”死にたい”
そう呟けば
SNSの中でだけは
誰かが反応してくれた。
現実世界では
クラスメイトや
教師や
親さえも
私のことが見えていないように振る舞う。
何故?
どうして?
そう考えるのは疲れてしまった。
もう、
どうしようもないことなんだと受け入れて、
私は
私の満たされない心を満たしてくれる人を探して
SNSで呟き続けた。
彼と知り合ったのは
三ヶ月前だろうか。
本当に親身になって話しを聞いてくれた。
メッセージだけのやり取りだけじゃなくて、
電話でも色んな話しを聞いてくれて
慰めてくれた。
私は、
彼の存在で救われた。
だから、
勇気を振り絞って
”会いたい”
と言った。
彼も
”会いたい”
と言ってくれた。
そして、
”君を解放してあげたい”
と。
それが
私を殺すという意味だということも知らずに、
私は嬉々として彼に会いに行った。
そして、
”これで君は苦痛から解放された”
”これで君は自由だ”
”透明なんかじゃない”
そう言いながら、
首を切られた。
痛かった。
死ぬほど痛かった。
泣いたかもしれない
叫んだかもしれない。
それでも彼は、
”これで死ねるよ”
そう嬉しそうに言ったんだ。
”感謝してくれるよね?”
……
は?
感謝?
こんな痛い目に遭わせておいて
感謝?
なんで?
なんで?
するわけないじゃん
バカじゃない?
だって
私の”死にたい”は
その言葉の意味は、
人に認知して欲しかっただけで、
本当に死にたいわけじゃあない。
あの言葉は…
嘘だよ…。
・
・
だから、
”死んでないからちゃんと殺して”
その思いも、
嘘だよ…。
・
あーちくしょう…道連れにし損ねた……
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