つ。俺の声や姿を認識していないかのように階段へと向かった。
お母さん
今まで頭の中で並び立てていた、自分が息子であるという適当な証拠はそのお母さんの言葉で薙ぎ払われていく。
何を喋れば良いのかも、頭の中が真っ白になってしまって、考えられなくなった。
だから俺がその日向なんだよ!という言葉も、喉の奥でつっかえてしまって出てこない。
2階で「日向ー!」と俺の名前を呼びながら、歩き回る音が聴こえる。
お母さんが探している俺はもういない。
次回 自分の姿