コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
拓海
そう言って振り返った夫に
私は手の中の封筒を隠して笑顔を向けた。
これで何通目だろう。
黒色の封筒はご丁寧にも、赤い封蝋で封じられている。
差出人は
拓海
夫が心配そうに私を見た。
みほ
私は固まった笑みを顔に張り付けて、返事をした。
黒色の封筒が、責めるように手のひらを刺した。
深夜
夫のベッドから微かなイビキが聞こえたことを確認して
私は寝室を抜け出した。
雑多に投げ込まれたチラシの束の中から
あの、黒色の封筒を探す。
黒色の封筒には、定規を当てたような文字で
手紙
と書かれている。
中身は届く度に変わる。
ただ一つ変わらない、定規を当てたような文字で
私を責める。
差出人の名は無かったが
その手紙が誰からの物か
私は知っていた。
近藤ミキ
それが彼女の名前だった。
黒色の封筒に、黒い便箋。
最初の手紙には一行だけ
どこまでも黒い中に、白色のインクで書かれた私の名前は
どこか不吉に見えた。
名前の他に何が書いてあるのか
私は思いつく限りの方法を試したが
他の文字を見つけることはできなかった。
そして、2通目の手紙が届いた。
手紙
手紙
2通目の手紙には、それだけが書かれていた。
やはり、定規を当てたような文字は無機質で
それが一層、不気味に思えた。
夫には知られたくない。
なんとしてでも隠さなければ。
その判断が最善のものだったのか
私にはわからない。
だけど
夫の前では、慈愛に満ちた完璧な妻でいたいと思ったのは
事実だ。
3通目
手紙
手紙
手紙
無機質な文字が並んだ、黒色の手紙が私を責める。
だが
許さないからどうだというのだ。
差出人が言っているじゃないか。
神が見逃したとしても。
そうだ。
私の罪は神によって、すでに見逃されている。
神なんていない。
腹の底から笑いがこみ上げた。
くだらないことに怯えていた自分が、ひどく愚かしく思えた。
4通目
手紙
手紙
手紙
手紙
愛菜
赤い首輪をつけたトイプードルを抱いた女が
心配そうに顔をのぞき込んだ。
杏
そう言ったのも、トイプードルを連れた女だ。
彼女たちは近所に住む主婦だった。
年頃も同じ、夫の年収も似たり寄ったり
一斉に売り出された安普請の建て売り住宅に
同時期に越してきた。
色違いの戸建ては7つ。
7世帯。
共通の話題の多い私たちが親しくなるのに、時間はかからなかった。
一人がトイプードルを買えば、他の6人もトイプードルを買った。
いや。
そういえば、一人だけ
5通目
手紙
手紙
手紙
手紙
手紙
息を切らせて走ってきた女も
トイプードルを連れていた。
首輪の色だけが違う。
みんなが買ったから、という理由で犬を買ったのは誰もいない。
それぞれが、何かしらの理由を付けて他とは違うことをアピールした。
今、走ってきた女は確か
一人でジョギングするのが寂しいから、だったはずだ。
結月
愛菜
杏
ほんとう、くだらない
実際の理由は
仲間外れになりたくない
という、それだけだろう。
みほ
私は、息を切らした女に笑顔を向けた。
結月
結月は軽く会釈をすると、赤い首輪のトイプードルを抱いた杏に、小さな紙袋を渡した。
杏は私をちらっと見てから、困ったような笑顔を浮かべた。
結月
杏
愛菜
尋ねられて結月がうなづいた。
結月
結月
愛菜
杏
みほ
私は足下のトイプードルを抱き上げて、微笑んだ。
しょせんコイツらは
みほ
6通目
手紙
手紙
手紙
手紙
手紙
手紙
家にいると息が詰まる。
どうしても、あの黒色の封筒が気になってしまう。
私は震える手で、トイプードルにリードをつけた。
家にこもっているより、外に出よう。
こういう時、犬がいると便利だ。
殺したんじゃない。勝手に死んだのだ。
出来損ないはトウタされる。それが世のセツリだろう。
頭では分かっていても、あの無機質な文字が時折、まぶたの裏にちらついた。
トイプードルを買わなかった(私が買ったのに)
英語のベストセラー小説を読まなかった(私が勧めたのに)
子供の登校班の送り迎えに夫を寄越した(夫婦仲の自慢よ)
全てが気に入らない。
子供の服は全て自分が作っていると言った(ブランド物じゃないダサい服)
手作りのおやつに、可愛らしいキャラ弁(意識高い系?笑っちゃうわ)
子供
その一言に悪意がないのはわかっていたが
許せなかった。
みほ
最初は無視をした。
あいさつをやめた。
ゴンドウミホ コンドウミキ
間違って届いた郵便物は、全て開封して家の前にばらまいた。
他の5世帯を味方に付けるのは簡単だった。
小さな嫉妬心を植え付ければいい。
みほ
そんなこと、もちろん私は知らない。
杏
ネタは何でもいいのだ。
愛菜
結月
笑顔の裏に、先を越された悔しさがにじむ。
みほ
下品な笑い話。
くだらない嫉妬の種が芽吹き、花を咲かせ、実を付けるまで
長い時間はかからなかった。
近藤ミキは、まとまった7つの世界の中で、異物と判断されたのだ。
誰もが彼女を避ける。
親の顔色を見て、子供たちがイジメに荷担する。
お決まりのコースだ。
もはやリアリティすら感じられない虚構。
やがてミキの姿を見ることがなくなり、ある日
訃報が届いたのだ。
自殺、と。
最期の手紙はもうじき届くだろう。
赤い封蝋の、黒色の手紙が私に不幸を運んでくる。
くだらない虚栄心が作り上げたマボロシのキズナは、近藤ミキの死によって
綻び始めた。
作り笑いの目が、私を暗に責める。
だが、彼女を追いつめたのは、私だけではない。
みほ
どうして、私だけが……
みほ
鏡台に向かって呟くと、鏡越しに私を見つめる夫と目があった。
拓海
みほ
拓海
夫は私をリビングへ連れ出し、ソファーに掛けるよう促した。
彼は無言のまま、私の向かいに座る。
手に持っているのは、どこかで見たような小さな紙袋だ。
みほ
問いかけても答えはない。
みほ
夫は小さくため息をつく。
みほ
ああ、思い出した。その紙袋は
トイプードルを連れた女が持っていた物だ。
だったら、中身はベストセラー小説だろう。
夫の沈黙の理由はわからなかったが
小さな不安が解消された気がした。
革張りのソファーに、ガラスのローテーブル
夫は紙袋から何かを取り出して、ローテーブルに置いた。
スタンプ、だろうか?私には見覚えがない。
夫は私の反応を確かめるように、ゆっくりと品物を取り出していく。
プラスチックの定規。 白いインクの入ったペン。 黒色の、封筒。 そして
最後に取り出した黒い便箋には、すでに文字が書き込まれていた。
手紙
手紙
手紙
手紙
手紙
手紙
夫が私を見つめた。
トイプードルを連れた女たち。
回していたのは、ベストセラー小説ではなかったのか。
何かを言おうとして言葉を探したが、何を言うべきか私にはわからなかった。
夫はまた小さくため息をついた。
プラスチックの定規を手に取った。
それは、7つめの文章だ。
手紙
夫はわたしの目の前で7通目の手紙を書き上げて、赤い封蝋を押した。
愛菜
杏
結月
すみれ
澪
愛菜
杏
結月
すみれ
澪
杏
愛菜
結月
すみれ
権藤みほの訃報を伝える回覧板を持った女たちが笑う。
住宅街の一角にあるゴミ捨て場には
黒色の封筒の入った小さな紙袋が
ひっそりと置かれていた。
了